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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

川口隆夫『TABLE MIND』

2006年01月17日 | Weblog
を見た(@アップリンク・ファクトリー)。

もうすぐ出るファッション誌に書いた原稿の些細な部分が気になってざわざわして出版社に確認の電話をしても繋がらない。日曜は休み??近頃頻繁に書かせてもらっているB出版社とは大違いだ、B社の編集者の忙しさったらない(このまえ、69年に出たその社の雑誌の目次を見ていたら編集者の数が今と比べて倍以上いたことが判明、それはたしかに大変だ)。それで、悶々とした気分で、集中力がなくなってしまったが、そんな気分で明日までいるのもなんだしと考えていると、不意に川口隆夫の公演があることを思いだし、渋谷へ。

当日券で満席の会場にはいると、ど真ん中のエリアに二席ある、そこに座る。小さな会場には観客が対面するように席が出来ていて、僕が座ったのはその両方に挟まれた舞台の部分の端という例外的なエリア。一般的な観客席では目の前にクリアボードが吊り下げられ、視界を僅かに遮るようになっている。
真ん中のエリアに置かれたテーブルのもとに川口は現れ、日記を書くようなシグサとそれを読み上げる声が繰られる。テーブルはときに白く輝き、粗いあるいは細い格子模様が映され、また、ピー玉の運動する軌跡が影となって映ったりする。独特の清潔感のある時間・空間。進退の動作は激しくなく振り向いたりくねらせたり、テーブルに置く腕を中心とした振る舞いに集中する。先日見た、黒沢美香の80年代の公演に彼は出ていた。そのときの、舞台のスーッとしたキレイで無機的な感じを思いださせる。そうした黒沢との繋がりで見てしまうと、川口の振る舞いを、没頭し、こちらを無視するような「余裕」ともとれるけれども、その空虚さに置いてけぼりを食ったような気にもなる。

まだ、そわそわ感は続く。で、なんにもしたくないけど、なんかしてないとなあ、という気分で、代官山まで歩き、目黒川沿いのCOW BOOKSを物色。笠井叡『天使論』(1972)が6000円で売っていた。んー、悩む。躊躇。

そこからさらに、歩いて歩いて渋谷というか駒場方面へ、途中氷川神社で柏手打って、さらに歩いて駒場高校前の魚屋(いや、金魚屋)に着く。水草を買う水槽に夢を膨らませる。

夜、芸術劇場でチェルフィッチュ『目的地』が放映されていた。見る、と随分カメラがスイッチングしている。セリフと身体がぎりぎり細い糸で繋がっている彼らの芝居でこんなことしたらほんとバラバラになってしまう、よ。ダンスが映像化しにくいのと同じレヴェルで映像では伝えにくい存在なのだ、チェルフィッチュは、よく分かった。

翌日、昼頃にメールが届き問題解決。途端に眠くなる。夜は上智大でフリードのクールベ論を読む研究会なのだ、ちょっと寝ておこう。

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