さっぽろ物理塾です

ここは私の五感と第六勘の場所です。
過去現在未来の時空を行き来するでしょう。
希望を込めての日記・エッセイです。

藻岩山に登れました

2014-06-26 11:48:26 | 日記・エッセイ・コラム

平成26年6月24日(火)藻岩山に挑戦しました。
久方ぶりの頂上です。
Dsc01339

札幌市街は美しい眺めです。円山には5月に登りました。
Dsc01338_2

案内が助かります
Dsc01347

ひっそりと サイハイランが咲いていました
Dsc01348_2

この茂みがたまりません
Dsc01333

 藻岩山登山は、20年以上の久方ぶりです。
自宅を出発して 8:58のバスに乗りました。
麻生から地下鉄に乗って、大通りで乗り換えて、丸山公園で下車しました。
9:57 JRバス10番堺町まわりで円山公園バスターミナルを出発して、
10分ほどで慈恵会病院前に到着しました。

10:25 登山口を出発
11:25 藻岩山頂上に到着
 おにぎり昼食 昼休み
12:25 下山
13:20  登山口に到着

登れるところまで登ろうとしての一人登山でした。
慈恵会病院前の駐車場は、いっぱいでした。
  車で来なくてよかった
自分のペースでのゆっくり登山を心がけました。
熟年女性が多く、若い人もいました。
いろいろな木々の匂いがしました。実にかぐわしい
途中で ニッキ飴 を口にしました。
かすかに覚えがある登山道や周囲の景色を懐かしみながら、
自分の体はまだ大丈夫、と感じつつ登りました。
もうそろそろかな、という気持ちになったとき、木々の間に
頂上の建物が見えました。

何とも感動に似た喜びを感じていました。嬉しのです。

 おにぎりを二つ食べて
 下方からの鶯の声を聞き
 蝉の声も聞き
 冷涼な風がそよぎ
 遠くの山々をぐるりと眺め
 
 200年くらい前までは アイヌの人たちの祈りの場であっただろう
 1000年くらい前までは 縄文時代の人達の祈りの場であっただろう
 
 今の時代になって、私は 森  川 海 湖 形の良い山を見て畏敬と畏れ
 の気持ちになります。
 ロープウエイや堅牢な建築があっても、木々に覆われた あるいは岩
 が剥き出た山の頂上を想像して そう思えるのです。
 円山 藻岩山 手稲山 は古くから人々に特別に思われていたのでは
 ないでしょうか。
 
下山は、こわごわでした。前回は膝の後ろの筋が痛くなって、ロープ
ウエイで下りましたから。
今回は、時には腹式呼吸をして酸素を補いつつ、を意識しました。
私は、夢中になると呼吸が浅くなる傾向があります。

下山して、少し足の筋が痛くて用心して帰宅しました。

家に帰って、まだ大丈夫を実感した次第です。

二日後も、足が少し筋肉痛です。

  

      


さっぽろ物理塾 勉強に集中ということ

2014-06-23 17:44:47 | 日記・エッセイ・コラム

人は一生が勉強だ、と私は思っている。
そう思わない人もいるようだ。それはそれで仕方がない。

どうも、集中して持続する勉強、ということには特徴があるようだ。
勉強に成功している人の特性、というべきか。

集中しているときは
1 夢中になっている時間が長い。何年にも及ぶ人もいる。
2 熱中しているときは、他のことが聞こえていない。
耳が遠くなったと思われる。他のことには無頓着になる。
3 体が冷えていない。低体温ではない。
呼吸が深い特徴がある。脳が元気に働いている。
4 けっこう空腹になる。食べ物がまずくない。
 エネルギーを消耗するので体内や脳の血行が良い。
5 短くとも1週間。長ければ数年は続けられる。
 ここが重要。出来る人とできない人の違いだ。

頭が良いという人は、こんなことができる人のことだ。
練習、調査、作業、研究、発明、発見にはつきものの能力のことだ。
脳の働きのことと思えるに至った。

学校教育も家庭生活も、あらゆる仕事を進めるにしても、物事
に集中して持続する、ということを意識することが大切である、
と言える。

これまで私の子供のころから接してきた友達・知人・親戚、お会い
した科学者・研究者や技術者からの感想だ。
勉強できた人、技能の高い人、財をなした人で多くの仕事をして、
社会に影響を及ぼした人の共通した資質であろう、と思える。

科学的な裏づけはありそうだ。

 


さっぽろ物理塾 凡人が考える電気とは質量とは

2014-06-19 17:49:29 | 日記・エッセイ・コラム

高校生の頃から不思議だった。
物理の授業で、「物質」の「質量」とか電気のプラスやマイナスの
「電荷」ということにつまずいた。
「電気」とは名訳だな、とは思っていた。
力学でいう力(ちから)は、空間のゆがみ、というのは何となくイ
メージできたつもりだった。

