「基本指圧」に憧れて ― 村岡曜子のブログ

我が国固有の指圧を広く浸透させ、社会の保健と福祉の増進に寄与したい。

政治家は先人の身を削った努力を忘れないで

2009年12月17日 | 雑感
  小沢一郎氏の「逆ギレ会見」を14日のテレビで見て、15日の夜拙稿を物し翌朝ブログに投稿しました。ところがそのときテレビ番組で、某大学教授が次のような発言をしていました。
 「天皇陛下と習近平副主席の会見は、外国の大使および公使を接受したのではないから国事行為とはいえない」
 「中国政府の要人ということで、国事行為に含めるならば内閣の『助言(と承認)』が必要になるが、(小沢氏のような)強圧的な助言などあり得ない」(ともに趣意)    

  この意見を聞いて「わが意を得た」との思いを強くするとともに、小沢氏の発言は「(強圧的な)助言」どころか、「権力を笠に着た恫喝(どうかつ)」だ、との思いを強くしたものです。しかし考えてみれば、こんな内閣を作ったのも私たち有権者の責任であることを、改めて肝に銘じなければなりません。    

  NHKで司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」の放映が始まりました。明治維新を成し遂げ近代国家へ踏み出したわが国が、「坐して死を待つよりは出(い)でて戦わん」と、ぎりぎりの決断の中に立ち上がったのが日清・日露の戦争でした。    

  ことに日露戦争開戦やむなきにいたったとき、伊藤博文は貴族院議員の金子堅太郎を呼び「講和」の布石を打ちました。ロシアは日本と比べ常備兵力15倍、国力8倍の大国、この大国を押さえるには緒戦を優勢に進めてその間に講和を結ぶしか方法がありません。その調停役に、金子のハーバード大学時代の友人セオドア・ルーズベルト米大統領を担ぎ出したのです。  
  またこの戦争を遂行するには、日本はあまりに貧乏すぎました。政府は日銀副総裁の高橋是清を外債獲得のためにアメリカに送り込みました。1億円(当時)の調達が成功しなければ戦争は続けられません、しかしすでに始まってしまったのです。
  アメリカでは思うように成果を挙げられない高橋は、見切りをつけてすぐさまイギリス(ロンドン)にわたりました。絶望と希望の繰り返しの中、ついに高橋は所期の目的を成し遂げたのです。    

  先人たちの身を削るような一つ一つの努力によって、わが国は欧米列強に伍す国に発展しました。当時の人たちを例に挙げるまでもありませんが、昨今の政治家に対し、「国益」を真剣に考えて恥ずかしくない行動を取ってほしいと切に祈るものです。小沢さん、どうぞよろしく。
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