さっぽろ物理塾です

ここは私の五感と第六勘の場所です。
過去現在未来の時空を行き来するでしょう。
希望を込めての日記・エッセイです。

タイムスリップ出来るのです

2021-06-10 15:21:03 | 日記・エッセイ・コラム
 10年程前、あの東日本大震災・原子力発電所事故がありました。以前から、僕はグーグルマップで全国の海岸や津波防災堤防も見ていました。我が家の二階の書斎&工房で工房で時折ながら高性能のGM検知器で自然放射線の計測をしていました。
 あの日、札幌でも異常な揺れの地震を感じました。しばらくしてTVを見ると、大変な事が東北の太平洋側で起こっている光景を写していました。さらに時間を経て、原子力発電所がただ事ではない事件が起こっていることを映し出していました。その日からGM検知器で朝・昼・晩とスイッチを入れました。GM検知器の自然放射線は普段であれば 28~30cpm です。津波をかぶった日から3日目の朝の検知数は180cpm 程でした。この値がピークでした。1週間後には元に戻りました。検知を終えました。
 昭和37年、僕が高校物理教師になって、教科書を必ず終えるよう心がけました。教科書の最後の部分が原子の項です。物理を勉強すると日常の力学・熱・光・音・波・電気・磁気などあらゆる現象、機械・器具・道具のことの説明と応用、発明・工夫に役立ちます。地球物理・気象・天文学・宇宙、原子・素粒子そして原子力も物理の授業です。
 3年生2月には、授業の最後近くにレポートを提出してもらいます。テーマは「科学技術は将来どのように発展することが望ましいか」と「原子力の平和利用について、将来はどのようにあるべきか」一つを選んで書きなさい。浦幌高校1期生から4期生迄の生徒に書いてもらいました。返したのもありますが、多くをタイムカプセルとして、僕の書庫に保存していました。50年後に返却する予定でした。
 で、あの原子力発電所の津波事故です。タイムカプセル書庫から取り出して、改めて読みました。当時は米ソ中核実験さなかです。僕は十勝の郡部高で
当時の性能が低い(自然放射線計数7~8cpm)GM検知器で、雨や雪を集めて煮詰めて残留物の放射性物質含有の放射線検知をしていました。大陸からの水爆実験からほぼ3日後に降る雨雪には17~18cpmでした。それでもソ中の核実験を指示すると言う政党がある時代でした。当時の高校生はそんな時代に物理を勉強していました。
 夏から秋にかけて、1期生(65歳の年です)から順に郵便にて返却しました。この時期だからこそ科学や原子力について、高校時代の原点に戻って考えて欲しいと念願しました。書庫から取り出したレポートは当時のB4判の紙です。すっかり茶色になり鉛筆書きもありボールペンで書いた字はにじんでいました。宛先不明で何通も戻って来ました。卒業生から手紙やメールが次々と来るようになりました。「あの時代の自分に会ことが出来ました」タイムスリップをしました」と云うのです。
 タイムスリップの心境にはなれるものです。時にはアルバムを見て、幼い自分に会えます。日記や自筆の文章を読み返して、当時の自分に会えます。お墓に行って墓前で、亡くなった大切な人に会えます。記憶をよみがえらせることで、タイムスリップして自分をリセットするのも良しとしましょう。