さっぽろ物理塾です

ここは私の五感と第六勘の場所です。
過去現在未来の時空を行き来するでしょう。
希望を込めての日記・エッセイです。

さっぽろ物理塾 やはり2月は・・

2013-02-28 09:55:52 | 日記・エッセイ・コラム

1月が過ぎて、札幌雪まつりもあって、大雪も降って、いつになく低温で、
冬らしい2月も今日で終わりです。

今日28日の札幌市北区は晴天です。
天頂を見上げると、濃い藍色に近い空です。
あの向こうは、真っ暗な闇の世界だなと思うほどの色です。
周りが真っ白の雪の景色ですから、なおのことそう思います。

冬の2月に外の冬を歩きます。
もちろんイヤフォンなど耳につけないで。
聞こえる音が、夏とは異なります。
雪の景色に、吸収される音、反射される音がありそうです。
夏の景色では、繁る木々や草に吸収される音、家々に反射する音があ
るので聞こえ方が冬とは異なります。

精巧なマイクロホンとアンプで冬景色の音のスペクトルをとると、きっと面
白いことが分かるでしょう。
街中や創成川べりや円山公園や山奥の森などでは、どんなスペクトルに
なっているのでしょう。

今、オークションに出しています。かなりハイレベルなデジタル顕微鏡です。
島津理科DMBA300です。生物顕微鏡ながら原子核乾板の宇宙線によ
る飛跡も調べることもできます。メーカーの表示価格は約42万円でした。
ノートパソコンディスプレイでの表示は、さすが今の時代ならではです。
これが売れたら、オシロスコープを購入する予定です。
しかし、顕微鏡のオークションには多くの出品があるので、難しいかも知
れません。


札幌市の縄文文化講演会

2013-02-17 11:56:10 | 日記・エッセイ・コラム

2月16日(土)、かでる2・7で、札幌市埋葬文化センター「縄文文化とさっぽろの遺跡」
講演会がありました。

聞いた甲斐がありました。縄文人は、西日本よりも東日本に多く住んでいた。
東北から北海道の住居地域間に規則性がある。
縄文遺跡は択捉島から沖縄まで見つかっている。

小学生の頃から、この地にはどんな人が住んでいたのだろう、と興味しんしんでした。
今でもそうです。パソコン「お気に入り」にいくつか入れています。

若い頃から、社会科の先生について発掘をしていたものです。
各地の丘・泉が湧き出る所・日当たりが良い所・近くに山々がある所・安定した川を
見下ろせる所・遠浅の海岸を見下ろせる所に立つことがあります。

すると、ここに暮らせると良いだろうな、と気持ちが良くなる場所があるものです。
特に、まだ草が生い茂らない春先のみわたしが良い頃に、山に入り野に立つと感じる
場所があるものです。

うっすらと平らになっている場所があるものです。差し支えのない場所であると、幅
30㎝位のトレンチを掘ります。地面の状態を見て、勘で深さを見当つけます。
すると、境目がある地層や並べた石や炭化したものや場合によっては、魚や獣の骨
が見つかることもあります。深いほど、古いのでしょう。
いろいろの所から黒曜石の矢じりや各種の石器が現れます。

北海道各地を開拓した農家で、開墾していると矢じりや壺や並べ石がずいぶん
あったものだ、と聞きました。深耕でも矢じりが出ることがあるとも聞きました。
私が手にした矢じりなどの石器は、ほとんど人にあげてしまいました。

北海道日本海側の川が流れ込む景色の良い岩内などの海岸は、不思議です。
北海道では、続縄文期になるのでしょう。鉄剣の部分や兜の部分や鎧の部分が、砂
に埋もれているのが現れることがあるそうです。大陸のものに見えるということです。
今昔物語集巻31第11を読んだときに、私はこの文章の場所は岩内が有力な候補
と思いました。阿部時頼の話です。

北海道の縄文文化の研究は、これからが楽しみであるなと、感じました。
日本の縄文人は、いわゆる弥生人とどうかかわって日本人化していったのか、と
強く知りたくなりました。

祓や祝詞には、「集いに集いて、語りに語りて」をとても強調しているのです。
聖徳太子の17条憲法にある「万機公論に決すべき」に脈絡を感じるのです。
北海道アイヌの物語を読んでいると、共通の脈絡を感じます。部族間の紛争は、
よほどのことがないと戦が起こっていないのです。
紛争は、チャランケとして、リーダーかリーダーの意を受けた全権を託された
者が根気強く会議をしているのです。
アメリカインディアンも、この傾向があると聞きました。

古代の世界文明は、このような傾向を感じません。認識不足かも知れませんが、
戦争の歴史を感じます。近代の欧米・日本を含めたアジアに戦争の歴史を感じます。
現代は、地球人たる人類は、戦争では人類が持たないことを知っています。
これだけでも、人類の凄い進歩です。

縄文文化が7000年も続いた叡智を見つけ出したいものです。
しかし、決定的に異なることがあります。
私から見ると、縄文人の生産と消費は極小のエネルギーのやり取りです。
縄文人間も、自然界を相手のもです。
現代文明は、莫大な生産と消費の世界です。原子核分裂反応エネルギーを利用
するほどの極大のエネルギーのやり取りです。

