冬の居間に咲いた強烈な彩です
仏教でいう「天上天下唯我独尊」は小学生の頃から知っていました。近年の国語辞典では多くは「独りよがり」あるいは「おれが一番」の意で説明しています。これまで、そのような遣い方を聞いたことありません。お釈迦さまがそんなこという筈がないと考えていました。私なりに自我の大切を示しているととらえて、大人になって認識論をも示唆しているように思えました。
10年近く前に当時の永平寺管長宮崎様から、人づてに「唯我独尊」色紙を頂戴しました。8年前に、ある人の随行として永平寺を訪ねて、管長宮崎様にお会いしたこともあります。短い会話で、尊敬の念を抱きました。
以来、デカルトの「われ思う、ゆえに我あり」と全く違うとも思えずにいます。相似なのか大同小異なのか同じことなのか、と考え続けています。
というのは、最近シュレディンガー波動方程式・不等式を巡って、にわかに波立ってきています。このことは、物理学や哲学(哲学も科学のいち分野であれば)における認識論にかかわる要素を強く持っているように思えます。
私は、以前の哲学での認識論は不毛の議論でしかない、と30代で見切りをつけました。それまでには、ずいぶん本を読みました。不可知論には、少し心を動かされました。シュレディンガー波動方程式・不等式は、スターリンのご機嫌をうかがう人から、不可知論だと強く批判されていました。ヨッフェ達物理学者は困ったことでしょう。日本でも、この波動方程式・不等式や遺伝子遺伝学やプレートテクトロニクスを批判する進歩派と称する哲学系の学者は少なからずいました。坂田昌一先生は困っていたことでしょう。
かつての卒業生加藤正久君は、若い頃からシュレディンガーの波動方程式・不等式を深く勉強したいと思っていたようです。定年になって、私に教えてほしいと言ってきました。私の弱点は、数学に弱いことです。一緒に勉強しようと初歩から始めました。量子論の共通のテキストで、主にメールでやりとりしていました。彼は藤沢に住んでいました。私は札幌です。
ところが昨年夏に、彼は病気で急逝しました。私は動揺しました。学問仲間が一人いなくなったのです。私より若い教え子が先に逝くとは、とても」辛いものです。
昨年末から、この方程式の不等式がやっぱり何とかなりそうな気配です。気を持ち直して勉強する気持ちになりつつあります。火をつけてくれた彼に感謝です。彼は、シュレディンガー波動方程式・不等式の観測問題に気がついて、これは認識論の重要な課題と思っていたのでしょう。
彼はとても勉強好きな酪農化学者でした。