Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

高野美和子『不埒な身体』(@BankART NYK)

2005年12月21日 | Weblog
を見た。

前半、赤いポンチョのような服を着て顔をなかば隠しその代わり三つ編みの髪を一本はみ出させる。その衣裳は「脚」をみせるため、だろう。二年前か大阪の踊りに行くぜ!!で彼女のソロを初めて見たときにも、脚さばきの実に繊細で正確なところに魅了されたが、今回はかなり自覚的にその見せ所の脚を前面に出す。必ずしも「脚のダンス」といった枠づけで純粋にダンスをするというだけではなく、脚そのものへのフェティシズムを喚起させるような企みが含まれている。そのエロティシズムは観客に対する術策として見える限り、決して悪いとは思えない。いやむしろ、大人の女性(主婦というのではない30才代の女性)のダンスというものが現在不在、ということを考えれば、高野の存在というのは新鮮に見えてくる。「コドモ」というキーワードは、それが際立ってくると、それ(コドモ)以外に対する渇望も当然出てくるだろう。より微細に見れば、ダンシーな身体の可能性というのは、どこにだって(「コドモ」以外のポイントにも)ある、はず。高野はその点で、実に丁寧に自分の引き出しの中で、確かにダンシーのありかを探っている。
後半は、直立して呪文を説くような、不思議な腕の運動を繰り返すところから始まる。その後は、ヒステリックな運動が髪を引っ掻いたり、壁に張り付いたりとさまざまに展開される。ある種の清潔感(サニタリーな感じ)と平衡を失うリズムとが共存する高野のダンスが、ダンスを余り見ない女性の方々の琴線を震わせるなんてことを今後起こすといいのに、と思ってしまうのだった。

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