さっぽろ物理塾です

ここは私の五感と第六勘の場所です。
過去現在未来の時空を行き来するでしょう。
希望を込めての日記・エッセイです。

さっぽろ物理塾  宵の明星ー4.2等星

2012-03-29 10:30:13 | 日記・エッセイ・コラム

    木星の近くにひときわゆうずつも 弥生の西に月も近づく                                  

                                      3月26日19:40

       木星:-2.2等星   ゆうずつ(長庚:宵の明星・金星)ー4.3等星  月:下弦

       実にすばらしい眺めです

  三月夕闇の西天低めに、金星と木星の共演です。下旬には、月が下弦になりつつ金星に近づきます。東天には、赤き火星が目立ちます。

 3月26日は、札幌も久方ぶりに夜空が晴れわたりました。風呂上りの眺めが最高

夜になって、LEDライト・レーザーポインタ・懐中電灯を点灯して空に宇宙に向ける。マッチを点火して、ろうそくに火を付ける。

こうして、光を、地球のこの地から宇宙に発信!

光速で どこまでも どこまでも

2秒もあれば月を過ぎて

1時間後には太陽系の端

数十年で銀河系を後にする

途中、宇宙塵かどこかの星に当たって、吸収されて少しの熱になるか、一部は反射して、また進む。

あるいは空間のゆがみに沿って進む。

幸か不幸か どれにも当たらないと どこまでも進む。

アインシュタインの理論では、いつかは曲がって曲がってこの大宇宙を進んで

発光した場所の真後ろに達するという。

光には、質量がない  質量って何?

光速より速いはないって  なぜ?

空間って  どんなこと?

宇宙塵って  何からできている?  

星って  何からできている? 

太陽系って どうなっている?

銀河系って  いつからあるの?

大宇宙って  どうしてわかるの?

 どれもなぜあるの? いつからあるの? いつまであるの?

空間があるなら 空間が無いってことも 言えるの?

この大宇宙のほかに 宇宙というものは あるの?

 人は どうしてこんなことを  思うの?

 私は、子供のころから不思議でした。

YMCAじっけん教室の何人かの子供が不思議に思っていることを知りました。

やっぱり、いまどきの子供だって、そう思う人がいるのです。

ほかの子供たちもみんな、覚えた言葉で感じて 知って 考えて、工夫して、作って・作業して

育っていくでしょう。

 私もまだいろいろ出来そうです。

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さっぽろ物理塾  貧乏でも数学と物理は勉強できる

2012-03-23 10:59:03 | 日記・エッセイ・コラム

小学校4年生のときに大火があって、社宅である家も燃えた。貧乏の始まり。

6年生の秋、弟妹3人を残して母がリンパ腫で亡くなった。家にあるめぼしいものは、母の「シンガーミシン」だけ残った。保険がない時代、家の中はがらんとしていた。父は苦労した。

継母が来て、以来、いろいろあった。

中学生のときの夏の日曜日の朝、一人で鍬を担いで山の畑の草刈りに行く途中、ふもとの家の窓から、音楽が聞こえてきた。すごくいい気持ちになって力がついたたことを今でも思う出す。 後に、ベートーベン「第九」の第4楽章と知った。

この頃から、自分の先祖はどんな人だったのだろう、どこに住んでいたのだろうと強く思うようになった。

私は、高校2年生から育英会奨学資金を借りた。初めは、成績もそこそこであったが、卒業の頃はだいぶ下がった。

ひたすら、平家物語、トルストイなどの本を読んだ。ショウペンハウエルや三木清を読んだ。

自分はどうして自分と分かるのか。元素から作られている自分は、どうして考えたり動いたりする意志があるのか、とても不思議であった。

ア数学の微分は、小さく微小にしていくと、一気に放物線の一点における勾配が出ることが納得できなかった。積分は、小さく小さく短冊にしていって合成すると、一気に放物線の区間の面積が出ることが納得できなかった。ともかく数式に当てはめて計算すると答えは出る。先生に聞くと、馬鹿にされそうだった。これが数学のつまずきになった。

物質はいかにして作られたか、どうしてあるのかと考えると、宇宙はいつからあるのか、どうなって変化して、いつまで続くのかと思うようになった。高校物理の教科書をひたすら読んだ。

高校では、物理部に入って、雰囲気に浸った。すごい先輩がいて私は見ている前で紙に配線図面を書いて、これを作ってと渡される。聞いて聞いて組み立てるとらじをが聞こえる。真空管がだるまからミニチュア管にまで変わる時代であった。

北大から物理の先生が赴任して、準備室で原書を読んでいるのを見て、とても憧れた。物理を勉強したいと強く思った。私が卒業してから2年後に、東北大学に行ってしまった。

この頃から、湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一、武谷三夫先生の解説本を読んだ、さっぱりわからなかった。でも読み続けた。

こんなことをしているから、成績は上がらなかった。当然、大学受験に向く勉強にはならなかった。

で、ともかく教育大学に入った。教育大学にも中野先生という原子物理の先生がいると聞いていた。四年間、奨学金を受けた。毎年、前期・後期とも授業料の減免を申請した。大いに助かって、それでも足りず、家庭教師を続けた。

