さっぽろ物理塾です

ここは私の五感と第六勘の場所です。
過去現在未来の時空を行き来するでしょう。
希望を込めての日記・エッセイです。

きれいな教室にすると

2018-08-16 20:47:37 | 受験・学校

担任を持って3年間を過ごして卒業させたら、すぐにまた3年生の担任を引き受ける
ことがあった。 理工系進学希望クラス。 40代半ばの頃である。
大変なクラスであることを知った。あちこちに落書きがある。掃除をきちんとしない。
授業が成立しない寸前であり、まもなくいじめがあることも知った。

始業式前日までに教室の落書きをすべて消した。シンナーで。
 毎日、書かれた落書きを消した。生徒が帰った後で。
始業式当日から、放課後の教室掃除に付き合った。 生徒に声掛けをした。
生徒に用事があるときは、教室に出向いて呼び出して伝えた。
 わざわざ、用事を作っては、多くの生徒に声かけに出向いた。
退勤前に、教室の机を前後左右をきちんと揃えた。床の木タイルの線に合わせて。
 1ヶ月もすると、机の乱れは少なくなった。卒業まで続けた
いじめの現場に出会った。大勢が知らぬふりをしていた。
 本気で怒った。私の場合、愛のむちはあり得ない。いじめはなくなった。


家庭訪問週間を設定した。希望日と希望時刻の欄を作って、記入させた。
出来るだけ、両親も家族もいるよう希望した。
 家庭訪問では、授業態度や学業成績のことを話さないようにした。
 生まれていつ首が座ったか、いつごろからハイハイしたか、お尻でずったか、
 幼稚園・保育園から小学生の頃の思い出などを家族から聞きだした。
 生徒の部屋がきれいになった。たばこの匂いもほとんど消した。
 家族は、先生が来るというだけで、こんなになるとは、と驚いた。
 最も問題生徒は、立ち直った。
車を持っていなかったから、自転車で走り回った。札幌市北区西区そして石狩市内を。
 

卒業の時は奇跡が起こった。





物理試験の追試

2018-08-15 14:18:47 | 受験・学校

中間試験・期末試験で物理の試験はなかなか工夫が要るものでした。
100点満点で、ボーダーを30点です。
何人かは30点未満です。考えました。そして

各人に、一人5問を前もって提示しておきます。
問題提示後1週間以内に、私に5問のうち3問の解答を説明して見せること。
おもしろい事が起こりました。該当生徒は、出来る生徒に一生懸命に聞くのです。
当日、廊下で腹ばいになって、紙に書いて、説明の練習をしている生徒もいます。
出来る生徒は、改めて勉強になります。お互いにより仲良くなります。
二度もボーダー以下の点数の生徒は、ほとんどいなくなりました。

 

こんなこともありました。

物理が出来る生徒がいました。そこそこの点数を取って慢心気味でした。
親との面談のとき「息子はこれではだめです。今度の試験で赤点をつけてください」
それで、考えました。彼にはこいういう問題は苦手だろう。
平均点50点になるように想定した問題を作りました。
彼の得点は29点でした。自分でも驚くほどうまくいきました。
彼は、以後発奮して大学進学しました。今や50歳を過ぎて、大企業情報系部門の幹部です。
今の私は、こんなことはもう出来ないでしょう。あの頃私は40代でした。

 


高校物理の自作自答試験問題

2018-08-14 14:25:25 | 受験・学校

中間試験や期末試験は評価でもありますが、奮起でもあります。

私は毎年1回、問題の最後に「自分で問題を通って5点、解いて10点」を課しました。
年度初めに「物理では、1回は、自分で問題を作って、それを解きなさい、と出題します」
と予告しました。試験問題は出題の範囲があります。その範囲内での問題です。
 例えば

  運動方程式 F=ma に関する問題を作りなさい   (5点)
  この問題を解答しなさい               (5点)

出来る生徒は、決して安易な問題を作りません。なるほどという問題を作ります。
自分が作った問題を解けないこともありました。
物理が苦手な生徒は、それなりの問題を作ります。多くは解答していました。

自分で問題を作るとは、それなりに理解していることになります。
解答するということは、確かめることです。
大切なキーワードを捉えて知る練習です。

生徒は、自分なりのプライドがあります。頑張るものです。

 


生徒が遅刻したら

2018-08-12 21:01:38 | 受験・学校

40代になって実行しました。
担任になって、どうも困るのが生徒の遅刻です。
親も、本人も困っているのです。
朝のHRで宣言しました。リスクも想定しました。
「明日から3回遅刻したら、グラウンド5週のペナルティーとする。
昼休みあるいは放課後に実施する」と

3回遅刻した生徒がいました。昼休みを希望しました。
生徒は体育着を身に着けて、グラウンドに出て、走り始めました。
私も体育着を身に着けて、グラウンドに出て、一緒に伴走しました。
生徒は、え、という顔をしながら走りました。
校舎、の窓から何人もの生徒が何事だろう、と見ていました。
5週後、終えました。

以来、彼は遅刻をしなくなりました。

以後、二人がこのペナルティーを受けました。
それ以降の私のクラスから、2回までの遅刻はあっても
3回以上の遅刻はなくなりました。

今となっては、このペナルティーを体験した生徒は、覚えているかな。