スカイツリーからの見晴らし掲載は終わりとし、
次に訪れたスカイツリーから電車で5分の浅草寺散策について書かせて頂きます。
浅草寺には何度か行っていますが、それぞれの建物等にについて調べてみると
小生にとっては色々と目新しい事が分かりましたのでそれを書かせて頂きます。
浅草寺

上の図に見られる様に色々の建物がありますが、今回は雷門、宝蔵門、本堂を訪れただけです。
雷門

浅草寺の総門として威容を誇っている表参道入口の門で
鉄筋コンクリート製の切妻造の八脚門で間口 11.4m・高さ 11.7mです。
「金龍山」額は京都・曼殊院門跡の良尚法親王筆の模写です。
人が多くて全容が撮れていませんので、借用写真を次に。

風神・雷神像
雷門には向かって右に風神像、左に雷神像を安置されています。
風神雷神像は頭部のみが古く、体部は1865年の火災で焼失後1874年に補作。
1960年の門再建時に補修と彩色が加えられています。


風神と雷神があることから正式には「風雷神門」ですが、「雷門」の通称で通っています。
1865年に焼失した後は、長らく仮設の門が建てられていましたが1960年に、
約1世紀ぶりに鉄筋コンクリート造で再建されました。
この門は松下幸之助氏が浅草観音に祈願して病気平癒した報恩のために寄進したものであるため、
門内には松下電器産業寄贈の大提灯(高さ3.9m・幅3.3m・重さ700kg)があります。

金竜・天竜
雷門の背面には、「金龍・天龍」の像が安置されており、
西の金龍(女神)は仏師・菅原安男、東の天龍(男神)は彫刻家・平櫛田中の作で、1978年に奉納されたものです。



この両像は、水をつかさどる龍神さまであり、浅草寺の護法善神で、雷門の背面、風神・雷神と対称となるように奉安されています。
近くから撮った像の写真がありませんので、浅草寺HPより借用の写真を掲載しました。
仲見世

雷門から宝蔵門に至る表参道の長さ約250mは「仲見世」と呼ばれており、
その両側には土産物、菓子などお土産物を売る商店が立ち並び、東側に54店、西側に35店を数えています。

仲見世は日本で最も古い「商店街」のひとつで、江戸時代の初期浅草寺境内の掃除を任ぜられていた近所の人々に
出店営業の許可が与えられたのが始まりの様です。その後次第に庶民の町としてその賑わいも増してきましたが
明治に移ると浅草寺境内は東京府の管轄となり、1885年仲見世の全店が退店、代わって煉瓦造りの商店が建ち並びました。
しかしそれも関東大震災で壊滅しましたが、1925年に鉄筋コンクリートによる現在の仲見世に生まれ変わりました。
しかし1945年の戦災で建物内部をすべて焼失してしまいましたが戦後間もなく復興し
1985年には近代仲見世百周年を迎えて賑わうようになりました。

宝蔵門
雷門をくぐり、「仲見世」の商店街を抜けた先にある宝蔵門は浅草寺の山門として、
入母屋造の二重門(2階建てで、外観上も屋根が上下二重になっている門)です。
正面から撮った写真がありませんでしたので、宝蔵門正面の借り物写真を掲載させて頂きます。

浅草寺の山門は、942年創建されましたが、 その後度重なる火災により焼失しその都度再建されてきました。
1648年には、徳川家光の寄進によって本堂、五重塔とともに再建されましたが、1945年の空襲により焼失。
現在の門は1964年に再建された鉄筋コンクリート造で、実業家・大谷米太郎夫妻の寄進によって建てられたものです。
門の左右に金剛力士(仁王)像を安置することからかつては「仁王門」と呼ばれていましたが、
再建後は門の上層部に収蔵室が設けられ、浅草寺の什宝物等文化財を収蔵していることから「宝蔵門」と呼ばれています。
「浅草寺」の額は、1692年に掲げられたもので、京都の曼殊院門跡良尚法親王の筆になるもです。
金剛力士像
2体の金剛力士像のうち、向かって左の阿形は仏師・錦戸新観、右の吽形像は木彫家・村岡久作の作です。


阿形像のモデルは力士の北の湖、吽形像のモデルは明武谷と言われています。
なお楼内には釈迦如来像、四天王像 (持国天・増長天・広目天・多聞天)が安置されています。
提灯
中央に大提灯、左右には黒色の提灯があります。


宝蔵門裏側の巨大わらじ

宝蔵門裏側の両サイドには巨大わらじが飾られています。
この巨大わらじは、魔除けの意味をもつ高さ 4.5m・幅 1.5m、重さ 500kg、藁 2,500kg使用したものです。
これは、前述の村岡久作が山形県村山市出身である縁から、同市の奉賛会により製作奉納されているもので、

終わり
次に訪れたスカイツリーから電車で5分の浅草寺散策について書かせて頂きます。
浅草寺には何度か行っていますが、それぞれの建物等にについて調べてみると
小生にとっては色々と目新しい事が分かりましたのでそれを書かせて頂きます。
浅草寺

浅草寺の建物
上の図に見られる様に色々の建物がありますが、今回は雷門、宝蔵門、本堂を訪れただけです。
雷門

雷門
浅草寺の総門として威容を誇っている表参道入口の門で
鉄筋コンクリート製の切妻造の八脚門で間口 11.4m・高さ 11.7mです。
「金龍山」額は京都・曼殊院門跡の良尚法親王筆の模写です。
人が多くて全容が撮れていませんので、借用写真を次に。

