― 歌・種・記・文 ― (うたたね きぶん)

日々の中で感じたことを書き留めた自分のための雑記帳。
記憶を鮮明にさせてくれる画像や思いが大事な宝物になっています。

旅立ちはやはりあっけないと感じるものですね

2024-02-08 | 孫・家族 に関するお話
 
母が天国へと旅立ちました。

   認知機能の低下で 今接しているのが誰なのか 自分が今どこにいて何をしているのか
   わからなくなることも増え 家にいても「帰りたいんですけど…!」などと言ったり
   足元が安定しないのに ひとりで歩いて 家の中で転倒骨折してしまったり、
   飲み込む力も低下して むせたり吐いたり…
   高齢者が抱える疾患が いくつか重なってきていました。
   そして あまり間が空かずに 誤嚥性肺炎で二度目の入院!

   飲み込んでは危険だからと入れ歯を外されていたので明解ではないものの
   初めは 「帰りたい!」「喉が渇いた!」という言葉が多めでした。
   でもこの日以降 記憶の線は繋がっているように思えました。
   しかし次の日には血中酸素濃度の低下で酸素マスクに…
   それでも意識ははっきりしていて 孫 (娘) たちが会いに来てくれた日には
   大丈夫なんだろうかと心配になるほど切れ間なくおしゃべり!
   時々昔と混同しているようなこともありましたが とても楽しそうでした。

   ところが 翌日からは 息が苦しくておしゃべりが出来なくなってしまって
   妹と交代でずっと付き添うようになりました。
   それでも 握る力は強く、聞いたことに応えてくれる対応はしてくれていました。
   入院から五日目、呼吸がかなり苦しそうでしたが モニター画面にさほどの変化はなく、
   妹の娘たちが会いに来たので ゆっくり夕食をとってきていいと自宅へ返し
   夕方からは私がひとりで見ていました。
   意識があるのかないのかはわからないながらもずっと話しかけ続けていたら
   薄目を開けて何か言いたそうにじーっと見つめている時間がありました。
   そして18時過ぎ 心臓の数値が少しずつ下がってきて…
   妹たちが到着して わずか10秒ほどで旅立って行ってしまいました。


その後 葬儀社に電話して 病院から見送り、翌日は早朝から打ち合わせ。
火葬場、お寺、葬儀社。
調整して 6日後にお通夜、7日後の早朝に告別式と決まりました。

それにしても 病院、葬儀社、火葬場の対応は どこも 慣れ過ぎ感が強いなー!  
父の時に思わされたことを 再び感じさせられた気がしました。  

   病院では 夜勤勤務の人の数が少ないのか
   ナースコールを連打しても看護師がなかなか来ず、
   ベッドサイドのモニターが危機を知らせているにも拘らず
   やっと来た看護師は「なんですか?」と言う。
   しかも危機的状況が見て取れるのに
   「あらお熱が高いみたいですね!」「氷枕持ってきて冷やしましょうね!」
   通常の患者さんと変わらない応対ぶりに愕然!
   〔今の今 緊急でやらなければいけない最大のことがそれなんでしょうか!?〕
   けっきょく 緊急時的対応らしきものはなく 先生がいらしたのも 死亡時間の確認の時。
   事前に無理矢理の延命処置はしなくていいとは言ったものの
   〔駆けつけて付き添って看取ってくれるのかと思っていたのに そんなものなんだ!?〕
   なんだか割り切れない切なさが残りました。

   葬儀社の営業マンは「お寺が関わっている場合 ここから下は使えません」と
   パンフレットに記載されている下半分ほどのランクをバッサリと切り、
   しかも「これだと遺影を彩るお花が淋しめですよ」とか
   「お通夜や葬儀までの間に排出物が出てもこれだと処理ができませんよ」とか
   上のランクに持って行こうとするあまり 家族には非情と思える対応ぶりとなり
   悲しみに暮れているのに腹が立つという矛盾を感じる結果となりました。
   その上 ランク別の額が父の時より格段に高くなっていたのにも驚愕!
   聞くと「お棺もお花代も上がっているので…!」と説明されました。
   どこもかしこも値上がりしているので仕方がないとは思うのだけれど
   やはり驚かされます。
  ※(今回コメントをいただいたことから 書き忘れていたことを追加しました。)
   不思議に思えたのは 父の時にあんなに勧められたエンバーミング。
   今回の営業マンからは なぜか「お勧めしていません!」と言われました。
   〔今はしなくなったの?〕と思ったら 葬儀社にはちゃんとパンフレットが
   置かれていて〔営業的にいったら これを勧めたほうがよかったんじゃないの??〕
   と思ってしまいました。
   母には何度も面会に行きましたが 母がお棺に入ったのはお通夜の前々日でした。
   それまでは病院から運ばれる際に着替えた浴衣のまま白い布で包まれての対面。
   触れられる状況でしたが 心配をよそに 当日まで とてもきれいな様相でした。
   そして式の際に遺影を彩ったお花たちも 女性らしい色合いが使われた いい仕上がり。
   営業マンの口ぶりからは不安が生じた点もありましたが
   現場との間には差があることもわかった気がしました。
   
