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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

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2007年05月09日 | Weblog
ようやく頭がまわりはじめた。ともかく、時間がないので、すいすいと進めなきゃいけない(原稿)。たいてい「はっ」と気づくのは朝にタバコを買いに行くときというのはどういうことなのだろう。考えながら歩く、歩きながら考える。よけいな景色が見える。冷たい風が体を通る。一旦寝たことで体がリセットされている。そんな身体の質が、アレ!と記憶の倉庫から不意に宝物を引き出してくる。歩くコースが、思考のコースを刺激する。

昼の一時に、一人お客さんが来て、ポスト・モダンダンスの映像を2時間みっちり見続ける。ひとに話すと自分の頭が整理される。思考も可視化しなければならないのだろう。『アキュムレーション・ウィズ・トーキング・プラス・ウォーターモーター』(1979)は、本当に素晴らしい。DVDで出ています。すべての人類におすすめします。「アキュムレーション」という極めて算術的な構造の作品と、「ウォーターモーター」という極めて幾何学的な作品とが、2つの物語を話すという極めて説話的なものとともに、ひとりのトリシャ・ブラウンというダンサーの身体の内で組み合わされる。しかもその状況への実況中継的おしゃべりも加わって展開される、驚異のミクスチャー。80年代のインタビューによれば、彼女はこの時期、公演の最初の演目でかならずこの作品を上演していたのだという。なぜかというと「私が生きてまた起きていること、私が彼ら[観客]を見ることの出来ること、彼らが私の息を聞くことの出来ることを観客に知らせるために、つまり私が人間で感情をもった存在であることを知ってもらうために」(TDR, 1986)だったと言う。ぼくが漠然と夢見ている理想のダンス公演の姿はこれだったんじゃないか、という気がしてしまう(フラットな照明の中、観客に語りかけながらすごいシンプルだけれど魅力的なダンスをぼくレヴェルで素人なダンサーがデュオで踊る、というダンスを漠然と「良いな、見てみたい」と思っていたのだった)。

三時過ぎに、プライベート・レッスン(というか、ぼくとAとでビデオ見ながらぎゃーぎゃーいう)を終えると、東京見物(取材と称する)をしに六本木ミッドタウンへ。ショッピング・エリアの値札が、すべてちょっと良い店のさらに二倍の値段なのに、なんとなくAと二人でしょんぼりした気持ちにさせられる。バブリーな気分てやつかこれ(セレブなんすか)。ゴミ箱に使うような木の皮で編んだなんてことないかごが8000円する。

そこから、リトルモア地下でやっている伊藤存の展覧会へ。すばらしい、ともかく素晴らしい。ぼくは伊藤さんと同い年だ(今日、いっこ年が増えてしまったけど!)。同年代としていい嫉妬を感じる。へんな表現だけど負けたくないと思ってしまった。刺繍の作品が5作だったか、それとドローイングが沢山展示してあった。ビデオ作品も2作。一本の線から引き出すことの出来る様々な可能性が、一人の作家の中で爆発している(つまり、ひとつの展覧会で呈示しているのが一個二個の発見ではなく百個、という感じ)。変容、展開、ひとつの出来事がひとつの意味に落ちていくことの決してない、豊かな運動の世界。

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