さっぽろ物理塾です

ここは私の五感と第六勘の場所です。
過去現在未来の時空を行き来するでしょう。
希望を込めての日記・エッセイです。

凄い時代になりそう

2023-02-25 10:32:30 | 日記・エッセイ・コラム

21世紀に入った頃、科学も技術も凄いことになりそう、と予感がしました。
キャパシティ(個体電池)が新素材で軽く荷電・大容量でかつ持続性がある、が実現しそう。常温超電導素材も完成の域に。耐熱新素材も超の時代に。
これらの開発技術が進むと、①核融合発電の実用が進む ②飛行機は空気を
イオン化して推進のプラズマジェットエンジン技術がさらに進展する。③自動車は②の技術から陸上も空も運行する。化石燃料も植物油も使わない時代が確実に近づいてます。恐らく僕の孫の時代あるいはひ孫の時代には普通になる。
2018年頃のnature誌に空気イオンん化推進エンジン飛行機の実験論文を読んで、実用化は新素材の開発が次々と進展しつつありますから、そう感じました。宇宙での推進ロケットは、核分裂・核融合ロケット技術が進展しつつあることも知りました。日本人も少なからず日本はもちろんヨーロッパやアメリカで研究している様子です。未だに、前世紀までの領土を欲しがる独裁者が、猛威を振るう世界に住んでいます。とても迷惑です。




札幌円山にほほ笑ましい雪だるまです

2022-03-14 21:30:12 | 日記・エッセイ・コラム

北祐会 神経内科病院に掲示されている写真です。

円山の頂上にこの雪だるまがあるとのことです。僕の主治医である野中先生は、冬でも円山登山をしています。さっぽろ雪フォトまつりに合わせての作品です。二人が寄り添う、ほほ笑ましく融けてしまいそうな暖かい雰囲気ですね。木の葉や小枝の組み合わせも絶妙ですね。二人の間にはバラでしょうか、赤い花も見えますね。はるか下方の市街からの光がバックを成しています。野中先生は特に多い今年の雪の円山に、雪を漕いで登って雪だるまを作ったのですね。凄いことながらとても素敵ですね。僕はこのような主治医の治療を受けています。幸せです   2月3日から薬の調整と集中リハビリを受けて、3月3日に退院しました。理学療法、作業療法それに言語療法を毎日受けました。


80歳前後は体の変わり目

2021-11-20 16:23:34 | 日記・エッセイ・コラム
 
 これまで、40代、50代、60代、70代の変わり目に、身体の変調がありました。
77歳で、パーキンソン病と診断されてから、82歳のこれまでは、僕の体には
怪我なを経験した。初めての怪我を何度もしています。
80歳で、右腕の腱鞘炎、左手の三角骨骨折、右足首の捻挫、右足膝の関節炎。
81歳で、右胸肋骨骨折、第12胸椎骨骨折。
82歳になって、左背第12肋骨骨折、転倒で右頭部裂傷3ホチキス縫合です。
 
80歳で、2度目のパーキンソン病入院:薬の調整とリハビリ8週間。
82歳で、3度目のパーキンソン病入院:集中リハビリ(理学療法・作業療法・言語療法)5週間を経験しました。
 
特定疾患(難病)、介護認定要支援1であるので、多額の税金のお世話になって、かつ神経内科・整形外科などなどの医療機関のお世話になっている自分がいます。
家族も近隣の人達も、立ち寄るお店の人達も、その場や近くにいる人々の親切を、かくもいただいている自分がいます。
とても有りがたいことです。生きている実感が強いのです。
 
でついに、11月には車を手放した。なんと不自由なことか。
そして電動4輪セニアカーを乗るようになりました。
スズキセニアカーZ8Zです。
歩道走行なので、右側通行、時速6kmまで。電気で動く車です。
乗り回すと、歩道の状況から、全身のバイブレーションで、少し慣れました。
このことは、全身運動になることか、と。
日々の歩きとセニアカーでの行動と分別をつけるのが大切と自分に言い聞かせています。
 
