さっぽろ物理塾です

ここは私の五感と第六勘の場所です。
過去現在未来の時空を行き来するでしょう。
希望を込めての日記・エッセイです。

小学生と科学誌nature

2012-04-30 09:52:34 | 日記・エッセイ・コラム

4月から、札幌YMCA文化教養クラスで、小学生対象「おもしろじっけん教室」で授業を受け持っています。私が持っている器具に100円ショップで間に合う材料でかなりのことができるものです。小学校理科の授業を補いつつ、かなり先を見通して進めています。科学誌「子供の科学」レベルの物理分野にウエイトがある授業をしています。

週1回60分、年間38回の授業があります。3回授業をして、これがなかなかおもしろいのです。リーダー格も出来て、5年生6年生が下級生をサポートするようにもなって、良い協力環境になってきました。

私は、昨年科学誌natureのアンケートにていねいに回答して、1年間無料で購読できる栄誉を受けました。毎週約150ページあります。英語をマスターしているわけではありませんが、とてもわくわくする記事にあふれています。タイトルに惹かれます。フォトやイラストやカラフルな図も、グラフもあって、小さめの英文を読みたくなります。

前回、このおもしろじっけん教室での授業のとき、子供たちみんなに「nature」を見せて、少し説明をしました。小学生も高学年になると、とてもエキサイトします。

本物は、小学生を引きつけます。

私の考えです。身の回りからの科学は、科学者・技術者・医師・教員・法律家・芸術家・まともな政治家・作家・宗教家・歴史家・実業家・主婦などあらゆる業種・職種の人には大切な資質であると。

身の回りからの科学は、五感である視覚・触覚・聴覚・嗅覚・味覚を大切に働かせて、第六感がひらめく。こうして人間の認識を深めることであると考えています。あらゆる物づくりはここから始まり、世のため、人のために仕事をする元気になります。

この子たちの将来が、とても楽しみです。

「おもしろじっけん教室」の年間授業テーマに関心をお持ちになりましたら。お知らせください。メールに添付してお送りします。

  URL  http://www4.ocn.ne.jp/~b-juku/      さっぽろ物理塾  もどうぞ


さっぽろ物理塾  時間と空間のもともとは?

2012-04-15 10:55:00 | 日記・エッセイ・コラム

50坪ほどのわが邸宅の残雪庭に、クロッカスと福寿草とすみれなどなどの芽が息吹出してきました。牡丹の芽も勢いづいてきました。

日経サイエンス5月号に 「時空は粒々か? ホログラフィック宇宙を検証する」の論文が目について購入しました。読んで、かつての湯川時空論に現実が追いついてきたかと感じました。アメリカの筆者には、湯川時空論の認識があるかどうかわかりません。

1970年代、日本物理学会主催で毎年、夏の学校(のちの物理サマースクール)がありました。日仏会館で、冷房が利いていて快適でした。私は当時は函館東高校に在職していて、隔年で数回出席しました。もちろん自費でした。

1974年だったか、湯川秀樹先生の講義がありました。「物質と時空」でした。講義が始まると、例のとおり思考に入り、つぶやきになりました。現在の13型ノートPC程の大きさのテープレコーダーで録音しましたが、いまでもよく聞き取れません。

主旨は、時間や空間はそのもともとがあるのではないか。それを時間の素領域、空間の素領域と言えるのではないか、というものです。私は、とても興奮したことを覚えています。インド哲学と禅の思想を感じました。100名ほどの聴講者はどう感じたかほとんど無反応にみえました。

以来、私は時空のことをこれまで以上に深く意識するようになりました。ギリシャ思想の延長線上にある欧米の影響が強い当時の名だたる物理学者は聞き流したか、無視したと感じました。そして約40年、アメリカでよみがえったのでしょうか。湯川時空論の記述がないので、独自なのでしょう。

私には、事例の少ない思索的発想が、他の独自の現実的発展からの検証実験が追認実験になりそうに思えます。デジタル意識が時空のデジタル発想に至ったと思えます。

そこでまた思います。さて、そしてそのあとはどんな展開になるのかな、と。

物理学は、どんな哲学や思想の先を行きます。まれに、哲学や思想が物理学の先を行くことある、と考えています。

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さっぽろ物理塾  五感を意識しての科学

2012-04-06 10:05:15 | 日記・エッセイ・コラム

人間は全身がすごいセンサーで覆われています。

頭部に、視覚・聴覚・嗅覚・味覚が集中しています。

頭部を含めて、全身に触覚が発達しています。

この五感でさまざまな情報を感知して、さまざまに反応します。

感情をもったり、積算して知性とします。組み立てて論理を構成します。

この論理を駆使して、応用力を高めます。

これが、物作りの能力となります。

反応することで、身体機能を高めます。

人が、感じて、知って、考えて、知恵を持って、行動する。

これが、学習であり、行動であり、生活であるのでしょう。

見て、美しいと感じる、素敵と感じる、大変と感じる、危ないと感じる。感度を測る。

聞いて、素敵と感じる、聞き分ける、いやだと感じる。dbを測る。

嗅いで、いい香りと感じる、嫌な香りと感じる。でもそのうちに当たり前に感じる。強弱を測る。

味わって、苦い・塩辛い・渋い・甘い・旨いと感じる。好き・嫌いを感じる。濃淡を測る。

触れて、いい感触、嫌な感触、軟硬を測る。皮膚反応で赤外線・紫外線も感知する。

この感性を意図すると、身の回りの物理を始めると、実感があるから面白く勉強が進む。

身の回りのものごとを知りたい分かりたい感性が高まるのです。

この世に、すっかり分かっているものごとは一つも無いでしょう。

だから、分かることの段階が面白いのです。

子供から大人の段階が連続するのでしょう。

植物や、動物のように、個人の差異はあるのが当然です。

平等の定義はとても限定的です。基本的には、平等に扱ってはならないのです。

五感を働かせての経験があって、あらゆるものごとの「物づくり」や「知識」が進むのでしょう。

そういう過程で、第六感がひらめくのでしょう。

生活があるのでしょう。

生産があるのでしょう。

加工があるのでしょう。

サービスがあるのでしょう。

この循環が人間社会を作るのでしょう。

国家が成立し、経済が成り立ち、国際社会が機能するのでしょう。

こう思うと、勉強はおもしろいものです。

何でも勉強ですね。

失敗も糧になりますね。

ただし、失敗が多い人は周囲の人達を困らせます。

素直な気持ちになって、謙虚な気持ちになって自己改造をしましょう。

物理の手法でヒントを得ると、自己改造は進みやすい、と考えています。

素直な気持ちになって、謙虚な気持ちになることにつきます。

あるとき、あなたの美学は?と聞かれて、私は自分の感性が変わりました。

その人に、深く感謝しています。