かなり前の話で恐縮だが、LG杯予選を結果は図らずも「
碁ワールド5月号」の対談の中にあった
「トップレベルに差はないが、日本は若手の層が薄い」
というのに反することになった。
黄イソプロが予選を勝ち抜いたし、井山プロ、安斎プロなども奮闘した。
少し前に月刊「囲碁」誌上で行われた、U-20大会の面々が活躍しているのが嬉しい。
「若手も捨てたものではない」
と思ったの人も多いのでは?
対して、山田(規)プロ、柳プロ、趙(善)プロ、坂井プロなどは軒並み撃沈。
坂井プロはアマチェアに負けてしまったのだから、擁護のしようがない。
むしろこれら30代以上の棋士の不甲斐なさを、クローズアップすべきか。
しかしこれらの結果をみると、
棋士達の成績はそのそれぞれの世代の、周りの囲碁熱を単純に表してだけなのだという気がする。
つまり30代以上の棋士が好成績を挙げられないのは、pgさんの唱える「
囲碁不毛世代」棋士達だからではないか…と。
決して本人達の不勉強ではなく、一番伸びる時期に強烈な切磋琢磨出来る「人数」「環境」に恵まれなかったせいではないか…と。
今の中韓は周りが囲碁に取り組む環境を、異常な熱気で整えてくれる。
強い若手が次々出てくるのは、当然ではないか。
中韓も李チャンホプロより年上の世代は、それほど凄いわけでもない。
李プロの後5年ぐらいも、人材的に少し空白があると思う。
あくまで私の印象だけど。
李プロ以前だと、プロ、劉プロ、徐プロなど実績ある棋士はいるが、プロなどは半分日本の囲碁ブームの中で育った棋士だし。
中国にも聶プロ、馬プロなどが強かったが、こちらもその後の常プロ、周プロ以降と比べると見劣りすると思う。
片や日本も王銘エンプロ以降、30代以上で活躍した棋士というと依田プロ、山田(規)プロ、結城プロ、柳プロ、趙(善)プロ。
むしろよくぞこれだけ痩せた土壌(囲碁熱の低い中)で、これだけの才能が出てきたなと私は感心する。
それまでの遺産の強みというところか。
穿った見方をすれば、少し前まで「世界最強」の名を欲しいままにした「石仏」李プロも周りの山が低いから、高い山に見えたということもないだろうか?
山々の奥に控えるエベレストと、孤高の富士山が同じくらい立派に見えるように。
勿論、李プロがエベレストでなく、富士山だというわけではないですが。
以上は余談。
そういう意味で、世界の現状は仕方ないと思うのだ。
ちょっと勉強したくらいでトップの棋士が、2子も3子も強くなって世界をバリバリと席巻するなどありえない。
断っておくが、これは決して「諦め」の台詞ではない。
現状を認識し、もっと「次」を考えた動きをすべきだと言う提言である。
これらの土壌を作ってこなかった責任は勿論、日本、関西両棋院にもあるが、ファンにも責任がないとは言えまい。
プロにしてみれば世界戦が遠い絵空事だった昔は、
「若手を強くすれば、自分達のパイが減る」
というジレンマを抱えていた。
その昔、梶原プロが木谷門下を鍛えたとき、あるプロから
「梶原先生のおかげで、我々はおマンマの食い上げですよ」
というようなことを言われたことがあるらしいが、これが平凡なプロ棋士の心理だったと思われる。
木谷先生や呉先生、梶原先生、藤沢先生が偉大な一方、囲碁界全体としては若手の育成が後回しになったのはむべなるかな。
対してファンは強いプロを生む土壌を作るのに、何の弊害もなかったはず。
その動き、熱気如何で今のプロ界は大きく変わっていた可能性は大である。
だから若い人たちはともかく、30代以上の我々ファンの人達が今やるべきは、日本の不甲斐なさに腹を立て汚い言葉で罵るよりも、遅まきながら身近な子どもに少しでも囲碁の楽しさを知ってもらえるよう努力し、良い棋士が生まれやすい土壌を作ることではないだろうか?
古い棋書の度々出てくる、50年代以前の「囲碁ブーム」を何とか復活させるよう努力すべきではないかと。
土壌が出来てそれでもプロが弱かったら、その時は遠慮なく罵れば良い。
そして土壌さえ出来れば、この悔しさを晴らすのは思いのほかアッサリと達成されそうな気もするのだ。
ちょうど韓国に全然勝つことの出来なかったサッカーが、Jリーグが出来たとたんそれなりの勝負になってきたように。
その点に関してだけは、割と楽観的に今の囲碁界をみている。