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ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラスの「ビタースウィート・サンバ」(1965)

2012-11-11 11:06:13 | 音楽

【偉大なトランペッター、ヴォーカリスト、経営者】
ハーブ・アルパート(デビュー時はドア・アルパートと称した)を語る上で、彼の軌跡を辿ると1960年代初期にはトランペッターとしての活躍が始まる。だが程なく「アメリカン・ポップスとメキシコ音楽のマリアッチを融合させたアメリアッチ」音楽という独自のジャンルを構築する。ユダヤ系一家でありながら、カリフォルニア州というメキシコ移民の多い州で育った影響もあったのだろう。
余談ながらティファナ・ブラス結成前の「The Maltese Melody」(マルタ島の砂)はドイツ出身のバンド・リーダー、ベルト・ケンプフェルト作であるがこちらはイージー・リスニング風のアレンジながら素敵な佳曲だ。

その独自の音楽の表現手段として「Tijuana Brass」を結成し、一気にシーンを突っ走り他の追随を許さぬ活躍を1960年代は見せた。
その中でも「Bittersweeet Samba」は日本で人気の高い曲であり、その要因はラジオ放送のテーマソングとなったことも大きい。この曲は彼のトランペットを堪能出来る曲でもあり、どちらかと言えばラテン色よりはポップス色が濃く出ているサウンドにサンバを加えたような曲だ。それでも彼の当時の活躍を象徴するようなサウンドであることは間違いないし、この曲を聴いただけで当時を思い出す人たちも多いのではないだろうか?(私はこの番組聞いていませんでした)

さて、マリアッチ・サウンドを如実に表す曲と言えば他に「The Lonely Bull(El Solo Toro)」(悲しき闘牛)がある。1962年に発表したこの曲は、ファンファーレのようなイントロに闘牛場の歓声のようなS.E.がかぶさりラテン音楽風のサウンドが展開される。アレンジも終始ラテン調であるが、ハーブのトランペットは優しい音色を奏でこれぞ「アメリアッチ」と呼んで差し支えない究極のサウンドだ。「アメリアッチ」はまさに時代を先取りした「フュージョン・サウンド」でもあるのだった。これからティファナ・ブラスについて知りたい人は、まずこの曲から入ることをお薦めしたい。

幅広い活躍を見せていたハーブ・アルパートは1968年に名作曲家コンビ、バート・バカラック=ハル・デイヴィッドのコンビによる曲「This Guy's In Love With You」を発表する。インスト曲ばかり発表してきた彼だが、この曲は彼がこのコンビに愛妻ラニ・ホールへの思いを伝える為に書いてもらった。彼のホノボノとした大らかなヴォーカルは見事にシングル・チャートで1位に輝く快挙を成し遂げた。
1970年代に入ると表立った音楽活動からは一旦身を引く。そしてその間にティファナ・ブラス時代にハーブ・アルパート(A)は親友ジェリー・モス(M)と「A&Mレコード」を創設し社業に専念する。世に送り出したアーティストはカーペンターズ、キャロル・キング、ブライアン・アダムス、スティングなどだ。

満を持して1979年、当時流行のディスコ・サウンドを大胆に導入したフュージョン・アルバム「Rise」を発表した。そこにはティファナ・ブラス時代のアメリアッチ・サウンドは影を潜め影形もなくなり、時代にマッチした新たなサウンドを作った。この変身は見事に受け入れられ表題曲「Rise」はインスト曲ながら見事に1位を2週間獲得した。因みにこの曲は甥のランディ・バダスが書いた。
これで彼は前述のヴォーカル曲とインスト曲という2つのタイプの曲で1位を獲得する快挙を成し遂げた。


こうして見事なまでな復活を果たしたハーブは、成熟したラテン音楽とジャズを融合したフュージョンを作った。この頃のハーブはサントリーのレッド・ホットというウィスキー(記憶が正しければ)のCMに出演していた。このシリーズはハーブが白スーツに身を包みトランペットをプールサイドで吹くというCMだったがご存知だろうか?彼のファンだった自分はこのCMを見るのが楽しみだった。

現在のハーブはA&Mレコードを手放し「アルモ・サウンズ」(AL-MO=アルパートとモスの2文字から命名)というレコード会社を立ち上げ独自の活動をする一方で、古巣A&Mレコードからはティファナ・ブラス時代のレコードがCD化されているので是非買って彼の良さを味わって下さい。



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