マドンナの登場の仕方は、極めて恣意的だった。
80年代のマリリン・モンロー、という風をよそおい、
自分で自分を「マドンナ」と名乗り、
性的要素いっぱいの姿でありながら「まるでヴァージンのように(Like a Virgin)」と真逆なものをあえてぶつけて歌う。
そのバックには、そうあやつるプロデューサーが当然居た訳だが。
いわゆる「イロモノ」という匂いがぷんぷんと漂い、自分は拒否感を覚えた。
当時「ベストヒットUSA」で盛んにマドンナが出ていた。
***
そんなマドンナに興味を覚えたのは、死を越えながらも廃人状態だった大学時代。
1987年。
音楽体験が少なかった1987→1990年。
既に密なる80年代が終焉をむかえようとしていた1986年6月のサード・アルバム。
出会ったのは、高校で同級生で家が近かった友人宅。
手打ちうどんのお店をやっていた家に訪れ、彼の部屋で雑談と悩み相談をしていた。
彼がバックでかけてくれたのが、そのサード・アルバム「トゥルー・ブルー」。
二重構造を抱えながら進んだ80年代が終わるのを示唆するかのように、マドンナはここで、それまであった「マドンナ」という仮面を剥いで(先日のEPOさんのように)素(す)の顔で曲を創り・歌っていた。
タイトル「トゥルー・ブルー」そのままのように。
繰り返しかかるCDプレイヤーから流れるアルバムの新鮮さにトリコになり、CDプレイヤーを持たない自分は、友人にカセットテープに録音してもらった。
そのカセットテープを持って、数少ない安心できる夜の暗闇のとある道を歩いて帰った記憶。
亡霊のような死相のただよう姿で。
***
たんなる「イロモノ」ではない彼女が秘めていたアーチスト・パワーは、ここから始まったように思う。
その後、周囲のスタッフは様々な変化や着色をするものの、逆にそれが彼女の存在感を浮き立たせる。
キャンキャンとMTVで踊り・アイドルちっくだった、あやつり人形としての姿とは程遠い・稀有な女性ミュージシャンとしてのスタイルを確立する。
■Madonna 「Live To Tell」■
個人的には想い出深い1998年の作品「レイ・オブ・ライト」。
ウィリアム・オービットがプロデュースしたものだが、これを聴いて、プリンスが命懸けで、起きている時間は全て音楽創りに割き続けた作品のエネルギーに近い感覚を感じた。
それは「何かを永続的に表現し得ないで、死んでたまるか」という強固な意志。
***
PS:「エネルギー」というと、ドラムを猛烈にバシンバシンと叩いたり・ギターをめちゃくちゃにかき鳴らしたり・奇妙な音を鳴らせばいいんだな・・・
そう勘違いしているヤカラが一部居るが、そういう方々には小津さんの映画「東京物語」やアラーキーの写真集やイーノの音楽を、ぜひオススメしたい。
エネルギーとは静寂の中にあるチカラを理解すること。
80年代のマリリン・モンロー、という風をよそおい、
自分で自分を「マドンナ」と名乗り、
性的要素いっぱいの姿でありながら「まるでヴァージンのように(Like a Virgin)」と真逆なものをあえてぶつけて歌う。
そのバックには、そうあやつるプロデューサーが当然居た訳だが。
いわゆる「イロモノ」という匂いがぷんぷんと漂い、自分は拒否感を覚えた。
当時「ベストヒットUSA」で盛んにマドンナが出ていた。
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そんなマドンナに興味を覚えたのは、死を越えながらも廃人状態だった大学時代。
1987年。
音楽体験が少なかった1987→1990年。
既に密なる80年代が終焉をむかえようとしていた1986年6月のサード・アルバム。
出会ったのは、高校で同級生で家が近かった友人宅。
手打ちうどんのお店をやっていた家に訪れ、彼の部屋で雑談と悩み相談をしていた。
彼がバックでかけてくれたのが、そのサード・アルバム「トゥルー・ブルー」。
二重構造を抱えながら進んだ80年代が終わるのを示唆するかのように、マドンナはここで、それまであった「マドンナ」という仮面を剥いで(先日のEPOさんのように)素(す)の顔で曲を創り・歌っていた。
タイトル「トゥルー・ブルー」そのままのように。
繰り返しかかるCDプレイヤーから流れるアルバムの新鮮さにトリコになり、CDプレイヤーを持たない自分は、友人にカセットテープに録音してもらった。
そのカセットテープを持って、数少ない安心できる夜の暗闇のとある道を歩いて帰った記憶。
亡霊のような死相のただよう姿で。
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たんなる「イロモノ」ではない彼女が秘めていたアーチスト・パワーは、ここから始まったように思う。
その後、周囲のスタッフは様々な変化や着色をするものの、逆にそれが彼女の存在感を浮き立たせる。
キャンキャンとMTVで踊り・アイドルちっくだった、あやつり人形としての姿とは程遠い・稀有な女性ミュージシャンとしてのスタイルを確立する。
■Madonna 「Live To Tell」■
個人的には想い出深い1998年の作品「レイ・オブ・ライト」。
ウィリアム・オービットがプロデュースしたものだが、これを聴いて、プリンスが命懸けで、起きている時間は全て音楽創りに割き続けた作品のエネルギーに近い感覚を感じた。
それは「何かを永続的に表現し得ないで、死んでたまるか」という強固な意志。
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PS:「エネルギー」というと、ドラムを猛烈にバシンバシンと叩いたり・ギターをめちゃくちゃにかき鳴らしたり・奇妙な音を鳴らせばいいんだな・・・
そう勘違いしているヤカラが一部居るが、そういう方々には小津さんの映画「東京物語」やアラーキーの写真集やイーノの音楽を、ぜひオススメしたい。
エネルギーとは静寂の中にあるチカラを理解すること。