どしゃぶり、というのを気づかないほどに、眠りの海に居た。
目覚めると12時。
脳がとろけている。夢をずいぶんと見た。
つい、三善英史(みよしえいじ)の歌が自動的に頭に浮かぶ自分を「おやぢやなあ」と笑ってしまう。
「あ~めに~濡れながらぁ~、たたずむヒトが居るぅ~・・・」
夢に、嫌いな人も好きな人もたんまり出てきた。
友人MZ師に言わせれば、夢もその人自身にとっての現実の一部。
夢は起きると断片しか思い出せない。嫌いな人は除外して、夢の断片。
●アラン・パーソンズPJ「アンモニア・アヴェニュー」のアメリカンコミック風にも見えそうな、小さいクルマで狭い街を、キュンキュン・くねくね移動。
何かが起きる前触れというので、みんな現場へ急ぐ夜のダウンタウン。
●とある川の鉄橋のたもとに、何人かで居る。空はくもりの灰色。
電車が走るたびに、地震時のような異様な揺れ方をする。何人かで見ながら「相変わらず、この風景はすごいね」。
どうやら、日々日常の中の光景らしい。
その駅あたりは、様々な電車が交錯するのだが、この川を渡る電車は後から出来たものらしく、それが理由で揺れるらしい。東京のローカル電車。
●たんまり送られてきた公募のアート作品を整理して、みんなで袋に入れている。
アルバイト的風景?もしくは新聞屋の風景を思わせる。
袋に入れ終わったら、「はい、先生。これはMIXで、なかなかですよ。」と横のたけしさんに渡す。
すると、たけしさんが赤黒さまざまな色の油性マジックを持って、袋に書き込む。
「はい、MIX 99点」と書き込み、顔のいたずら書きをするたけしさん。
***
雨が降ってくれることが、外に行けない理由となってくれるので、今日は安心して引きこもれる。
三善英史というと古い、と思われるが、80年代で思い出してしまうのが「雨音はショパンの調べ」。
小林麻美というタレントだか女優だかモデルだか・・ようわからん存在が歌っていた。
これは、1983年にヒットしたガゼボの「アイ・ライク・ショパン」のカバー。
自分が初めてこの曲を聴いたのは「高橋幸宏のオールナイトニッポン」だった。(トシ矢嶋さんが送ってくれた最新レコードより)
小林麻美はどーでもいいが、ガゼボは好きだった。
確かお金持ちの貴公子だったと記憶している。
■Gazebo 「I Like Chopin」'83■
カバー曲というと、ずいぶん80年代の「歌謡曲」にはたくさんあった。
アメリカ&イギリスでヒットすれば、すぐにそれをアイドルに歌わせていた。
まだ「カバー曲」と表明するだけマシで、ひどいのになると、パクリなのに日本人の作曲クレジットだったり・・・。
そんな最低行為の産物の1つに、プリンスファミリーのシーラEのかっこいい「グラマラス・ライフ」を、そのままパクった石川秀美の「もっと接近しましょ」がある。
当時「おいおい、それはあまりにそのまんま過ぎるだろうが」と思っている同世代は多く居た。
そんなこともあったっけ。
PS:渋谷陽一さんのサウンドストリートで、こういうパクリ曲の特集回があったことを思い出した。
ブルース・スプリングスティーンやスタイル・カウンシルと佐野元春、マドンナとレベッカなど。。。
ふと思い立って高速バスに飛び乗りました。
いつもこのくらいの決断力があればいいのに…
親の顔を見てこようと思います。
闇に青白く輝く工場群が美しい。
途中から本降り。
頭にコクトー・ツインズ「ブルーベル・ノール」が流れます。
こんな連動をする人は居ないと思いますが、
このアルバムを初めて聴いたのが、土砂降りの高速道路でした。
どんな化学反応が起きるかも分からないのに
買ったばかりのCDを運転中にかける大胆さが、当時はありました。
直後に、事故で大破した車の横を通過し
大胆さはあっという間に恐れに変わり…
ブルーベル・ノールは恐怖も巻き込んでなお美しく響き続けています。
三善英史さん、私もすぐ浮かびます(笑)
自分にとっての最高傑作「トレジャー」のB面をかけたまま、机で寝てしまった夜がありました。
プレイヤーがオートのボタンになっていたため、明け方まで延々と繰り返し流れていました。
そのお陰で、自分の持つLP「トレジャー」のB面は異様なすり減り方をしていました。
「ブルー・ベル・ノール」を初めて聴いたのは深夜のTVでした。
何て不可思議な響きをした曲なんだろう。
奇妙なる感覚に包まれた記憶があります。
みうらじゅんさんのラジオ番組に、大槻ケンジさんが出た回のことがよぎりました。
大槻ケンジさん「なんで、日曜の夜には、アニメの声優ばかりが、くだらない会話をしているのか?
