20代の学生時代に「資本論」を読んだ。
泉田先生の資本論特講で数人の学生のゼミ形式であった。
特講では終えないので、あとは自分で読んだ。冬休み春休みいっぱいかかった。
食事・トイレ以外は極力読み続けた。そんな気持ちで読んだ。
泉田先生にはずいぶん質問したり意見を交わしたりして、読んだ。
価値論が問題であった。今もそうであるらしい。
30代で「プリンピキア」を読んだ。徳永先生と高校物理教員2名で、
1年かかって現在の教育大函館校物理徳永研究室で、ゼミ形式であった。
残りは、自分で読んだ。
僕なりに気づいた。19世紀の「資本論」は15世紀の「プリンピキア」かな、と。
19世紀の半ばは、イギリス産業革命、蒸気機関の実用が進み、熱力学が確立する
過程であった。その時代にあって、「資本論」に熱エネルギーや力学的エネルギーの
概念がないことに気づいた。
先進的であったはずのマルクスは科学・技術の勃興期の理論を知らなかったのか。
どう探しても、著書には見られない。
数年前から、仮想通貨(バーチャルマネー)が通用し始めて、実用に入りつつある。
気づいた。
貨幣の始まりは仮想エネルギーであったのでは、と。
人類は、物々交換の不都合から貨幣を発明したといえよう。
地球上にある物を採取し、加工し、運搬し、交換するエネルギー変換を価値交換と
言えるのではないか。
このエネルギーの代替としての貨幣の発明であった、と言えるのではないか。
エンゲルスは科学に関心はあったらしいことは「自然弁証法」にうかがえる。
それにしても、「進化論」どまりに思える。
マルクスもエンゲルスも当時の物理学者たちの考えには鋭い批判をしているのを感じて、
僕は20代から??と思いつついた。
僕は革命が嫌いだ。古今東西の革命は、少数の目覚めたと称する権力亡者が多数の愚者
を扇動して多くの殺戮の上に欲望を築く。
さらに、必ず、反革命といって見せしめもあって、多数をライバルにして殺戮する。
古代ギリシャ時代の奴隷制のもとで成り立つ民主主義を現代民主主義になぞらえている。
20世紀以降、民主主義から始まる国名は独裁国家であろう。
21世紀の今や革新を標榜する団体は旧守派の要素を強めている。ポピュリズムが怖い。
これからの民主主義は、とてもコストがかかる思想であるのではないか。
超人工知能時代の民主主義の思想・哲学構築が始まりつつあるのを感じながら、もどかしい。
たぶん、人類の改革が始まっているのだろう。
宇宙論研究者がいう「人間原理」の思考もその一つであろうか。
大げさではなく、宇宙の根源にかかわる時代に入りつつあるのを感じている。