さっぽろ物理塾です

ここは私の五感と第六勘の場所です。
過去現在未来の時空を行き来するでしょう。
希望を込めての日記・エッセイです。

尻別岳キャンプ その3

2012-08-29 18:45:50 | 日記・エッセイ・コラム

8月14日、キャンプ3日目

すばらしい晴天の午前中に、隣の森の仙人をお招きしての、野点(のだて)を楽しみました。

手頃な夏茶碗を100円ショップで見つけました。抹茶はいつもの店で、それなりの物を買い求めました。菓子は長崎羊羹(ようかん)です。水は京極の吹き出し水を組んできたものです。

私なりの茶をたしなむ根本です。茶「道」ではありません。たぶん、一休宗純(呼び捨てで失礼して)の心境に近いのではないかと。

隣の森の仙人と、量子論の最近の動向を少し話題にして、大いに感じることありました。(ここまでは、前回と重複します)

孫たちを虻田の知人宅に送り届けて、一人キャンプ地に戻りました。

質素な夕食を堪能して、夕暮れの山を南に仰ぎ見て、思いにふけりました。

1 世界は、いつも問題にあふれています。日本も、政治・政権・経済の不平不満にあふれて  います。愚民迎合番組や記事にあふれています。

ここに来ると、私の精神は実に平和です。いったん身についたごみをそぎ落とした心境になります。原点に戻ってこれからを考える気持ちになります。

2 日本も含めて世界は、これからも熱力学の法則のエネルギー発散を続ける文明なのでしょうか。経済緩和政策とはこのことでしょう。かつて滅びた古代文明は、周辺の自然破壊がエネルギー発散でした。現代は、世界規模での地球規模でのエネルギー発散が起こっています。

3 一方、経済緊縮政策をとることは、必要不可で最小限のエネルギー保存の法則を意識することでしょうか。これまでは、この政策で国家は再生しました。この頃は人々が満足しないどころか、暴動さえ起こります。幾つもの国で。

4 日本の国家の繁栄があるから、私もこうして尻別岳ふもとで、いい気持ちでキャンプしていられます。

5 日本の人口減少は、文明コントロール機能が作用しつつある例のように思えます。100年規模の作用と考えています。人口膨張国家は、文明コントロール機能はどう作用するか、かなりの困難を伴うことでしょう。

6 動物が急激に増えると、大群での自殺行動が起こって、結果的には生存の調節があったのだといえます。人間は、地球をどうするか叡智を高める時代に入っていると感じています。

7 だぶん、原子核融合反応をダイレクトに熱に電力に変換する、エネルギー収支の効率を高める、エネルギー発散を抑える科学と技術が急がれる、と改めて考えました。

8 50年前から少なからずの日本を含む世界の物理学者は、核分裂の原子力発電は100年から200年間だろう。その後は、太陽の原理の核融合時代に入ると想定して研究を続けています。

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植林した木は70年後、計画的に100年以上の木も育てて欲しいものです。木材として有効に使うことになるでしょう。山の北側に育つ木々ですから、良質でしょう。そしてまた次々に木を植えて欲しいものです。どんな子孫が手掛けるのでしょう。ここに育つ木、どんな使い方をするのでしょう。楽しみです。


尻別岳キャンプその2

2012-08-20 10:08:06 | 日記・エッセイ・コラム

孫ふたりとのキャンプは

この頃のテントキャンプは便利になったものです。

海水浴着替えテントを、トイレテントにできます。携帯ベッドもあります。カセットガスもあります。かつては、木炭・薪が大変でした。今はカセットボンベがあります。テントは、6人用でも10KGくらいです。

