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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

DA・M+コンドルズ

2005年03月22日 | Weblog
3/21二つの公演を見る。

DA・M『Happy BIrth dayはっぷ ぴー ばーす でい』(@プロトシアター)
三人(女・男・女)が舞台左右と奥に観客に対して正面を向かない姿勢で鏡に向かう。化粧を施す、といって、例えば女が太ももにヒールをテープで巻いているとか、男が短髪に洗濯ばさみつけてみたりしているとか。ちょっと外れている。ナルシスそして没入。三十分ほどそんな時間が続く。これが意外と退屈しない。別の男があらわれて、それがきっかけに三人は重なり出す。日本にやってきた南米の娼婦?そんなこと想起させるつぶやきが聞こえる。南米の歌が流れる。この辺りから次第にぼくの中では「ピン芸人三人の合同コント」というアイディアが点滅し始める。ただし、笑いの先端三センチを切り取った、そんなところがある。
最近、何かと「没入」のことを考えている。そのきっかけは確かピン芸人のグランプリをテレビで見たことだった。ピン芸人(のなかの設定されたキャラ)は変な角度で自分に没入していて、自分の正常が世間の異常である事を気づいている場合もありまた気づいていない場合もあり、その辺りの幅のなかで、観客と自分との関係と距離をつくりだす。いずれ「ピン芸人考」とでもいうものを書きたいと思っていますが、簡略的に言えば、そういう没入の深さを観客はこの三人から受けとりつつ、楽しむ、そういう仕掛けになっている、どうもそうだ。ただし、笑いの先端三センチは切り取られていて、だから、笑いは全く起きないし、もちろん笑わせようとはしていない。もうちょっとではみ出して、観客と笑いの関係を取り結ぶ手前で「寸止め」、そしてひたすら「イ」かない時間を延長し続ける。その点では、良かれ悪しかれ「アートだな」と思う。数日前に見たOM-2はアートの外装を身に纏った催眠コントロール集団だったことを思い出す、そう、彼らと比べてもアートというラインの中で安定している気がどうもしてしまう。
そう思ってからは、だいたいその考えの中で見通してしまった。三人が絡むと対話性が生じて、さらに安定した演劇になってくる。そうすると「没入」もあるイメージのなかへの没入として、役への没入とほぼ同類のものとして受けとりやすくなる。

終わったのが六時半。次は七時だ!こりゃもう、タクシーに乗るしかないか。急げ!東京グローブ座。

コンドルズ『JUPITER』ENCORE(@東京グローブ座)
多分、DA・Mの安定感は、観客との距離の取り方が安定していることにある。そこにぼくは、「アート」なるものを読み込んでしまうのだけれど、一方、コンドルズはそういった「アート」なんてものを完全に放り投げていた。じゃこりゃなんなのだ???正直、客席にいての動揺の度合いは、こっちの方が大きかった。
まず、開演前。観客の顔が、普段コンテンポラリー・ダンスで見る雰囲気と全く違う。若い。そして純粋に楽しもうとしている。「笑いに来た」といった気合いが感じられる(ちょっと踊り見に来たんじゃないの?とは思っちゃうけど)。そして東京グローブ座が超満員という事実(追加公演でさえありながら)。どうしたら、これだけの観客が呼べるのだろう。『トップ・ランナー』出演は大きかったのだろうか。このマジックには、どんなコンテンポラリー系のダンサー、制作のひとも関心をもつべきだ、よ。だいたい出演しているダンサーたちは全員オッサンなわけで、かならずしも面白いとは言い難いネタと、必ずしも上手いとは言い難い正直周囲をだらけさせているダンスをコンテンツにし、たとえ抜群に面白い近藤良平のダンスがそこにあるとは言ってもわかりやすい認知度があるわけではない彼だけが目当てではないだろう観客は、いったい何をここで楽しんで帰ったのだろうか。
でも、笑い→ダンス→笑い→ダンスという構成など、明らかにコンテンポラリー・ダンスのひとつの戦略に重なるようにも思えるし、もはやいわゆるジャンルとしてのコンテンポラリー・ダンスには入れる必要はないだろうけれど、一部方法としてコンテンポラリー・ダンスの応用のように感じるところがある、わけで、、、ならば、ボクデスが、康本雅子が、森下真樹が、、、こういう熱い若い観客を獲得することもないわけではないのではないか?そんな連想が始まってしまった。例えば、(新)吾妻橋ダンス・クロッシングを東京グローブ座でやり、コンドルズとコンテンポラリー系のおもしろなダンサー達が対戦する的企画でいく、とか。この客にボクデス見せたいなー。
でも、冒頭にも書いたことだけれど、彼らはまったく「アート」に寄りかかっていない、その代わりにするのは観客とのコンタクト。ロック・コンサートのフォーマットを利用したそんな密なコンタクトがあってこその盛り上がり。そこ、どうしよう、コンポラ。

さて、せっかく新大久保にいるのだからと、コリアン料理の店を探す。「松屋」という店にはいる。凄かった。美味かった。

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