さっぽろ物理塾です

ここは私の五感と第六勘の場所です。
過去現在未来の時空を行き来するでしょう。
希望を込めての日記・エッセイです。

さっぽろ物理塾 唯我独尊

2012-02-26 10:29:45 | 日記・エッセイ・コラム

 冬の居間に咲いた強烈な彩です

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仏教でいう「天上天下唯我独尊」は小学生の頃から知っていました。近年の国語辞典では多くは「独りよがり」あるいは「おれが一番」の意で説明しています。これまで、そのような遣い方を聞いたことありません。お釈迦さまがそんなこという筈がないと考えていました。私なりに自我の大切を示しているととらえて、大人になって認識論をも示唆しているように思えました。

10年近く前に当時の永平寺管長宮崎様から、人づてに「唯我独尊」色紙を頂戴しました。8年前に、ある人の随行として永平寺を訪ねて、管長宮崎様にお会いしたこともあります。短い会話で、尊敬の念を抱きました。

以来、デカルトの「われ思う、ゆえに我あり」と全く違うとも思えずにいます。相似なのか大同小異なのか同じことなのか、と考え続けています。

というのは、最近シュレディンガー波動方程式・不等式を巡って、にわかに波立ってきています。このことは、物理学や哲学(哲学も科学のいち分野であれば)における認識論にかかわる要素を強く持っているように思えます。

私は、以前の哲学での認識論は不毛の議論でしかない、と30代で見切りをつけました。それまでには、ずいぶん本を読みました。不可知論には、少し心を動かされました。シュレディンガー波動方程式・不等式は、スターリンのご機嫌をうかがう人から、不可知論だと強く批判されていました。ヨッフェ達物理学者は困ったことでしょう。日本でも、この波動方程式・不等式や遺伝子遺伝学やプレートテクトロニクスを批判する進歩派と称する哲学系の学者は少なからずいました。坂田昌一先生は困っていたことでしょう。

かつての卒業生加藤正久君は、若い頃からシュレディンガーの波動方程式・不等式を深く勉強したいと思っていたようです。定年になって、私に教えてほしいと言ってきました。私の弱点は、数学に弱いことです。一緒に勉強しようと初歩から始めました。量子論の共通のテキストで、主にメールでやりとりしていました。彼は藤沢に住んでいました。私は札幌です。

ところが昨年夏に、彼は病気で急逝しました。私は動揺しました。学問仲間が一人いなくなったのです。私より若い教え子が先に逝くとは、とても」辛いものです。

昨年末から、この方程式の不等式がやっぱり何とかなりそうな気配です。気を持ち直して勉強する気持ちになりつつあります。火をつけてくれた彼に感謝です。彼は、シュレディンガー波動方程式・不等式の観測問題に気がついて、これは認識論の重要な課題と思っていたのでしょう。

彼はとても勉強好きな酪農化学者でした。

 


さっぽろ物理塾 雪げたの音

2012-02-24 10:41:04 | 日記・エッセイ・コラム

この頃、TVなどで、雪道を歩くときの靴音がいいと話題になっています。

気温が低い朝や夜、道を歩きながらの靴音は、自分が生きている音にも感じます。

元気な時もさびしい気持ちのときも、正直に、そんな音がすることを感じます。

高音が混じった低音に聞こえます。

 私は、子供の頃から、寒い夕方に風呂からの帰り道の雪げたの音が好きでした。

手にぶら提げた手ぬぐいが、家につく前にかっちり凍りました。

髪の毛が、パリパリに凍ったものです。おもしろかったものです。

弟たちと一緒のときは、雪げたの音の合奏です。

一人のときは、低音が混じった高音のきれいな音が、歩いている間じゅう、鳴っていました。

寒い冬の夜は、家にいると、外に雪げた音が聞こえたものです。

札幌の今年は、マイナス5℃以下の夕方がよくあります。

雪げたを履いて、玄関前を歩きました。いい音がします。

でも、子供のときのように嬉し気の音とは少し違います。わざわざ、雪げたを取り出して歩いてみる作為が邪魔するのでしょう。雑念がいけないのですね。

きっと、雪げたを履いて雪道を友達の家に行くか、ちょっと田舎饅頭でも買いに行くかすると、いいリズムでソロの雪げた音が聞こえるのかな。

冬の聴覚の妙ですね


さっぽろ物理塾 大地が変です

2012-02-21 11:20:52 | 日記・エッセイ・コラム

札幌での冬の運動には、雪かきがいいものです。

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今年の冬、札幌北区屯田は雪は少ないのですが例年になく、気温が低いのです。札幌気象台公表よりも朝6時30分で、2℃から4℃は低いです。それなのに