縄文人の叡智は、人間生存の基本でしょう、きっと。
21世紀の地球人は、戦争をしない叡智を、まだ見つけていないのでしょう。
早急に見つけたいものです。

エントロピー拡大が発散を招く物理法則があります。
人類の極大エネルギーのやり取りの熱力学を、工夫しなくてはなりません。

音楽が数学にあふれているように
生活が物理であふれています。


さっぽろ物理塾 ときには川柳

2013-02-15 17:49:28 | 日記・エッセイ・コラム

 毎年のサラリーマン川柳を面白く楽しみにしています。

YMCAの「おもしろじっけん教室」で、子供を相手にしていて

元気な子 日本まだまだ大丈夫

昔を思い出して

秘密いや だけど話せぬことはある

札幌・北海道・日本・地球・太陽系・銀河系を感じて

星見上げ 我も確かに宇宙人

狭いながらも楽しい我が家です

方丈家 周りはすべて借景さ

   HPのさっぽろ物理塾 もどうぞ


今年の札幌雪まつり

2013-02-10 10:32:45 | 日記・エッセイ・コラム

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平成25年2月8日(金)に家族で大通りの雪祭りを見に行ってきました。
初めて見たのは、50年以上も前です。
その頃は、大通公園にはまだ大きな木が多くありました。
夜に見るのが好きでした。
ライトアップしていない氷像が、街の光を受けてそれは美しいものでした。

今は、大通りの幅は100mあるとはいえ、両側にはビルがそびえたっています。

今年の大通会場は異様に感じました。
まるで、かつての食の祭典のようでした。
雪像は多くあったのでしょうが、飲食店の方がもっと多くあったように感じました。
海外からの観光客が感心するのでしょうか。
雪像がかすんで見えました。目立たないのです。
周りから、「何だこれ」という声が聞こえました。
離れた場所に行っても、聞こえました。
「どっちがメインだ」とも言っているのが聞こえました。
雪像の白とのコントラストが変でした。

TVで見えるアンバランスは恰好が良くない管理建物です。
取り残されたように見える重機です。
景観を欠いていて、海外にも報道されているのでしょうか。

大雪像は、年々、技術の高さを感じます。
会場に展開している大勢のスタッフは、丁寧でマナーも良いのが嬉しいです。
ありがたいのです。心からご苦労様と申し上げます。
寒さの中で、創る人々とかかわる人々の豊かな熱心を感じました。

苦言です。市民の雪像の多くが、あまりにも下手です。
今年は、とりわけやっつけ仕事が多いのです。
来年は、だだ抽選ではない、選考を求めたいものです。

海外チームの雪像は、何と美しいのでしょう。
彫りといい、表面といい、テーマ性といいすばらしい出来栄えでした。
すっかり感心しました。
見た甲斐がありました。

せっかくの世界に誇る北国の雪まつりです。
顕微鏡で今日の雪を知るなど雪国の科学、雪国の建築や工業も含
めての雪国の産業も展開していると、面白いことになる、と想像しました。

来年は、TVで報道される景色をもイメージして、全体像、部分像、
個々の雪像および氷像でありますよう、今から楽しみにしています。


さっぽろ物理塾 新年会

2013-02-04 11:51:13 | 日記・エッセイ・コラム

1月が過ぎました。今年も幾つかの新年会がありました。
新年会は、いいものです。
私は、酒は少ししか飲めないのですが、さりげなく今年の新たな気持ちを語り
合う雰囲気が好きです。

2月に入ると、さあ本格的な寒さと雪の冬はこれからだ、という覚悟になります。
町内の排雪(町内会の生活道路の雪をロータリーとダンプでしっかり運び出す)
は16日頃とのことです。
それまで、雪がどんなに降っても頑張ろうという気持ちになります。

こうして、雪国に住む人々は春を心待ちにしています。

このメールを読んで下さるのは、稚内地方に住んでいる、九州に住んでいる方
までおられるようです。
アメリカ東部、東南アジアで仕事をしている方々もおられるようです。
このブログを開設以来これまで、毎月平均150人から250人くらいです。
ありがたいことです。

いきなりですが
学校での教育に、「愛の鞭(むち)」ということはありません。
未熟・不塾教員の感情です。とってつけたへ理屈です。
何度も子供に手を挙げる教員には、特徴があるものです。
安易に教員になって、潜在的にせよ劣等意識が災いしています。
年齢にかかわりないものです。
この頃は、親が騒ぐから我慢している教員もいます。
人格的素養としての理知の意識が乏しく、感情の起伏の強い特徴があります。
住んでいる地域になじめない特徴があります。

この子をどう導くと将来に希望を持って生きていくのか、と何人
もの教員がかかわるというのが、学校教育ということでしょう。

対極に、教育の仕事をしている実感を持てない教員もいます。
同僚が手を尽くして、幾多の子供に信頼される教師仲間を形成すると、学校
が活き活きして、凄いことになるでしょう。

私も、初めはふつつかもいいとこでした。何人もの先輩と同僚に恵まれました。
「反面の教師」もいました。

今だから言えることです。