僕の日常は、水彩画サークル、健康太極拳サークルで町内の交流が。
blog・Facebookでの交流。メールでの交流が。
クラス会、同期会、同窓会など昔の仲間との交流が、と結構多忙です。
物理の勉強も面白いのです。手軽な「おもしろ実験教材」サンプル作りも
心がけています。何とか「光速測定」装置の改良に漕ぎつけたものです。
 
別冊日経サイエンス247「アインシュタイン」に挑んでいます。改めて
ニュートンに?もありました。アインシュタインにも?を感じていました
が、氷結しました。やはり、アインシュタインは凄い。
 
でもでも、すくみ足の症状が収まらないのが切ないです。
風のない日には、2本のポールを持って、創成川緑地(土手の公園))や屯
田みずほ通り公園を歩いています。
 
近況でした。
 

タイムスリップ出来るのです

2021-06-10 15:21:03 | 日記・エッセイ・コラム
 10年程前、あの東日本大震災・原子力発電所事故がありました。以前から、僕はグーグルマップで全国の海岸や津波防災堤防も見ていました。我が家の二階の書斎&工房で工房で時折ながら高性能のGM検知器で自然放射線の計測をしていました。
 あの日、札幌でも異常な揺れの地震を感じました。しばらくしてTVを見ると、大変な事が東北の太平洋側で起こっている光景を写していました。さらに時間を経て、原子力発電所がただ事ではない事件が起こっていることを映し出していました。その日からGM検知器で朝・昼・晩とスイッチを入れました。GM検知器の自然放射線は普段であれば 28~30cpm です。津波をかぶった日から3日目の朝の検知数は180cpm 程でした。この値がピークでした。1週間後には元に戻りました。検知を終えました。
 昭和37年、僕が高校物理教師になって、教科書を必ず終えるよう心がけました。教科書の最後の部分が原子の項です。物理を勉強すると日常の力学・熱・光・音・波・電気・磁気などあらゆる現象、機械・器具・道具のことの説明と応用、発明・工夫に役立ちます。地球物理・気象・天文学・宇宙、原子・素粒子そして原子力も物理の授業です。
 3年生2月には、授業の最後近くにレポートを提出してもらいます。テーマは「科学技術は将来どのように発展することが望ましいか」と「原子力の平和利用について、将来はどのようにあるべきか」一つを選んで書きなさい。浦幌高校1期生から4期生迄の生徒に書いてもらいました。返したのもありますが、多くをタイムカプセルとして、僕の書庫に保存していました。50年後に返却する予定でした。
 で、あの原子力発電所の津波事故です。タイムカプセル書庫から取り出して、改めて読みました。当時は米ソ中核実験さなかです。僕は十勝の郡部高で
当時の性能が低い(自然放射線計数7~8cpm)GM検知器で、雨や雪を集めて煮詰めて残留物の放射性物質含有の放射線検知をしていました。大陸からの水爆実験からほぼ3日後に降る雨雪には17~18cpmでした。それでもソ中の核実験を指示すると言う政党がある時代でした。当時の高校生はそんな時代に物理を勉強していました。
 夏から秋にかけて、1期生(65歳の年です)から順に郵便にて返却しました。この時期だからこそ科学や原子力について、高校時代の原点に戻って考えて欲しいと念願しました。書庫から取り出したレポートは当時のB4判の紙です。すっかり茶色になり鉛筆書きもありボールペンで書いた字はにじんでいました。宛先不明で何通も戻って来ました。卒業生から手紙やメールが次々と来るようになりました。「あの時代の自分に会ことが出来ました」タイムスリップをしました」と云うのです。
 タイムスリップの心境にはなれるものです。時にはアルバムを見て、幼い自分に会えます。日記や自筆の文章を読み返して、当時の自分に会えます。お墓に行って墓前で、亡くなった大切な人に会えます。記憶をよみがえらせることで、タイムスリップして自分をリセットするのも良しとしましょう。