さっぽろ物理塾です

ここは私の五感と第六勘の場所です。
過去現在未来の時空を行き来するでしょう。
希望を込めての日記・エッセイです。

大津勝彦君のこと

2018-11-19 11:38:54 | 日記・エッセイ・コラム

大津勝彦君が亡くなった。
10月23日とのことであった。28日に知った。
彼とは、奔別小学校・幾春別中学校での同期、三笠高校で3年間同級であった。
数学が得意であった。
大学も1年間は同じであった。2年修了後、幾春別中学校の数学教師になった。
僕は札幌校に移って、物理の勉強を続けた。
彼は、高校同級・大学同期の大江光子さんと結婚した。
数年後、夕張の中学校に転勤したと聞いた。組合活動で活躍したらしい。
50代後半の3年間、僕は本別高校にいて、近隣町内の小・中学校を訪問していた。
あるとき、螺湾の学校訪問で組合掲示板に、彼の北教組副委員長立候補のポスターをみた。
一瞬、え、と思った。何が彼のなかで変わったのか。これも一つの権力でなかったのか、と。

高校時代に彼は目覚めたと思う。目的を持って、物凄く本を読んでいた。
あれこれの新聞も読んでいた。活動もしていた。
僕はショウペンハウエルや三木清の哲学入門、ホイットマン「草の葉」(有島武郎訳)も
読んだり、原子や宇宙のことに関心を深めていた。
物理を勉強したら、この世のすべてが分かる気がしていた.
大学時代は社研で社会の理想を共にした。
卒業以降はそれぞれの路を進んだ。

彼の奥さんががんで亡くなった、とクラスメイトからの知らせで、久方ぶりに会った。
以来、クラス会で会っても、どりらも意識しつつ、語り合うことはなかった。
数年前、ケア付きマンションに入ったとはがきが来た。
とても気になって、見舞いに行かなくてはと思いつついた。
10月末、HPお悔やみ欄で彼の訃報を知った。まさか
たどりたどって、ご子息と連絡がついて、ご子息宅に弔問に伺った。
彼の変化について、ご子息は知っていた。
彼のなかで、何かが変わったことを聞いた。僕もそうだったのだ。
僕はとても安心して、ご子息と思い出話が出来た。
ご子息は、地質学・地震学のプロになっていた。

大津勝彦君は良き息子を遺した。素敵な命の繋ぎに感動した。

彼とは、こういう親友であった。

 






 







 

 






何のために勉強する?

2018-11-08 09:23:12 | 受験・学校

高校でも普通科の場合、しばしば「先生、何のために勉強するの」と聞かれます。
およその察しは尽きます。

それはね、 面白いから勉強するよ。それと
勉強して、将来は世のため人のために働くよ。
勉強すると、親も、友達も、先生も、近所の人も喜ぶよ、と

生徒は、一瞬、怪訝な顔をします。そして
「そうだろうな、先生ならそう答えるよな」と言うことが多いものでした。

同級生や同窓生が有名になると、我がことのように嬉しいものです。
スポーツ、学問、事業・企業、芸術など一生懸命になって努力した人は
自分の自慢でもあります。自分も頑張れるのです。

今はもう年ですから、面白いから勉強しているよ、です。

日々、縄かけなど庭の冬囲い、自主リハビリ、通院(複数)、PCメール、水彩画
おもしろじっけん教材工夫、CALCULUS,今は「日経サイエンス 量子宇宙」
そして、5千歩ほどの散歩です。