島谷さんのブログによれば、「うさうさ脳」が広まったキッカケの番組「人間!これでいいのだ」で「絵文字がボケ防止に繋がる」という話が出たようだ。
女子高生の間で使われる絵文字が複雑化してきており、それを読みとろうと考える努力がボケに繋がるということらしい。
番組をみていないので断言できないが、島谷さんの文からするにかなり眉唾。
端的に言えばその論でいくと、「絵文字」の部分は「囲碁」でも「計算ドリル」でも、代用できるものはいくらでもありそうな気がするから。
要は「論理的思考を重ねる習慣・機会」の有無ということだけの話だろう。
「絵文字」が嫌いなわけではない。
あれはあれで面白いとは思うし、ボケ防止に絵文字を使いこなす年輩の方がいらっしゃっても良いとは思うが、ただあまり格好が良いとは思わない。
年輩の人はその年齢相応の、落ち着きのある文章の方が似合っている。
別段難解な絵文字が、難しい漢字でもいいじゃないか。
第一、絵文字に「慣れて」しまって「読解に苦労」しなくなったら、やっぱりボケると思うのだけど如何?
「考えないザル豆まき碁」が、ボケ防止に役立つとは思えないように。
「絵文字」の前段階に「顔文字」があるが、私は当ブログでは基本的に使わないことにしている。
以前にも書いたかもしれないが、「顔文字」という表現を乱用すると、文章に感情を表現する能力・ボキャブラリーが著しく低下すると思うから。
プロでもないのだから低下しても別段問題なかろうし、他の人に強要するつもりはサラサラない。
しかし自己の文章表現力の低下は、ひいては読解力の低下にも繋がる。
それが耐えられない。
ブログやHPですぐ議論になったり、しまいには炎上してしまう原因は、顔文字等が氾濫するネット社会の表現力と読解力の低さにも原因にあると思われる。
よく国語の「読解」の問題が揶揄されることがあるが、確かに試験問題で「くだらない」と思われる設問があるにしても、文章をキチンと読み、その文章の流れから言外に述べようとしていることも察するための訓練や授業は、ボケ防止のために絵文字を華麗に使いこなすより、ずっと人間的に大事だしボケ防止にも役立つと、私は思う。
女子高生の間で使われる絵文字が複雑化してきており、それを読みとろうと考える努力がボケに繋がるということらしい。
番組をみていないので断言できないが、島谷さんの文からするにかなり眉唾。
端的に言えばその論でいくと、「絵文字」の部分は「囲碁」でも「計算ドリル」でも、代用できるものはいくらでもありそうな気がするから。
要は「論理的思考を重ねる習慣・機会」の有無ということだけの話だろう。
「絵文字」が嫌いなわけではない。
あれはあれで面白いとは思うし、ボケ防止に絵文字を使いこなす年輩の方がいらっしゃっても良いとは思うが、ただあまり格好が良いとは思わない。
年輩の人はその年齢相応の、落ち着きのある文章の方が似合っている。
別段難解な絵文字が、難しい漢字でもいいじゃないか。
第一、絵文字に「慣れて」しまって「読解に苦労」しなくなったら、やっぱりボケると思うのだけど如何?
「考えないザル豆まき碁」が、ボケ防止に役立つとは思えないように。
「絵文字」の前段階に「顔文字」があるが、私は当ブログでは基本的に使わないことにしている。
以前にも書いたかもしれないが、「顔文字」という表現を乱用すると、文章に感情を表現する能力・ボキャブラリーが著しく低下すると思うから。
プロでもないのだから低下しても別段問題なかろうし、他の人に強要するつもりはサラサラない。
しかし自己の文章表現力の低下は、ひいては読解力の低下にも繋がる。
それが耐えられない。
ブログやHPですぐ議論になったり、しまいには炎上してしまう原因は、顔文字等が氾濫するネット社会の表現力と読解力の低さにも原因にあると思われる。
よく国語の「読解」の問題が揶揄されることがあるが、確かに試験問題で「くだらない」と思われる設問があるにしても、文章をキチンと読み、その文章の流れから言外に述べようとしていることも察するための訓練や授業は、ボケ防止のために絵文字を華麗に使いこなすより、ずっと人間的に大事だしボケ防止にも役立つと、私は思う。
ふと思ったのですが、「うさうさ脳」は何故、腕の組み方や手の組み方で判別できるのか、説明はあったんでしょうか?
楽しければなんでもオッケーの拙者はブログのネタになったと尻馬に乗ったのでゴンス。(/o\)