「基本指圧」に憧れて ― 村岡曜子のブログ

我が国固有の指圧を広く浸透させ、社会の保健と福祉の増進に寄与したい。

友人のブログに改めて人生の「淋しさ」が迫る

2022年05月07日 | 雑感

 毎年、ゴールデンウィークは出かけずに、ふだんできないことをすることにしています。猫の通り道になっている自宅の小さな庭の木を切ったり、雑草をむしったり衣類の入れ替えや掃除など、したいことは山積みで、ひとつずつ片付けることを楽しみにしています。気分がさっぱりしてストレス発散。“やった感”を味わえます。(それほど捗るものでもないのですが、結構楽しい?)
 そんな状況ですが、今日、たまたま友人のブログを目にしました。彼は両親のお世話をしながら、自分の仕事をこなしている。「大変だな!」と思って見ていました。ほんとうに頭が下がる思いです。最近、両親を看取り、1人になった心情が書かれていました。“淋しさの極み” が伝わってくるのです。

 私についてお話ししますと、父親はすでに亡く、先日、母親(94歳)が緊急搬送され明日も分からない状況です。親の死を思うと言葉にならない淋しさ、想像していなかった感情がこみ上げてきます。
 この友人は指圧師です。同じ指圧研究会で勉強していたことがあります。ずいぶん前のことですが、彼のアイデアを形にした作品を見ました。段ボールで作った骨盤の模型を使って、身体の使い方を披露してくれました。器用だと驚きました。分かりやすく楽しい出来上がりに、皆で拍手喝采したのを昨日のことのように思い出します。
 知り合ってもう四半世紀です。同じ思いを持っている同士、いつでも声をかければ、話が通ると思っていましたが、今回のコロナ禍でそれも思うようにできなくなりました。1人になった「淋しさ」、「心細さ」や「不安」や「恐怖」。状況は色々でしょうが、これらを持たない人は、1人もいないと思います。

 いまから12年前、私は重篤な脳出血で緊急搬送されました。脳の深部に大きな出血がおき、入院した病院では緊急手術を伝えられました。しかし家族の意思でセカンドオピニオンを受けることができ、東京K病院で「直ちに手術を行うべきではない」と、投薬と経過観察で過ごしています。
 その間、後遺症の発作で救急搬送されたことも5回あります。私は、頭の中に潜んでいる後遺症への恐怖感を1日も拭うことはできません。それでも「今日を生きる」ことに専念したい、との気持ちを振り絞ってきました。弱い気持ちを持ってしまうと簡単に負けそうになるからです。

 コロナは人と人を疎遠にさせています。よかったら、ぜひ川越へお出かけください。
 「小江戸」といわれる蔵造りの古い建物群。「時の鐘」と呼ばれている鐘楼(しょうろう)は、明治の大火の翌年に再建され、いまも1日4回、自動鐘打機による鐘撞(かねつき)が行われています。環境庁主催の「残したい日本の音風景100選」に選ばれました。
 また「江戸の台所」川越名物のうな重は、食された皆さんが喜んでくださいます。いかがでしょうか?


川越・新河岸川沿いの桜並木


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