現実の物には、質量がある。その「質量」がイメージできなかった。
そして、「電荷」ってなんのこと、と思ってずーと来ている。
しかし、光子には質量がない。電荷もない。

「ワープする宇宙」リサ・ランドール著 を読みつつある。
どうも、素粒子物理学での「電荷」ということは、電磁気力の場のゆ
がみのことらしい。プラスもマイナスも説明できるようだ。
質量も、以前からヒッグス粒子の理論で説明できて、昨年には実験で
話題になった。

そういうものか、という心境でこの本を読んでいる。
余剰次元のことはエキサイティングだ。知りたい。納得したい。
質量のことと電荷のことを、私なりにイメージできるようになりたい。

近所に4坪ほどの畑を借りて、野菜を作っている。
草取りをしつつ、鳩と知恵比べをしつつ、「質量」と「電荷」のこと
と「光子」を考えていた。
私の人生には、時間がいくらあっても、飽きることはないようだ。
途中で人生を終了しても、それはそれで仕方がないのだろう。


大人になって 初めて

2014-06-09 09:55:33 | 日記・エッセイ・コラム

私が大人になって、つまり学校を卒業して以来、4月から3か月
も公的な仕事をしていません。初めてです。
リフレッシュとは、このことかと実感の想いです。

「ワープする宇宙」(リサ・ランドール著)を読んでいます。
これまでの物理学をおさらいしています。

近所に、8畳ほどの畑と16畳ほどの畑を借りました。
トマト・二十日大根・ほうれん草・大根・春菊・からし菜・
ささげ・きゅうり・モロヘイヤ・枝豆・なす・とうきび・
フエイジョン・かぶ・キャベツ・オクラ・レタス・小松菜
を植えました。自家で食べる分の筈です。

一粒の種子や1本の苗が育つ、育たないがあります。
発芽しても雨が降らないと、枯れます。それを植えています。

一粒の種子から芽が出て、育って、繁って、花が咲いて、
実を結んで、枯れて終わる。その実がまた・・・と続く。
雨・風・雪、暑さ寒さ、人や動物に食われる、などなどの
変遷を経て、命が続くのを、今、私は見ている。

宇宙が始まって以来、連綿と変わり替わって、この一粒の種
子や野菜となって、私の前に見せている。私自身もだ。

大豆は、鳩との知恵比べです。大豆は3回補充しました。
思い立って、南蛮を刻んで、乳鉢で擦って、小麦粉で練り合
わせて、パチンコ玉ほどに丸めて、惣菜トレイに乗せて地面
に固定して置きました。
翌日、行ってみるといくつかは無くなっていました。鳩が食
べたのでしょうか。枝豆の目が出かかっていました。出た芽
も抜かれてはいませんでした。効き目はあった、と思えます。
旭川の従姉がカラスとの戦いで、南蛮団子でごみあさりがな
くなったと言っていた方法です。カラスは南蛮団子を食べて、
大変だったようです。

定年退職した直後の4月は、1か月間の公的な仕事がありませ
んでした。心身の休養をしました。
最初で最後と思って、家族でハワイ旅行をしました。
キラウエイ火山を見学し、マウナケア山頂に天文台すばるを
見学しました。良かった。

この3か月は、とても大切なポテンシャルエネルギー充実の
期間です。あれこれすることがいっぱいあります。
この間にも、YMCA夏休み「おもしろじっけん教室」の構
想をイメージしています。7月に入ったら、予備実験・試作・
テキスト作りです。子供たちの熱心な顔が目に浮かびます。
9月には、後期から受け持つ「おもしろ実験教室」の予備実
験・試作・テキストつくりに入ります。

5年前、歯科用Xray フィルムを購入して固定して置きました。
それを現像しました。これからじっくり、顕微鏡で観察します。
何が見えるか見えないか、お楽しみです。
もしかして、と期待はあります。


パンジーチューリップ牡丹つつじ

2014-06-07 17:13:11 | 日記・エッセイ・コラム

我が家の庭に咲く花々です

Dsc01292
小さくちらちら見えるのは、桜の花びらです

Dsc01303
こんなチューリップもあるのです

Dsc01307

Dsc01322
牡丹は、今年は15個も咲きました

Dsc01323
つつじが展開しました

5月中旬から6月4日までの画像です。
実物を写しても、画像でしかありません。
画像を見ること、疑似体験と言えるでしょう。
音楽でいうと、画像はレコードと言えるでしょう。
レコードを聞くということは、コンサートをイメージしての
疑似体験でしょう。

我が家に咲いた花々をイメージして頂けますよう。

  視覚と認知の物理でした。