愚痴っぽい話は出来るだけ書かないようにしているが、今日はご容赦。
「囲碁やめようかな症候群」について、一つ悟ったことがある。
「囲碁が面白くないのではない」
「囲碁を打っている人がつまらないのだ」
勿論、囲碁ブロガーを指すのではなく、タイゼムでの打ち手達の事。
思い起こせば囲碁そのものに、嫌悪感を抱いたことは一度もないのだ。
それでいてどうもネット碁を打っていても心躍らない。
取り立てて不快な体験を最近した訳ではないが、こちらが「決まった」と思っても、まず投げてくれないからスッキリしないのだ。
元々ネット社会はモラルなど、あってなきが如し。
モラル依存性の高いボードゲームである囲碁は、観戦はともかく対局の場としては、ネットと親和性が低いのかもしれない。
「囲碁やめようかな症候群」について、一つ悟ったことがある。
「囲碁が面白くないのではない」
「囲碁を打っている人がつまらないのだ」
勿論、囲碁ブロガーを指すのではなく、タイゼムでの打ち手達の事。
思い起こせば囲碁そのものに、嫌悪感を抱いたことは一度もないのだ。
それでいてどうもネット碁を打っていても心躍らない。
取り立てて不快な体験を最近した訳ではないが、こちらが「決まった」と思っても、まず投げてくれないからスッキリしないのだ。
元々ネット社会はモラルなど、あってなきが如し。
モラル依存性の高いボードゲームである囲碁は、観戦はともかく対局の場としては、ネットと親和性が低いのかもしれない。