学校の先生になりたくて、教育系大学に入りました。4年になって、勉強が難しくなりましたが面白くなって、卒論(原子核乾板における中間子の研究)が面白くなって、大学院へ行きたかったのです。しかし、父が、お前は5人兄弟の1番上だ。鉱山職員の給料では、無理だといわれました。それで、公立高校の教員になりました。あとで思いました。もう少し知恵があれば大学院へ行く方法は幾つかあったのに。
教員になって、生徒が金がないけど大学へ行きたい、大学院へ行きたい、親が反対する、と言ってくることが何度もありました。親に会って、本人のがんばりで、金銭負担が親にかからない方法や、時には、家出を勧めたこともありました。結果は失敗したことありませんでした。
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