さっぽろ物理塾です

ここは私の五感と第六勘の場所です。
過去現在未来の時空を行き来するでしょう。
希望を込めての日記・エッセイです。

さっぽろ物理塾    星形成場の円偏光と地球上のL型アミノ酸

2010-10-31 10:39:08 | 日記・エッセイ・コラム

地球上のアミノ酸はL型(左型)アミノ酸がほとんど、なぜだろう?がかねてからの不思議でした。いろいろ議論されていることの成り行きに興味深く思っていました。

天文月報(日本天文学会)11月号に「星形成領域の円偏光と地球上の生命の起源」(福江氏、田村氏、上島氏)が掲載されています。

私も、地球上アミノ酸はL型(左型)がほとんどでD型(右型)がほとんどないのは不思議と思っていました。地球上の生命起源に関係ありそうなことを示唆しているのだろうと想像できます。

円偏光のイメージは想像できますが、数学的記述は不勉強です(もっと、数学力をつけたい!)。

それがこの論文で、銀河系にある星形成領域(オリオン座中心部)の円偏光を観測することに成功したことを報告しています。そして、この光照射によるアミノ酸形成(アストロバイオリジー)の可能性を示唆しています。

生命起源の議論が面白くなってきました。

天文学は、物理学と相互に関連して発展してきました。21世紀になって、生命の起源が天文学・物理学・化学の知見から具体的に議論される段階になったことはすごいことです。

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さっぽろ物理塾  忘れ得ぬ人

2010-10-24 17:25:39 | 日記・エッセイ・コラム

今まで、折に触れて思い出す人がいます。強く影響を受けました。

小学生の時  溝口教頭先生  1千人くらいいる小学校でした。5年生から6年生にかけて母がリンパ腫にかかり、時には、3歳の妹を学校に連れての日もありました。父は苦労したでしょう。当然、先生方も注目したことでしょう。私は、校外では少しの悪いこともしました。当時のことですから、私にきついことをいう先生もいいました。しかし、溝口先生は、校内巡視のときなど私を廊下の窓辺に呼んで、外に少し身を乗り出していろいろ話をしてくれました。戦時中も布団の中でこっそり英語の勉強をしていたことなどです。中学校のためにと言って、アルファベッドABC・・・などを教えてくれました。筆字のとても上手な先生でした。お陰で、ぐれないで勉強が好きな私になりました。

中学生のとき  担任の佐藤先生  幾春別中学校の国語の先生でした。私の作文をとても褒めてくれました。文章を具体的に注意してくれました。作文を返してくれるあるとき、君は、もう野間広を読んでいるのかと聞かれました。いえと答えました。君の文章を読むと野間宏の文に似ているといわれました。後に野間文学に触れましたが、離れました。でも、文章を書くことが一層好きになりました。先生が定年になって会いに生きたいと思っているうちに癌にかかって亡くなりました。とても悔やまれます。

高校生の時  担任の伊藤先生  三笠高校の英語の先生でした。中学校のとき、英語の先生はとりわけ私をこずいたり怒鳴ったりする先生でした。すっかり英語の授業嫌いになりました。高校では、そうではありませんがどうも点数が上がりません。しかし、人は恋をすると前にある一つのものを一緒に見るのだよと授業で言うのが好きでした。今もクラス会でお会いすると話をしなくても、嬉しいものです。  

  早坂先生   物理の先生です。授業は別の先生でしたが、北大で核物理を勉強してきたとのうわさでした。物理部のことで、物理準備室に行くと、しばしば英語原書を一心に読んでいる姿がすごいと感動の思いでした。少しずつ話すようになり、憧れました。強く物理学に惹かれました。私が卒業して後、東北大学に移られたとのことでした。

学芸大学生時代   中野先生  私が3年のとき、東大核研8mリング加速器チームの1員として1年間いませんでした。戻ってきて、講義はとても興味深い話題を織り込んだもので、居眠りは出ませんでした。自分の数学力が弱いことを辛いほど感じました。物理のこの講義あの講義をしてくれたらなあと思いました。理論も、宇宙線観測も、語学もすごいと実感しました。物理学ということを知った思いがしたものです。今でも、お付き合いしていただいています。物理の本や理科学紙誌を読む習慣がつきました。

 泉田先生  社会学の先生でした。  東大をイールズ号事件で追われて北海道に来たとのうわさでした。私は、高校生の時から、家庭的なことから笑うことの少ない人間になっていました。先生は、講義で人間疎外論を進めて、人間の良さを伝えることを私なりに受け止めました。吹っ切れて、世のため人のためになる仕事をする決心がつきました。良い意味で楽天性を身に付けました。哲学や人文科学の本を読む習慣がつきました。晩年、アルツハイマー病になり、自宅に見舞いに行きました。先生は、君にはこんな姿を見られたくないと叫ぶようにおっしゃったことが耳についています。立山市にあるお墓に夫婦でお参りに行きました。

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さっぽろ物理塾   むかわ町に行ってきました

2010-10-11 17:06:39 | 日記・エッセイ・コラム

平成5年4月から8年3月まで北海道鵡川高校に教頭として勤務していました。

10月7日、北大名誉教授鈴木先生のノーベル化学賞受賞の喜びで、出身地であるむかわ町に夫婦で行ってきました。札幌から約90kmあります。なじみの大豊寿司で10月6日からのししゃも寿司を食べました。なじみの佐藤商店と大野商店でシシャモの1夜干しを買いました。鈴木商店は、報道陣が大勢いましたので寄りませんでした。生家は大変ですね。

鵡川高校と教員住宅を懐かしくめぐりました。四季の館で温泉にひたりゆっくりしました。むかわ町の人々は喜びにあふれていること、私たちも嬉しく感じ入りました。

秋の夜長、帰宅は18時ころで、すっかり暗くなっていました。メールを開くと、48年前の浦幌高校新任教員の頃の卒業生からシュレディンガー波動方程式の量子数についての問い合わせが来ていました。改めて、勉強しなくては。

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さっぽろ物理塾  おいしいコーヒーを入れる

2010-10-08 17:16:56 | 日記・エッセイ・コラム

自分でコーヒーを炒って入れて飲む  いいもんです。

伯父家族は、ブラジルで長く農業を営んで帰国しました。伯父と伯母が教えてくれました。

1 コーヒーは、収穫して3年後の豆を選別(虫食い、変形)して炒器(オリジナル円筒形)で炒る。豆の表面に油が浮き出そうになる時、火から離して素早く粗熱を取り、密閉カンに入れる。

2 出来るだけ細かく挽く。

3 2人前  約40gの粉を耐熱容器に入れる。これに約50cc(かなり濃い)から60cc(濃い)の湯(約80℃)を注ぐ。上部に炭酸ガスの泡が充満して、中の香りが逃げない。3分たったらゆっくりかき混ぜる。別の容器を用意して、ネル袋(なければペーパーフィルタ)でこす。少し温める(約60℃)。

4 二つの小さなカップを温めておき、入れる。砂糖(細かいほうが良い)は好みの分、先に入れておく。 かなり濃い。さめても温めないのが確かにおいしい。ブラジルでは、くつろぐときこうして、1杯で1時間くらいゆっくり飲んでいました。

5 この方法で入れたコーヒーは、時間がたっても濁らない。 なぜでしょう? これも物理。

6 私のコーヒーは大評判。伯父・伯母に大感謝。お二人とも、亡くなって久しく、私はコーヒーの味を継いでいます。おためしあれ。

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