さっぽろ物理塾です

ここは私の五感と第六勘の場所です。
過去現在未来の時空を行き来するでしょう。
希望を込めての日記・エッセイです。

さっぽろ物理塾 HPをアップします

2010-06-27 10:20:40 | 日記・エッセイ・コラム

仲間の助けで、HPを7月初めにアップします。

昨日は、近所にチラシを配布しました。まずは、60部配布しました。結構大変でした。

改めて知りました。何と高齢者が多いことかと。空気がしんみりしています。

高齢者も、物理の勉強を始めるのは、面白いのです。初めてでも、思い出してでも面白いのです。

子供がいるらしい家、若者がいるらしい家は、空気がちがうこと、感じます。多くは、DSの虜になっていることは承知していますが、せっかくの現実世界を体験しないで、仮想体験ゲームに多くの時間を使って、脳の異変をしやすいようにしている。もったいないことです。惜しいことです。子供の時から、大地に走り回って遊ぶこと、話を聞くこと、本を読むこと、書くこと、画くこと、奏でること、 好奇心を持つこと、たくさんたくさん勉強することが素晴らしいことです。

身体が丈夫でも、弱くても、何がしかのハンディーがあります。だから、社会が成り立つのではありませんか。だから、人が生きている意味があると、私は汁ました。

親が、この危機感を持っていると、子供はまんべんなくあれこれ体験して、素敵に成長して、大人になって、いい仕事をしている実例を、私は少なからず見ています。こう、ありたいものです。

子供手当が、親のパチンコやギャンブルに消えること、少ないよう願うばかりです。長年、どうにもこうにも困った親がいて、いい素質を感じる子供がダメになっていく例も見ましたし、今もです。

私なりに、手を尽くすのですが、どうしようもなくなって、ダメになっていくことを見るのが辛いです。


さっぽろ物理塾

2010-06-22 17:18:24 | 日記・エッセイ・コラム

私が赤い色を見て、他の人もこの色を、私が見るように赤い色に見えているのでしょうか。

小学生の時、ふと思ったことを今でも不思議に思っています。

幼少の頃、お釈迦様は、天上天下唯我独尊と言ったと、絵本で見ました。「唯我独尊」にはとても深い意味があるように思えました。長じて、永平寺管長様から、色紙「唯我独尊」を頂戴しました。私は、「この宇宙に、現に、ここにいる自分は大切なのだよ」と言っているように思えます。

いくつかの辞書にある説明は、前から変だ、と思っていました。

物理屋の一人として、こんなことを考えています。


実験室がほしい・・はやぶさの感激

2010-06-14 10:49:34 | 日記・エッセイ・コラム

小惑星探査機「はやぶさ」が帰ってきた。

「はやぶさ」は、名犬ラッシーみたいだ。

「家なき子」みたいだ。

宇宙空間に想像をめぐらし、理論と技術を駆使して、諦めきれない可能性に賭けて、ついに、

「はやぶさ」は帰ってきた。

科学者や、技術者や資金を出して取り組んだ企業や、税金を出して応援した国民や国、

そして、この事業を世界のこととして支援・協力した地球人がいたからだ。

何という、壮大で繊細で優しく優美なロマンだ。

私も、この年でも、まだ頑張れそうだ。「さっぽろ物理塾」を続けよう。

かつて、高校物理の教職にあったので、まだ、自分を使える。

今は、資金と場所以外に何の拘束もない。自由だ。

湯川博士に憧れた。アインシュタインに驚いて、ニュートンに親しみを覚えた少年だった。

米粒や砂粒、画用紙にも、水盤の上の空間にも宇宙を感じた。

大宇宙と素粒子がつながっていると思えた。そんな高校生だった。今も、だ。

物理をメインにして、物理の基本を伝えよう。

実験用具もだいぶ集めた。それに、身の回りの何でも実験に使える。

当面は、自宅で続けよう。

そのうち、何とかなったら、誰でもが来れる場所を作りたいというのが希望だ。

実験したり、物理などの勉強をしたり、工夫して工作できる場所を作りたいものだ。

基本は、邪魔しないこと、何とかしてみたい気持ちを持っていることとしよう。

私も、作ってみたいことがある。ささやかながら大それた夢だ。