さっぽろ物理塾です

ここは私の五感と第六勘の場所です。
過去現在未来の時空を行き来するでしょう。
希望を込めての日記・エッセイです。

さっぽろ物理塾 雪の花

2012-12-07 10:50:32 | 日記・エッセイ・コラム

若いとき、ある所で「○○ 六花子」と書かれた名簿を見ました。読めませんでした。
その人から「ゆきこ」と読みます、と教えられました。辞書で調べました。
古くから「六華」「六花」と書いて「ゆき」と読む読み方があることを知って、なるほど
こういうのもいいなと、納得したものです。

 雪の結晶は、多くは六角形です。美しい日本語の妙ですね。
 昔の人も、空から降る雪を観察していたのですね。
 さまざまな形をしている、多くは規則的な形の結晶の模様をした雪がとめどもなく
降る。そんな景色の中にたたずんでいると感動します。
 子供の頃から、短い時間でも雪にたたずむことをしていたようです。
 父母は、とがめませんでした。

私は、雪かきが好きです。苦になりません。

 深々と降る雪はおごそかだ
 雪雪雪が一面に降ってくる
 動くと 私に向かって いっせいに降ってくる
 前に行っても 後ろに下がっても
 右に動いても 左に動いても
 雪は 私に向かって いっせいに降ってくる
 それで止まると 静かに降っている
 私はゆっくり前へに進む
 雪は穏やかに 私に向かって降る

 雪は怒る 吹雪になって怒る
 風と一緒になって怒る
 横から怒る
 音を立てて怒る
 後ろからも怒る
 前からも怒る
 風と一緒になって 怒る
 後ろ向きなって進んでも 怒る
 少し逆らって 家に 建物に入る
 治まるまで 逆らわないことだ
 温かい部屋の窓ごしから 怒る雪を見る
 止むまでを待つ
 しばらくは 怒るにまかせよう

 治まったら 雪かきだ
 厚手のコートを着て 帽子をかぶって
 軍手をはいて 長くつはいて 外に出る
 周りを見渡して 近くに人がいたら あいさつして
 メートル竹物差しで 深さをはかる
 深いほど なぜか納得する
 
 スコップに ジョンバに ミニダンプ
 雪かきのこつは 慌てないことだ
 深い雪ほど ゆっくりのペースがいい
 雪かきは美学だ
 働いている
 出来上がりを イメージしている
 終わって 家に入って
 ココアか甘酒か紅茶かを飲む
 ああ満足

 
  
 


さっぽろ物理塾 もう12月

2012-12-01 10:48:43 | 日記・エッセイ・コラム

今日12月1日 すばらしい快晴  朝(6:45)の気温-5℃  かなりの低湿度
小気味良いほどの空気のピリピリ感でした。

今年も もう12月です。
このブログに訪問して下さる皆さん ありがとうございます。

幾つかの作業があって ブログに書くことを怠っていました 。
申し訳ありません。

今年は、科学の世界でも ずいぶんいろいろなことが起こりました。
1 IPS細胞に関する山中先生のお仕事は、生命についての根本問題を提起している、と私は考えています。
 この業績は、生命から派生するさまざまな分野に、限りない可能性をもたらしています。
 現代の地球上の人類はすべからく、人間の生涯ということについての叡智を持ってこそ、生命維持を享受するでしょう。
 そうでなければ、人間社会の破滅の可能性も増えるでしょう。
 かつて、アルフレッド・ノーベルはダイナマイトを発明しました。
 さまざまな技術が大いに発展しました。戦争技術が一変しました。
 改めて、ノーベル賞を創設した、創設しなければならなかった思想を学びたいものです。

2 物理学でのヒッグズ粒子発見は、原子核発見に匹敵する業績であると考えます。
 宇宙創成の物質観は、有名人をも含めた普通の哲学者の思惟を超えていることでしょう。
 これまでの「存在」論は何であったのでしょう。
 顕微鏡世界でも、空間次元は4次元以上での可能性が議論の時代です。
 21世紀の科学は面白くなってきました。
 物理学は一大発展期に入りました。

 私は、人間の性善説や性悪説を否定します。ときおり聞かれて、どちらも意味ないと答えています。
 人は、体の表面・形・内面(骨格・内臓・器官・脳)も似るのが当たり前でしょう。誕生してからの環境も作用しているでしょう。

 私と話合う人の中には、私を宿命論者という人がいます。
 私は、違う、人間関係論者ですと答えます。
 どんな環境にあっても、どうしてこんなにも、と思うほどの善人がいます。
 どんなに手を尽くしても心を尽くしても、どうしてという悪人がいます。

 私は、自分を分類しないことにしています。
 若い頃から、祖父母・祖先を気にしていました。
 今の自分は「どこの馬の骨か」と知りたがり屋でした。
 今でも、千年前は、二千年前は、五千年前は先祖はどこでどうしていたのだろうと知りたい思いです。
 どこでどんなDNAが入ってきたのでしょう。
 先祖をたどると幾何級数的に広がるかという人もいます。しかし、私は、案外に狭まるのではないかと考えています。

 教育とは、尽くすとは、奥が深いものですね。
 年齢差にかかわらない、お互い様ですね。

 11月に入り いつになく多くの喪中の便りに接しています。