さっぽろ物理塾です

ここは私の五感と第六勘の場所です。
過去現在未来の時空を行き来するでしょう。
希望を込めての日記・エッセイです。

これからの科学への予感

2012-07-18 17:57:26 | 日記・エッセイ・コラム

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画像は、ソテツです。

種子島旅行で、ほぼ南端の鉄砲伝来の像を見て、その先の岬のソテツを見ていいました。ふと根元近くを見ると種子がありました。

大事に持ち帰って、植えました。1年近くたって葉が1枚、2年経って2枚目、今年3年経って3枚目の葉が生えました。

だんだん大きな葉が生えました。この先どんなことになるか、とても楽しみです。

  最近の心境です

            平和ボケ 何でも騒げば うっぷん晴れ

 最新の希望です

1 シュレディンガー不等式が厳密化されて、アバウトでなくなって、実測対象となりそう

2 ヒッグス粒子がほぼ発見され、質量ということが解明されそう

3 上記1,2の研究が進むと、放射線のα崩壊、β崩壊、γ放出の謎が解明できそう

4 宇宙進化論研究と、核融合理論および実験が画期的に展開しそう

5 ゆっくりの核融合反応理論と実験が進みそう つまり核融合炉開発に転機がありそう

6 不安定核の核変換が可能になりそう

7 放射性核種の短寿命化や安定核変換へのめどがつきそう

8 私は、電気のプラスとは?マイナスとは?何のこと?と中学生のときから思っていました。今でも不思議です。 

放射性核種の短寿命化と安定核変換研究と核融合研究が進展する21世紀の兆しを見ているようです。

私が10代であったら、きっと世のため人のために、このような研究者になりたく勉強したでしょう。今だから、そう思いました。

 専修、小学生子供たちのなぜかな・どうしてかなをたくさん聞いて、書いてもらいました。

 明日木曜日に、説明します。けっこういいとらえ方をしてくれるものです。

 1年間の予定で、長く続けるからできることです。

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大変でなかった時代はない

2012-07-08 11:32:24 | 日記・エッセイ・コラム

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我が家の庭が、花や庭木でいっぱいです。日々移り変わるので、明日はどうなっているかなと思って寝床に入り、今朝は苔に水をかけようかと目覚めます。

人は、どこまで自分の言ったこと、考えたこと、行ったことに責任を持てるのかなと中学生のころから思っていました。

明治以降、内閣を首相をまるで極悪人のごとく非難し(論理的な批判でなく、理論の組み立てもなく、ましてや実行可能な対案を提示しないで)てばかりです。過去からの報道を調べて、切なくなります。

民主主義とは、議論して考えや進む道を構築しあうのではなく、集まればけなしあうことか、と思ってしまいます。少なくとも、昨今の国会と国会を取り巻く環境に、そう思われてなりません。とても危険です。

かつて、こんなときに異常な興奮状態になり、戦争を誘発した。独裁者が出現して、戦争の道を突き進んだ。国民が異常な興奮状態になると、現代社会でも取り返しのつかないことになると考えて、不安になります。

今の日本は、世界の中にあって、国際感覚・緊張ある外交・産業・政治・経済・文化・科学・技術は同列に視野に入れて、意識することは有権者の資質にかかわっていると思えてなりません。

ヒッグス粒子発見に、すごい時代になったことを感じて思いました。


保護者会・父兄会?

2012-07-01 12:02:48 | 受験・学校

いまどき、小学校でも中学校でも高校でも、学級・学年での懇談会やPTAで、まだ「父兄」という人がいます。変です。まれに教員にもいます。

「父母」「父母会」がふさわしいと思うのですが、いろいろ考えすぎた学者・教育委員会関係者・校長をはじめ教職員の多くは、父や母ではない人もいるといって、「保護者」「保護者会」と主張しています。これも変です。PTAのPを議論しようとすると逃げます。

小学生のとき、母が病気でした。弟の入学式に遠方から来た叔母に付き添って私も教室に入りました。

高校では、私の担任の生徒が、弟の入学式に付き添ってきたこともありました。

祖父や祖母が孫の入学式に付き添うこともありました。

隣家のおばさんが隣の子供の入学式に付き添うこともあるのです。

代理・代行・親権者(父母でない)である場合、父母・父母会である方がふさわしいのです。

私は、「父母」「父母会」あるいは子供の状況を見て、「家族」「家族会」と言ってきました。

成年が相談に来たときは、必要におうじて「奥様」「ご主人」「家族」に話す・伝える・相談するなど使い分けています。

言葉は世につれとは言いますが、教育の場では、「父母」「家族」の言葉がとてもふさわしいと思うのです。大切なことは、出席する人の心構えと子供の心情を素直に受け止める学校と先生であって欲しいことです。

私が教育のモットーとしていること

1 言葉をきちんと教えないで、文字を読むこと書くことをしっかり教えないで、計算力をしっかり教えないで、社会に様々な考えがあることを教えないで 「考える教育」はあり得ない。

2 北海道から低賃金労働者・勤労者を育成して送りだす教育であってはならない、を今も肝に銘じています。

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