百合が原公園に行ってきました。
毎年、この頃は椿展を楽しみにしています。
幸福を感じます。時々ですが、一瞬ですが幸せを感じるときがあります。
どうも、幸せ感は短い時間がよろしい、とこの頃気がつきました。
あるときある場面で、幸せだなと感じ入ることで、いい気持ちになります。
あるときある場面で、いい気持ちになるから、幸せと思うのかもしれません。
いい気持ち、幸せを感じると、仕事に精が出ます。日々の生活がはつらつになります。
幸福とはそういうことか、と思う私がいます。
私は、十二歳から二十歳まで、何と不運なのだろうと痛切でした。
よき親戚の励ましのまなざしを感じて、おだやかな友人がつき合ってくれて、
そして、私が私になれたのはよき師に出会えたことです。
二十歳になって、「人間疎外」を知りました。
二年かけて人生観が劇的に変わりました。
世界観を持って生きたい気持ちになりました。
現在は、ま、人生よしとしましょう、という心境です。
いま思います。不運・不幸の気持ちは、時系列があるということです。
長い時間、自分は不幸だ不運だと嘆きます。
そういうとき、美しい花を見ても幸せを封印していますね。
幸せを探しに行くことは、意味がありません。
「青い鳥」はそういうことを示していますよね。
自分のそばに、気づかいをしてくれる人がいる。幸せですよね。
意地悪な人はいます。無作法な人もいます。悪人もいます。
人は、多くは親切な心の人です。
気づかいをしてくれる人は,近くにも遠方にも何人もいます。
こういうことが分かったから、今の私がいます。
でも、ここからが大事。
どんな人がいるとしても、群れとしての人々は、物理の世界ですね。
100人、千人、万人、社会、国家の人口になると、個々の人格は見えなくなりますね。
行動は流体力学
性質は物性論
興奮は熱力学
20代の後半になって気がつきました。
いまもそう考えています。
やっぱりか、残念ながらか、両方を合わせ持った心境です。
日々、あれこれしていて、失敗もして、半端もあって、
彼は毎日何かをしているようだが、意味あるのだろうか、と思うでしょう。
ちいさな赤子や子供と似ています。
自分でも、何をやっているのだか、と思っています。
それでも
あることが成就すると、幸せを感じています。
そのうちに、誰かの役に立つであろう、世のためにと思えるのです。