【sleeps with the fishes】
長いこと光の射さない世界に居たので、「私」は眼が悪い。
暗がりをヒタヒタと伝って、何とか生を繋いできたので、まばゆい光や高温に弱い。
表向きは無反応そうなフリをつつも、心の深い井戸の奥底では殺意と敵意が煮えたぎっている。
それでも、「ココロを無に」と言い聞かせて、過ごす平日の人間のていをなした時間。
このゆがみ・ひずんだ構造こそが、「私」の暮らす「世界」のリアリティそのものである。
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此の世は、官も民も(何が正しいか?不明なれど)「正しさ」などという基準・縮尺・論理では構成されていない。
同じイカサマ同志、同朋であるのに、イカサマがイカサマを責めている構図。もしくは責めているフリ。
所詮は、どちらも三文芝居に過ぎない。
正気であれば見えることは、どうやら其の手の世界では、正では無い。
欺瞞と矛盾と理不尽を抱えながら、あたかも最終的には正義を語っているかのように振る舞うイカサマ。
それにダマされる者、ダマされたフリして拍手でコビを売る者・・・。
喝采に満ちた絢爛豪華なヤクザ世界。
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汚泥にまみれたそんな地点から遠く離れた、4ADレーベルの独自性ある音。
静寂と美が何たるかを音楽で示した面では、比するレーベルは無い。
「緩やかなる連携・連帯」が、ここでは実現化している。その産物こそが『this mortal coil』に結晶されている。
産業音楽・経済営利音楽隊に「NON」を突き付けながらも、堂々とその静謐世界を展開し、多くの人の心の深みにまで到達する音楽を創り上げた。
コクトーツインズは、その4ADの中核を占める貴重なる存在だった。
偶然の出会いに、音楽を託すこととなった1987年以降。
ムーン&ザ・メロディーズとの出会い。
そんな出会いが皆無では無かったが、1987年発表された4ADザイモックスのピーター・ヌートンとイーノファミリーのマイケル・ブルックの共作を、リアルタイムでは経験していなかった。
このアルバムは、大阪に行った1991年以降、中古レコード屋さんで出会った。
いつ・どこで?がいまいち思い出せない。
ただ、レコードの「エサ箱」で、このレコードに出会ったとき、
4ADのアルバムということもあったが、裏ジャケットのナゾの生物の墨絵のような絵に惹かれて、即購入を決意した。
アルバムのタイトルは『sleeps with the fishes』。「魚たちと眠る」。。。。
このタイトルだけだと、トロピカルな南洋の海をも想起するが、この裏ジャケットを見れば、
違う世界の文脈であることが一目瞭然分かる。
魚は魚でも、潜伏する山椒魚を思わせる。
買って正解だったのは、このジャケット通り、たとえ澱みの中でも、生命を繋いで行こうとする閑かな想い。
その想いが満ちた美しい音楽が、ここにはあった。
■Pieter Nooten & Michael Brook 「Searching」’87■