三年になると先生から、物理教室の者は勉強をすることに専念するよう、アルバイトする時間はない、と申し渡された。黙ってアルバイトを続けなければならなかった。

4年間、何人もの家庭教師をしていて、どの子も良く勉強して、頂く夕食やおやつがとてもとても嬉しくて有難かった。

3年になって、札幌分校に移った。中野先生は、東大8mリング加速器建設にかかわって1年間行っていた。ひたすら帰りを待った。四年になって戻られて、講義を受けるようになって、やっぱり凄いと、日々感銘を受けた。自分でも倍勉強したいのに、出来がよくないことを実感した。高校時代のベースはとても大事だ。数学が弱かったから、特に感じた。

それでも、卒論に「原子核乾板における中間子の研究」をしたいと名乗りでた。担当の先生は躊躇したことを覚えている。あとで中野先生は励まして下さった。

当時は、‘60年安保の時代であり、国際地球観測年の時代であった。日本は燃えていた。

親戚、友人、近所の兄さん、小中高校の先生や憧れの科学者から選択しての影響があって、私がいる。

こうして、今がある。

今、思う。せめて放送大学程度には数学を勉強したい。

シュレディンガー不等式を中心としての量子論をしっかり勉強したい。

エレクトロニクスを手掛けていたい。

日本画も描いていたい。

新発田重家と存命の環境を追っていたい。

大地に接して、食べる作物を作っていたい。

あと数日で、私は73歳になる。歳のことは考えないことにしている。行けるとこまで行くことにしよう。


さっぽろ物理塾  北の土偶展で感銘

2012-03-16 09:02:25 | 日記・エッセイ・コラム

3月6日から開催している、北海道開拓記念館「北の土偶」縄文の祈りと心 に行きました。

かの道南から発見された「中空土偶」を見て、北海道の縄文時代1万年に思いをはせました。

「中空土偶」は、私には、女と男の要素もある「人」の象徴に見えました。わずかに首をかしげて、見る側から右にかしげてがとても好感を持てました。体がすっくと立っているのにです。

顔面の装飾跡らしき模様は、不思議を誘います。

身体は、見事な不思議な文様に意志が込められているかのようにも見えました。胸部から上を強調しているかのようです。

縄文時代の人の特徴でしょうか、肩ががっしりしています。薄物をはおっているかのようにも見えます。

他の縄文土偶とどうも異なるように見えました。脚部が長いのです。踵から先が無いに等しいのです。

全体に、実に精巧緻密なのです。赤土ゆえの艶が、それは美しいのです。

胸部から上部の強健な曲線と、脇から下部の見事な曲線に見とれました。

縄文時代の集落は、風向明媚なゆるい斜面か台地に多いものです。

海岸近い、大きい川に近い低地には大きい集落は無いようです。

大きい川や海岸に近い所は作業場であったのでしょう。集落はあっても、天変地異によって、ひどい目に会ったでしょう。

狩猟も農耕もあった時代でしょうから、住む働くの使い分けをしていたと考えました。

永く定住するうえで、天変地異の叡智をもったのではないでしょうか。

弥生時代に入って、低地に多くの集落が出来てから、天変地異の影響が災害を多くしたのではないでしょうか。

日本列島本州に永く住んでいた人々は縄文時代人のDNAが弥生時代人のよりも多いことを

が分かってきているようです。平均してのことです。

土偶展を見て、改めて人間の歴史から学ぶことの意味を感じました。

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さっぽろ物理塾 YMCAで授業

2012-03-03 10:33:50 | 学問

4月から、北海道YMCAで小学生に「おもしろ実験教室」を受け持つことになりました。

 URL  http://www.hokkaido-ymca.or.jp/    

人は、生まれてからずーと、使える五感を働かせて言葉を知るから、考えることができるようになります。

それで、第六感も働くのです。

どんなレベルにしても、教育を受けつつある子供は五感をうんと働かせる経験をして、言葉を知って考えるようになります。

初めから、理系だの文系だの芸術系だの体育系などとと分けると、とんでもない失敗をするものです。

どんな経験を積み重ねていいるにしても、大人はやはり使える五感を働かせて行動し、読み・書き・計算もしていて、生きていることが好ましいものですよね。

家にいても、学校でも、遊び場でも、身近のものごとに注目して、視覚・触覚・聴覚・嗅覚・味覚を意識すると、新たな発見が実に多いことに気がつきます。不思議に思い、なぜかを知りたくなります。

そして、思いついたりひらめいたりします。

大人も子供もそうですよね。

こうした経験を長くすると、遊びや趣味はもちろん、仕事にも、生活にもイメージが豊かになり楽しくなります。

ものごとを工夫したり発明したり新たな発見が喜びになるでしょう。

 4月からのYMCA子供のためのプログラムで「おもしろ実験教室」授業がとても楽しみです。

 忘れものをした子供に、「なぜ忘れたか」と詰問するほど、ダメな人はいません。こんな親や教員にはなりたくないものですね。自分が子供の頃を思い出すことすら忘れています。

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