   父の時にもお願いしたお寺のご住職がとても丁寧な方で、
   お通夜の時 現代語訳付きの仏遺教経をくださったり いろいろお話をしてくださったり…
   そのため告別式も長引いて 火葬の時間がギリギリに…!
   到着と同時に炉の前に運ばれて慌ただしいようなお別れとなりました。
   1時間半ほど待って収骨。
   その際 お骨を収集される方の動きがまるでパフォーマンスのようで 違和感!
   なぜ骨壺が置かれたテーブルの上だけ 灰まですべて集めました感を出すんでしょうか?
   そこまでするなら初めの段階でもっとしっかり集めてくれたらいいのに…!
   何度か立ち会ったけれど みんな同じ表現をされているのにも違和感を覚えてしまって
   とても切なく感じられました。


親族にとってはたった一人の家族だけれど
人は仕事の経験が増えていくうちに その場や職に慣れてしまって
寄り添うはずのお仕事であっても
通常仕事という気持ちになってしまうんでしょうか!?
みんながみんなとは思わないけれど 心が弱っている時なので
こういったことにはとても敏感になってしまいます。

   
口の中の細菌が肺に入り込むと肺炎に繋がるからと 日に数回行われる 口腔ケア。
起こして脱がせて拭いてなどが行われているものと思われる着替え。
オムツを取り替えるだけでも本人の負担は大きそうに思えました。
その時によって変わると思われる楽な姿勢。
ベッドの角度や枕の高さなどを看護師さんは本当にわかっているのだろうか?
疑問を感じることも何度かありました。
身内を外に出して いろいろやっていただくことも
チェックシートに従っているようなので
本当に苦しそうで大丈夫なのかと心配になる時には
今それは本当に必要なのかと思ってしまうこともありました。
息をするのも苦しい時の口腔ケアはどれだけきついことか!
数値も落ちてきてしまうためか 酸素濃度をいっぱいにあげたらしい痕跡を
亡くなった後で見つけ、それもまた苦しかったのではないかと思ってしまいました。
もちろん看護師さんも大変だろうなと思うので感謝はしていますが
いろいろと感じてしまう点があったのも事実でした。


娘が生まれてから、父と母のことは いつしか
おじいちゃんとおばあちゃんと呼ぶようになりました。
だから 母が天国に行ってしまいそうになった時も
何度も「おばあちゃん!」と呼びかけ、近くに置いてあった父の写真に向かって
「ちょっと おじいちゃん、まだ連れて行かないで!」と叫んでいました。
妹たちがギリギリ間に合うことが出来たのは
母が頑張ってくれたのか 父が頑張ってくれたのか…
とにかく私一人だけの寂しい見送りは回避されて
一時的でしたが安堵と脱力感に襲われました。
本当に みんなが驚くほど頑張った母でした。

(追加分)
葬儀社にいらした高齢の従業員さんの丁寧な対応ぶりにはとても好感が持てました。
今回の葬儀は あまりないという 早朝の8時から。
私が出向いたのはその1時間前で 従業員はその少し前にいらしたようでした。
告別式が始まりお経 そしてお焼香。
次に初七日の法要も行われ お経の後のお焼香へと流れていきました。
すると 住職が私たちに手で合図を送るという場面があって〔ん?〕となりましたが
後で聞いたら 従業員の二人がうたた寝をしていたそうで、
気づくのが少し遅れて 慌てて勧めにくるという状況になっていたようでした。
早朝とはいえお仕事なんだから…と思う点もありますが
良くしていただいたひいき目なのか
出勤時間とお経…は 親族でもなければ眠くなるだろうね!と
張りつめていた中でのホッコリとした笑い話になりました。


母は まだ父の元には行きたくないと言っていました。
まだまだこちらで楽しみたいと…!
だから父と再会する前に 好きなように動き回ってほしいなと願いました。


母は まだ父の元には行きたくないと言っていました。
まだまだこちらで楽しみたいと…!
だから父と再会する前に 好きなように動き回ってほしいなと願いました。


お骨になるのを待つ間 精進落としの会食をしていたら
ひっきりなしに収骨案内のアナウンスが聞こえてきて
亡くなる方の多さに驚かされました。
今は控室で収骨の案内があるまで待つ形式が増えているようです。
 

パソコンに向かいたくなくて 書いても投稿したくなくて…
このまま放ったらかしにしようかと思いましたが
父の時に書いていたので
その時の思いとして載せておくことにしました。


  
旅立ちは やはりあっけないと感じるものですね!
亡くなってしまったことは悲しいけれど
あの高齢であの頑張りには 心底 敬意を表したいと思います。
今は楽になって好きなことをしていると信じたい!