1 家屋内北向きガレージ前のアスファルトが10cmくらい露出したままです。

2 玄関前の雪かきで、雪をお向いさんの家のコンクリート塀に寄せています。塀が見えないくらい高くなります。毎年今頃の時期にこの塀まで掘ってみています。               例年は、雪が塀に接しています。ところが今年は、塀と雪の間が3cmくらいの隙間が出来ています。試しに、我が家の前の塀の部分を全部あけてみました。やはり、隙間が続いていました。

 ということは、アスファルトといい、塀といい熱が例年より多いことを示しているのでしょう。

 ここ屯田地区に限ってもいえることですが、雪どけの頃の雪の溶け方が部分的に違います。道路でも畑でも、毎年のように早めに溶ける所があります。

鵡川に勤務していた3年間、車で町内を走行していてこんな場所があることに気が付きました。

十勝の本別町でも3年間の間に、やはりこんな場所がありました。

しかと調べたわけではありませんが、早めに雪が解ける場所は、少しは暖かいのかなと感じました。

どうも、このような場所には、初夏からマムシがいることに気が付きました。

マムシがいる場所では、鵡川でも本別でも植物の生え方が少し良いのです。

大地は、まるで人の皮膚のように微妙に温度のちがう道筋があるようです。地震波(L波)の通り道があるように、大地は1平方Kmでも、一通りではないものです。

札幌も、地下深くでの変動の兆しでしょうか。地下深くでは、休みなくの地球活動が地球誕生以来続いているのでしょう。五感が働くよう心がけていると、面白いように、人間はもとより自然の移ろいを感じます。


雪像氷像の美

2012-02-20 10:05:52 | 日記・エッセイ・コラム

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札幌大通の雪まつりに行ってきました

今年は、寒くて、そのため雪がとても白いままですから、出来た雪像はそれは美しいものでした。テレビ塔前の氷像もイメージを載せる気がしました。

じっくり見たのは10年ぶりでしょうか。

私は以前から取り組んで、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚を意識して物理を勉強する授業するプランを立てました。

このプランでは、どこからでも、いつからでも身近なものを用いた実験から始めることができます。

身の回りのものごとから宇宙まで、過去・現在・未来に繋がる自然科学に目を向けると、人生が面白くなってきます。もろもろの技術も芸術も文学も係わっているものですね。

このことにふさわしい人の資質は、ただ一つ、ものごとに素直であることですね。

忙しい人、意欲的な人、向上心がある人、心優しい人にはとても向いています。

ひねくれ者、怠け者、被害妄想の人、悪口が多い人には向かないようです。

 

  URL    http://www4.ocn.ne.jp/~b-juku/        さっぽろ物理塾   にもどうぞ


さっぽろ物理塾 都会人は匂い音痴」?

2012-02-12 15:52:49 | 日記・エッセイ・コラム

物理を人間の五感を意識してとらえようと心がけています。

視覚・触覚・聴覚・嗅覚・味覚です。すると第六感が働きます。

しばらく前から、朝のバスや地下鉄に乗っていて感じることあります。

女性でも若くても、ニンニクなどのにおいがすることがあります。驚きます。

また、しばしばアロマやハーブのにおいがあすることもあります。強すぎると、男性はとても困ります。聞くと、女性同士は気にならない人が少なからずいます。

思うに、日本の都会も20年ほど前から、さまざまな強い匂いが多くなっています。

私は東京に行って地下鉄に乗るために通路を歩いていて、何ともすえた乞食の匂いに近い匂いがしているのがとても嫌でした。最近は消臭しているのか、以前ほどではなくなりましたが。

家庭内外に、スパイスが効いた食べ物・ハーブやアロマの普及・多岐にわたる花や植物の普及・飲料の香り・洗剤や入浴剤の匂い・さまざまな人工物の匂いなどがあふれています。鼻の嗅覚もたまったものではありません。

いまや、TVの料理番組では、胡椒やハーブやにんにくのオンパレードみたいです。

そのせいでしょうか、山菜の匂い・森や山に入っての木々の草ぐさの匂い・海に出かけての磯の匂い・身近の木の香が薄く感じたり分からない人が増えています。

もしかして、ガスにつけた匂いが分からなくなっているのではないでしょうか。

それで、幼児体験がある人でも自然界の匂いが薄くなったというのでしょう。

嗅覚が衰えてきています。

それでいて、毎日朝シャンをしなければ気が済まない男女もいます。自分の匂い消しです。

これはもしかして、人間関係には、マイナスの影響を及ぼしているのではないでしょうか。

土のかぐわしい匂い・葉や花の香・畑の作物の香・林や森の匂い・沢に入っての匂い・池や滝の匂い・海の匂い・雨雪の匂いなど生きていること実感する匂いを感じていたいものです。

すてきな匂い・香りを聞くことの楽しみをもっていたいものです。