さっぽろ物理塾です

ここは私の五感と第六勘の場所です。
過去現在未来の時空を行き来するでしょう。
希望を込めての日記・エッセイです。

さっぽろ物理塾 反抗期

2013-01-18 12:05:10 | 日記・エッセイ・コラム

今日の札幌北区屯田は雪降りです。
夜中に除雪車が入りました。助かります。
朝、起きて着替えて、朝刊をとりに玄関に、目分量で新雪をはかり、
洗顔して新聞を読んで、朝食をとってコーヒーを少し飲見ます。
やおら雪はね作業に着替えて外に出ます。
1m竹の物差しであちこち3か所に立てて平均をとって、今日の雪降りの
深さとします。
昨夜から今朝までの深さは27cmでした。今冬最大。
今も、外を見ると未だ降り続いています。
妙なもので、予想より深いと、ああ、となんとなく納得します。

子供が10歳くらいから、反抗期が問題になります。
両親か親のどちらかが似たようなその時代にあっての反抗期になります。
しかし、反抗期がない人はかなりいるものです。
私がそうです。弟妹たちもそうでした。
どうも、家系があることを感じています。
いずれ、脳機能にかかわる遺伝的要素からの解明があるでしょう。
反抗期に対処する・できる、身近の親も教師も親戚も近所の人もきっと
いるでしょう。あの人は、と敬える人がです。

よく、反抗期は誰にでもあるもの、と普通の心理学者や教員は言いますが、
私は長年、そうだろうかと気にしていました。
私の経験では、言われているほど、そう多くはないと考えています。
高校生になっての生徒や両親や兄弟にあって話し合って、あえて聞いて
きました。ほぼ50年間に数千人に対応してです。

人の反抗期にも程度があります。
物ごころつき始めからの反抗的な意地悪な場合
10歳頃から反抗的なことが見える場合
1年2年で、治まる場合
かなり長く続く場合
大人になっても、非社会的になっている場合
反抗期の強めの経験者には、反抗期がない人を不思議に思うでしょう。
理解しにくいのです。
親子で拒絶反応をするのです。戸惑います。

反抗期がない人には
反抗期にある人をなかなか理解できませんが気づかいをします。

反抗期について、世間で言われていることが、どれほどの確かさである
のか、注意しましょう。
特に、子供の教育については、先入観や有名人の話には注意しましょう。
あの人は何で有名なのか、どんな確かさで有名なのか、気にしましょう。
あまたある化粧品・有名だから高価な化粧品を評価する、と似たところが
あります。

信頼には理由があるでしょう。
人は、信頼されるために勉強しているのでしょうか。
信頼されるために、仕事をしているのでしょうか。
男女の仲は信頼されるためでしょうか。

勉強したいから勉強するのでしょう。将来、この勉強は自分の目標のため
になるから勉強するのでしょう。親や友達や周りの人たちが喜こぶから勉
強するのでしょう。
いつかは多くの人々の為になりたいから勉強するのでしょう。
子供が若者が勉強しているのは、周りのみんなが喜ぶことです。
とても嬉しいことです。周りの人みんなの生きる・生活する・仕事をする励み
になります。
今の大人たちは、そういう実感を持った人であってほしいものですね。

これが世のため人のためということでしょう。
仕事をすると言うことも、全く同様でしょう。

男女の仲も、尽くしあえるから、ずーと尽くしあいたいからでしょう。
生きとし生ける人としての、あたりまえのことでしょう。
こうでなくなる事が、いろいろ起こる困り事でしょう。

私の人生、今となっては一見ほっこり人間でありますが、
実は違うのです。


さっぽろ物理塾 かみだのみ

2013-01-13 11:24:02 | 日記・エッセイ・コラム

私は、神頼みをしたことがない。

小学校6年生のときに母が病気で亡くなった。
その日まで、毎日、朝に夕に神棚にお参りした。
心で仏様にお参りした
ミシンの引き出しに、真鍮(しんちゅう)の十字架が入っていたので、お参りした。

