主宰の三浦大輔ではなく、溝口真希子が脚本・演出。AV撮影現場とか、そのなかでのさまざまなイメージとかはポツドールらしさをかもしているのかもしれないけれど(開演前に岡村靖幸がかかるのも)、方法が全然違うのではないかと思った。ポツドールと言われなければ、そのまま普通の演劇として見てしまっただろう。ネタはAVの現場というちょっと角度をつけたきわもの的なものであるとしても、語りは実にベタ(「女」の「みち」)。ただしそのベタがすごく丁寧な叙述なのではあって、ある二人の女(AV嬢)がいさかいを起し興奮を高めていくその過程が、その他の人たち(他3人のAV嬢とひとりの男性マネージャー)との関係(限りなく薄くでも現場を作るための最小限の絆をもった)とともに実に微細な力学を示しながら描かれていくのだった。その力量は見ている者を飽きさせず、演劇ってこうした微細な諸々の力の流れをどう捉えるかなのだろうな、などと終演後すぐには感心していた。けれども、次に沸いてきたのは「で、それがどうなの?」という質問。描くと言うことは、描いたものへの批評性とともになければ「芸術」としての意味はない。普段どんなに「芸術」と言われているものの自閉的な側面に嫌悪していてもやはり、批評としての芸術性がないものについてはぼくはどうしても不満を感じてしまうのです。帰り、紀伊国屋あたりで「直木賞文学」などというワードが頭に明滅。自分たちのいまをAV現場に託して描く、あるいはAV現場を微細に描くことで自分たちのいまを見つめる。そのどちらであるとしても、今作がもつ批評性の薄さ、ベタさは、ぼくが以前見た『夢の城』でのギャルたちの動物的乱交の光景の描写とは似て非なるものだと思ってしまうのだった。
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