日本人は、幕末まで大量殺人兵器を発明・開発しなかったようだ。兵器(弓・槍・刀・槍・鉄砲・大筒)は主に敵を脅す役目のほうが多かったようだ。
1 弩(ど)や投石機は、奈良時代で使われたらしい。鎌倉時代に襲来蒙古軍の弩や鉄砲を取り入れなかったのか、以後、使われなくなったらしい。
2 弓も戦国時代末で改良は終えたようだ。その後、競技用として長身に、遊戯用として景品当て短い弓となった。
3 剣(直剣)は、平安時代には反りを付けて刀となった。鋼(はがね)作りは究極まで優れた技術になったようだ。戦国時代には、大陸に輸出していたという。木刀は町人には持たせなかったらしい。町人には竹刀は持たせたようだ。竹刀では実践的な武術にはならない。
4 鉄砲は種子島領主に2丁献上ご、たちまち全国に広まった。秀吉の時代、恐らく日本全国の鉄砲は3万丁はあったのではないか。当時のヨーロッパ全体でもこんなにあったろうか。刀技術がこれを可能にしたであろう。しかし、火縄を麻から綿に改良したのみで、本体の改良はほとんとしなかったようだ。江戸時代に猟師に銃を持たせた藩もあったことは何を意味していたのか、不思議だ。火薬は、便所の窪み周辺にわずかに結晶化した硝石をかき集めて木炭粉と調合して作ったという。
5 大筒は、通常いうところの大砲にまで改良しなかったようだ。秀吉の朝鮮侵略で朝鮮水軍からひどい目にあった「置き玉」を紙と火薬で作って打ち上げ花火にして楽しんだ。火薬は輸入した硝石で調合したという。幕末に輸入はしても改良した形跡はない。
それが、明治以降、日本の軍事兵器は大変身する。①銃を積極的に改良した。②大砲の改良と大型化をした。③戦闘機の機銃発射とプロペラ回転とをシンクロ(同期)した。④落下傘部隊を世界初で編成した。⑤戦術用空母を世界初で建造した等々。
古代からこれまでの日本列島に住む人々の子孫がほとんどである現代の日本人にとっては、この約80年間は特別の時代であったと思う人が多いのではないだろうか。世界の状況の中にあって、この時代の日本という国家と日本人に対する評価はまだ出来ないであろうと、私は考えている。巨大地震・巨大津波天災とこれが引き金の原子力発電所事故人災に日本人はどうなるかならないか、次なる選択のときが迫っているように思えて仕方がない。
私は、地球人を意識した日本人でありたいので、知って、冷静に考えて、静かに情熱を持って行動しよう。
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