雷門・浅草寺HPより
風神・雷神像
雷門には向かって右に風神像、左に雷神像を安置されています。
風神雷神像は頭部のみが古く、体部は1865年の火災で焼失後1874年に補作。
1960年の門再建時に補修と彩色が加えられています。

風神

雷神
風神と雷神があることから正式には「風雷神門」ですが、「雷門」の通称で通っています。
1865年に焼失した後は、長らく仮設の門が建てられていましたが1960年に、
約1世紀ぶりに鉄筋コンクリート造で再建されました。
この門は松下幸之助氏が浅草観音に祈願して病気平癒した報恩のために寄進したものであるため、
門内には松下電器産業寄贈の大提灯(高さ3.9m・幅3.3m・重さ700kg)があります。

大提灯
雷門の裏面
金竜・天竜
雷門の背面には、「金龍・天龍」の像が安置されており、
西の金龍(女神)は仏師・菅原安男、東の天龍(男神)は彫刻家・平櫛田中の作で、1978年に奉納されたものです。

雷門裏面

天龍

金龍
この両像は、水をつかさどる龍神さまであり、浅草寺の護法善神で、雷門の背面、風神・雷神と対称となるように奉安されています。
近くから撮った像の写真がありませんので、浅草寺HPより借用の写真を掲載しました。
仲見世

賑わう仲見世
雷門から宝蔵門に至る表参道の長さ約250mは「仲見世」と呼ばれており、
その両側には土産物、菓子などお土産物を売る商店が立ち並び、東側に54店、西側に35店を数えています。

上から見た仲見世(借用写真)
仲見世は日本で最も古い「商店街」のひとつで、江戸時代の初期浅草寺境内の掃除を任ぜられていた近所の人々に
出店営業の許可が与えられたのが始まりの様です。その後次第に庶民の町としてその賑わいも増してきましたが
明治に移ると浅草寺境内は東京府の管轄となり、1885年仲見世の全店が退店、代わって煉瓦造りの商店が建ち並びました。
しかしそれも関東大震災で壊滅しましたが、1925年に鉄筋コンクリートによる現在の仲見世に生まれ変わりました。
しかし1945年の戦災で建物内部をすべて焼失してしまいましたが戦後間もなく復興し
1985年には近代仲見世百周年を迎えて賑わうようになりました。

色々のお面を売っている店
宝蔵門
雷門をくぐり、「仲見世」の商店街を抜けた先にある宝蔵門は浅草寺の山門として、
入母屋造の二重門(2階建てで、外観上も屋根が上下二重になっている門)です。
正面から撮った写真がありませんでしたので、宝蔵門正面の借り物写真を掲載させて頂きます。

宝蔵門正面(浅草寺HPからの借り物写真)
浅草寺の山門は、942年創建されましたが、 その後度重なる火災により焼失しその都度再建されてきました。
1648年には、徳川家光の寄進によって本堂、五重塔とともに再建されましたが、1945年の空襲により焼失。
現在の門は1964年に再建された鉄筋コンクリート造で、実業家・大谷米太郎夫妻の寄進によって建てられたものです。
門の左右に金剛力士(仁王)像を安置することからかつては「仁王門」と呼ばれていましたが、
再建後は門の上層部に収蔵室が設けられ、浅草寺の什宝物等文化財を収蔵していることから「宝蔵門」と呼ばれています。
「浅草寺」の額は、1692年に掲げられたもので、京都の曼殊院門跡良尚法親王の筆になるもです。
金剛力士像
2体の金剛力士像のうち、向かって左の阿形は仏師・錦戸新観、右の吽形像は木彫家・村岡久作の作です。

吽形(うんぎょう)

阿形(あぎょう)
阿形像のモデルは力士の北の湖、吽形像のモデルは明武谷と言われています。
なお楼内には釈迦如来像、四天王像 (持国天・増長天・広目天・多聞天)が安置されています。
提灯
中央に大提灯、左右には黒色の提灯があります。

中央提灯(浅草寺HPより借り物写真)

左右に並ぶ黒色提灯
宝蔵門裏側の巨大わらじ

宝蔵門(裏側)
宝蔵門裏側の両サイドには巨大わらじが飾られています。
この巨大わらじは、魔除けの意味をもつ高さ 4.5m・幅 1.5m、重さ 500kg、藁 2,500kg使用したものです。
これは、前述の村岡久作が山形県村山市出身である縁から、同市の奉賛会により製作奉納されているもので、

巨大わらじ
このように紹介いただくとよく解ります。
最近は特に人出が多くって歩くのも大変ですよね。
先輩のように詳細な紹介はできませんが、かぶってしまい驚きです。
4年間の学生時代に一度も浅草に行かなかったのをいま悔やんでおります。
ブロ友と一緒という日もありましたねえ。
あれは青龍〇段さんとagewisdomさんと3人で
浅草寺からスカイツリー、上野恩賜公園へと
歩いた時でした。
浅草寺には外国人観光客が多いですね。
ここは休日とか関係なく、人で賑わってるのでしょうね。
最近は隣国の方が多くなって、お店の人も対応に困る事も有ると、
こぼしてましたね、最近隣国の人のマナーが、
若干良くなって来たとか・・・
飛行機の中などではやっぱり、マナー違反が多いですけどね(^o^;
特に最近は外国人が多く貸衣装を着た和服の
女性を見ます、おもしろいですね境内も変わってきました。
最近は絵画からの観光客が多く写真をることが困難で行くのを控えています。
解りました。
何時も賑やかですね。
書いたことが少しはお役に立てて
嬉しいです。
書く内容が同じところがあっても、違う所も
あるでしょうから、いいとしましょうね。