弟二人と3歳の妹がいた
それなのに、かいなく、母は亡くなった。
父は、どれほど苦労したことだろう。
親戚には、どれほどお世話になったことだろう。

それ以来、お寺に行って手を合わす、神社にお参りして手を合わすことはしてきた。
しかし、願い事をしなくなった。

死ということをずいぶん考えた。
生きているということをずいぶん考えた。
どう考えても、生きているうちは生きている。
いずれ生きとし生けるものは死ぬ、ということに気がついた。
私のからだは分解して、大地に、大気に、いずれは宇宙に返っていく。
私には、それで十分だった。今もだ。

私が物理学を選んだのは、これも動機の一つだった。
私の感覚には、ここまでの矛盾はない。

子供の頃から、座り込んだりたたずんだりすることがしばしばあった。
大きい川、川の淵、崖、滝
海、岬、入江
大樹、古木、森の中、樹海
大きな岩、山、山脈
月、星、天の川

人工物でも、じっと見ていたいものがある。
建築物、神社・仏閣・教会
彫刻、絵画、陶磁器
機関車、飛行機、船、武器も

だからどこに行っても、一人になって、じっとしていたいことがある。
畏敬の気持ち
尊厳の気持ち
尊い気持ち

願い事ではない、願望でもない、希望でもない。
ただひたすら、じっとして見ていたい気持ちになる。
今でもそうだ。

もしかして、これは信仰ということなのかもしれない。
あるいは、思想ということの始まりかもしれない。


さっぽろ物理塾 おもしろい今年の予感

2013-01-03 10:35:17 | 日記・エッセイ・コラム

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新年あけまして おめでとうございます。
このブログに入って下さる方々に ご挨拶を申し上げます。

私は、今年も心と 精神と からだを丈夫で元気にしているようにします。
昨年後半は なにかとあって 毎週のブログ更新をしないでいました。
毎回の小テーマはあったのですが。

今年は ブログとHPを融合して表現を工夫したいと考えています。
素敵な仲間に 助けていただこうかと思っています。

思えば 昨年も様々なことがありました。
21世紀の前半にも 20世紀の前半に匹敵する変動を 2年前から感じています。
物理学にも 医学生理学にも 国境など地球文明にも感じています。

上の画像は さっぽろYMCAでの冬休み「おもしろじっけん教室」授業のためのアイスキャンドル製作です。我が家の玄関先に灯しました。
ろうそくは 食用油を80℃にして 油凝固剤をとかして クレヨンを削って溶かして ケーキのカップに流し込んだものです。芯は 太めのたこ糸にろうそくをとかして浸して固めました。これを油ろうの中心に差し込むと出来上がりです。

アイスキャンドルの壺を作りましょう。8リットルバケツに水を入れます。これをマイナス5℃前後になる外に出して 雪の上にふた晩置きます。3日目に バケツの水の上部が凍って盛り上がってきたら バケツをひっくり返します。底の氷はまだ薄いので 中にある水を捨てます。出来上がり。
中が濡れているので しばらく置きます。このままでも良いのですが より透明にするには 壺の外側を手か雑巾で湯に浸して拭くときれいになります。

アイスキャンドル壺の底に5cm角程の紙をしきます。この上にカップろうそくを置きます。チャッカマンでろうそくの芯に点火します。とても美しい火がともりました。30ccほどのろうそくで15時間は灯ります。

ここに至るまでにも 幾つもの科学のテーマがあるものです。
子供から大人まで 科学を意図した楽しみ方があります。
「さっぽろ物理塾」がYMCAで授業するゆえんです。

クリスマスや年末年始に 小さな明かりに しばし気持ちを灯しましょう。
停電時などの非常災害に重宝します。ジャムの空きびんのろうそくはふたがあるので保存できます。
私は 毎年のように山にこもり テントを張って 夜はこのろうそくを灯しています。
今年の夏にも 尻別岳北側の山林で 数日間は仙人くらしをするでしょう。