お前が何が好きだろうが、知らねえよ。」というくだりに爆笑しました。
一方、みうらさんは声優で名の知れた女性のスポーツカーで、一度だけ送ってもらったことがあったそうですが「そうそう、ピンクフロイドの原子心母がかかっていました。」
大槻ケンジさんは、その話しに絶句。
「ドライヴィングミュージックに、原子心母とは!」
コクトーツインズは素晴らしい音楽ですが、自分も別世界にトリップして大破しそうです(笑)。
・・・・といいつつも、大阪の頃はエイフェックス・ツインのポリゴン・ウィンドウを大音量で鳴らしながら疾走していました。
***
思い切ってバスに乗れて良かったですね。
お父さん・お母さんも喜ぶと思いますよ。
良い時間を過ごしてください。
雨は唐突に降ったり止んだり。。。。
でも、無事、ふるさとに向かわれますよう、お祈りしています。
しかし、2012年降る雨は、三善英史さんのしとしと降る、慕情世界とはかけ離れていますね。
ハイ・ファイ・セットの「冷たい雨」という、密かに好きな曲もありますが。
雨は昼まで、とのことですが、気象庁の膨大な過去データを元にした「未来予測」すら、全然当たらない世界とは、一体どこまで狂っているのか?
と思ってしまいます。
同じくらいの時間に4ADの記事が追加になっていて、驚きました。
デッド・カン・ダンスも印象深いひとつですね。
『ピーター・ヌートンとイーノファミリーのマイケル・ブルック』
よくマッサージなどで巧いというか、自分にちょうどいいゴッド・ハンドな人に当たると
その瞬間に「ざわざわ」するのですが、
そんな伝導を感じます。
ドライヴに原子心母ですか…
原子心母に思い入れのある人たち、を思い出します(笑)
①中学の時に数学を教わっていた家庭教師。
私のカセットテープの内訳を見て勉強そっちのけで自分のお薦めの話を始め、
翌週にはレコードを貸してくれた(ラッキー)。
私は大友克洋を貸してあげました。
②高校の現代社会の先生。
ヨーロッパの歴史背景と宗教観をまとめた教材のBGMに原子心母を使って、
したり顔をしていた(今なら「どや顔」ですね)。
営業車の中、4人でマージャンで時間潰ししているのを見たことがありますが、
エイフェックス・ツインなんて、いいじゃないですか~
* * * * *
さて出発してすぐに、音楽類を持参しなかったことに気づき、
実家では、残していた何枚かのレコードやカセットを聴いていました。
ヴァン・ゲリス、ELO、ボストン…ホワイトスネイク?…これは弟のでした。
その他は
畳でごろん。
俳句を詠まされる。
「ちょっと、パソコンであれして、携帯でこれしてよ…」
まあ、毎回こんなですが(笑)気遣いゼロで十分すぎる休養でした。
休養貯めができればいいのですが、何よりも、
いつ何があってもおかしくない一瞬一瞬のうちの一部を共有できたことに感謝して、
自分の塒に帰ります。
かたちんばさんは、今日もお疲れ様でした。
まるきりの偶然の一致です。
体内に、あのフィシュと音が湧いた為、一気に書きなぐった記事でした。
デッド・カン・ダンス。
素浪人時代の夜。
よく『メスメリズム』の地を這うような音の闇に迷い込んでいました。
手に星を持つ赤い女性が、まるで「HELP」と助けを求めているかのような写真。
そう見えるのは自分を映す鏡だったのか?
***
「原子心母」は、明らかなる誤訳ですが、日本の洋楽史に於ける名誤訳だと思います。
さくりんさんのお話しには、兄の世代の人たちの「原子心母」・フロイドへの言い知れぬ郷愁を感じます。
マージャンのバックにポリゴン・ウィンドウ(エイフェックス・ツイン)を使って欲しくは無いですが、そういう人も居るんでしょう。
世間では。
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何も持たずに出掛け、タイムスリップして、実家でパンドラの箱を開ける。
良い過ごし方と思います。
そして、畳に…俳句詠み…
私は一人ですが、親や友人という気を遣わない空間に投げ出されると変化します。
「十分すぎる休養」が例え瞬間であっても、体内で反芻され、その感触が度々の休息所となることを祈ります。