3人分の一式をワゴン車に積んで、登山道をけっこう進めます。

夜なかには、テントから少し離れたところから、うさぎやリスやたぬきやのねずみなどの動物たちに見守られているのでしょう。童話が書けそうです。

周りは、うっそうとした草木です。ときおり、蚊や虻をハエたたきを振って払います。

そこでの野点は、心の基本さえあれば、いっさいにとらわれない豊かな気持ちになります。

隣の森の仙人と少しの時間でしたが語って、1年分の収穫がありました。

量子論の入り路は、いくらでもありそうを感じました。やっぱり勉強しよう。

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孫とキャンプしましたその1

2012-08-16 20:22:37 | 日記・エッセイ・コラム

8月12日から3泊4日のキャンプをしました。

2泊までは、孫二人と一緒です。3泊目は私一人だけのキャンプです。

場所は、尻別岳北側ふもとにある1Haの山林です。

ここには、2800本の植林をして、10年経ちました。

隣の山林には、関東からの人が、春は雪が解けてから、秋に雪が降るまで過ごしています。

私は、孫が6年生になったら、順に誘ってキャンプしてきました。

今回は、9時半に自宅を出発。11時30分に現地到着。途中、中山峠で一休みソフトクリーム。だいたい、毎回のパターン。

昼食は、握り飯弁当と漬物。 草刈りをしてテントとトイレを設営。ベッド2台を組立てて、必要物品を配置して、完了。

夕食は、焼き肉と握り飯の残り・牛乳・漬物。いずれもデザートはオレンジ。

山の懐での孫とのキャンプ夕食は格別です。

隣の仙人暮らしの方とあいさつして、蚊取り線香の差し入れがありました。このキャンプでは、とても有難いことになりました。

夜から雨が降り、断続的に13日の早朝まで降りました。

13日の朝は、雨がやんだので、尻別岳頂上が雲間からみえて、満足。さっそく朝食作り。無洗米2合、うまく炊けました。わかめと油揚げのみそ汁が上出来。朝食がすんで、あとかたづけをしたら、雨。

昼近くになって雨がやんで、バター・チーズ・いちごジャム・トマト・牛乳のパン食。あとかたづけをしたら雨。

隣の仙人暮らしの方と最近の量子論の事を話題にして、すてきなひらめきがありました。

彼は、実は朝永振一郎ノーベル賞受賞者の門下生物理学者。さすがの方です。

小雨の中、午後は京極温泉で、いい気分で過ごしました。孫たちも満足。

夕食近くに雨がやんで、焼肉と一夜干しサクラマス。いづれもデザートはオレンジ。あとかたづけをしたら雨。

山の探検はできず、虫や小鳥の観察は少し。テント内で、孫二人のじゃれあいやトランプ。3人で、ずいぶん本を読みました。

夜中に外に出ると、うっすらと星空。その後は、14日の朝まですごい雨。寝袋でも寒く、毛布をもってきたのが正解。

14日夜半に雨がやんで朝、すばらしい晴天。山頂がくっきり見えて、3人で歓声。来たかいがありました。

簡単ながら、しっかり朝食。周囲は濡れていて、探検は無理。外回りをしたり、読書したりのテント生活。

昼近く、山を下りて、ドライブイン羊蹄で昼食。毎年のように、この道を通るときの休憩所。すっかりなじみの店となりました。

孫たちを、彼らがお世話になった虻田の知人の家に送り、虻田で少し買い物をして、山に戻りました。

ひとりキャンプ、これまた良きことかな。夕食を簡単に、しかし、栄養はしっかり取り、早めに就寝。喜茂別の盆の花火の音が長く大きな音をして、それも終わって、静かな夜に。

寒くて、夜半に起きて外に出ると、満点の星・星・星、銀河ミルククラウンがくっきり、今年も見ました。大満足。

あまりの寒さに、身支度をして安眠できました。山裾の森の中、一人で少しばかりの仙人気分に。これをリフレッシュというのでしょう、私の場合。

15日、パン・バター・ジャム・バナナ・ジュースの朝食。ゆっくりして、9時からゆっくりテント撤収の作業。11時半までかかりました。パン・バター・バナナ・ジュースで名残惜しい昼食を、山の頂を名残惜しく眺めました。

昨夜は十分に休養をとったので、12時5分に出発を予定。

12時、ラジオのニュースに合わせて、黙とうをしました。忘れまい、忘れまい、このとき私は7歳。このときからの人生を私は覚えています。

日本の戦後の歴史、この中にいる私の人生を克明に思い起こす。私と、弟妹と、家族と、周囲と、日本と、世界とがつながっていることを、改めて知る日です。