                        お読みいただきましてありがとうございます
            ランキング投票にご協力いただければ幸いです。
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分らしさへ
                                   にほんブログ村




イラスト素材の一部は下記からお借りしています。
   「イラスト工房」


コメント (10)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 昨日は寒かったー! | トップ | ニャン達が元気なことに感謝... »
最新の画像もっと見る

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (夢母)
2024-02-08 18:05:56
お母さまのご冥福をお祈り申し上げます

私も、
母を送り父を看取ったので
お気持ちが痛いほどわかりました

葬儀等が終わると
ご自身の体調が不安定になります

気が張ってると存じますが
なるべく
お休みされますように・・・
Unknown (popra)
2024-02-08 20:22:08
しみじみと読んでしまいました。
お疲れ様でした。
Unknown (yuki)
2024-02-09 10:05:14
ご母堂様のご冥福をお祈りいたします。

昨年4月(桜の花が散るころ)母も102歳で他界いたしました。今やっと、気持ちの整理が付き落ち着いてきました。
たまたま、長男坊が病院関係に勤めており、葬儀屋さんも実に丁寧に送ることが出来ました。
やはり、斎場は混みあっていて日程調整もなんとかできましたが、今ではエンバーミングと言った方法もあり、その間 霊安室も何日も通う(会う)ことが出来ました。
家族葬でしたが、長男坊の知り合いもあってか?変な話ですが、3割程度安くしていただき、葬儀社さんからも生花が届けられていました。
お別れは辛いものがあります。
時間はかかりますが、故人の思い出だけ残して置けばよろしいかとも思いました。
失礼なコメントでスミマセン。
夢母様 (mie)
2024-02-10 20:19:00
コメントありがとうございます
夢母さんも同じような体験をなさっていらしたんですね

まだ49日があるので落ち着きませんが
体調を崩して心配されないように気をつけたいと思っています
お気遣いに感謝いたします
popra様 (mie)
2024-02-10 20:24:05
コメントありがとうございます
いろいろと考えさせられる点はあるものですね
疲れかたで歳がわかるようです
yuki様 (mie)
2024-02-10 21:22:08
コメントありがとうございます
今は100歳を超えるご長寿な方も増えていらっしゃるようですが
どんなに高齢であろうとも 親族なら少しでも長生きしてほしいと思いますよね
別れは悲しくて辛く 思い出すことも多く ボーッとしたりため息が出たり…
いまだに気力が回復しない状態が続いています
葬儀費用は高額なので3割はかなり有り難いですね
親族の思いと葬儀にかける費用は比例しないことも多いと思います
故人との絆を感じながら送り 思い出して語り合う気持ちを大事にしたいです
お話を伺って思い出すことがありましたので少し付け加えました
お気遣いに感謝です
拝読させて頂きました (oko)
2024-02-13 11:08:16
お母さまのご冥福を心からお祈り申し上げます。
まだまだお寒さの折にご健勝をお祈り申し上げます。
寂しくなりましたね (もにもに)
2024-02-13 17:06:42
お母様のご冥福を心よりお祈りいたします。
お母様、最期の最期まで頑張って、皆さんが揃うのを
待っていてくれたのでしょうね。
私は父も母も間に合いませんでした。
母が亡くなって4年、まだ着物は我が家に持ち帰った
ままです。私は着ないけど捨てるのも忍びなくて。
oko様 (mie)
2024-02-16 19:03:09
コメントありがとうございます
気持ちが弱っている時なので体調管理に気をつけなければと思っています
お気遣いに感謝です
もにもに様 (mie)
2024-02-16 19:06:10
コメントありがとうございます
父の時は誰も間に合わず、寂しい思いをさせたな、
こちらも寂しかったなと思ったので
母の頑張りには感謝したい思いでした
着物は思い入れがある遺品になりますね
お気遣いに感謝です

コメントを投稿

孫・家族 に関するお話」カテゴリの最新記事