「退職者の会」の日帰り散歩も今回の企画で50回である。50回記念の鎌倉散策であるが、朝から雨雲である、天気予報では夕方から雨との事だが、今にも降りそうな天気である。昨年も夏に鎌倉を訪問したが、今回は「北鎌倉駅」からのコースである。
駅を降りて左に進み「東慶寺」を訪問、入って直ぐ右手に夏目漱石の碑が立っていた。
「夏目漱石参禅百年祈念」と刻印されている、東慶寺の釈宋演に参禅した時の様子が刻印されており、漱石の再訪に同道した満鉄総裁中村是公と「連れションを」したと思われる場所に平成6年に建立された、受付を済ませると「はなごよみ」のパンフレットが置いてあったが春夏秋冬に楽しみがあり、お花の好きな方には散策にはピッタリかもしれない、訪問した時は植木職人が木々の苔を取っていた。コケが多いのは、北鎌倉一帯が凝灰岩質砂岩層の上に関東ローム層で水はけがあまり良くなく日陰が多く冬も気温があまり下がらない事で、シダ類、コケ類が多く、イワタバコやアオキが多く見られる。お寺の方に案内をしてもらい、本堂の奥くの水月堂にある「水月観音菩薩半跏像(県文化財)」を見学、また隣の「松岡宝蔵」にて蒔絵展も見学することができたが、お寺の中に有料の展示館があるのは珍しい。このお寺の大きい役割の一つは、「松岡宝蔵」にも展示されているが、駆け込み寺(縁切寺とも呼ぶ)であった事である。江戸時代には群馬県の満徳寺と、この東慶寺が幕府公認であった、明治4年に廃止されるまでの600年の間、駆け込めば離縁できる女人救済の寺であった。現代も離婚は大変であるが、昔は寺に駆け込まなければ離縁できず、よほどの事で駆け込んだ事が離縁状等を見るとわかる。
ここの墓苑には、旧安宅産業・出光興産・岩崎書店の創業者、和辻哲郎・西田幾多郎(哲学者)など多くの有名人多く眠っています。
東慶寺を出ると、もう昼である。幹事のMさんが案内葉書に「参加人数によっては豪華昼食になるかもしれない」と書いてあったが、参加者が13名ということで「鎌倉 鉢の木」に予約をしてくれた。精進料理のお店で動物性食材を一切使用しないというこだわりと、四季折々の旬の野菜の素材をいかした調理法で提供するお店である。肉食の好きな小生にとって、どうなのかなと思ったが、精進料理のイメージが変わる品のある美味しい昼食であった、ミシュランガイドに連続掲載されたお店はさすが違うと思った。
昼食を済ませて外に出ると雨がパラパラときたが、近くの浄智寺を参拝する。このお寺のパンフレットに鎌倉五山 第四位と明記してある、「鎌倉五山」とは、臨済宗のお寺を格付けする制度で、幕府が順次格付けの高い寺に僧侶を任命し昇進させようとする、今で言う人事管理制度で幕府の管理を強化するものである。(ちなみに五山は、建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺である。)この浄智寺は、北条時宗の三男、宗政の菩提を弔うために創建された。本尊は、室町時代の阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒如来の木造三世仏座像で、それぞれ過去・現在・未来を表しており、県重要文化財に指定されている。山門が竜宮城を思わせる中国式の山門である。境内は、全域が国の史跡の指定を受けているため、茅葺きの書院があったり、横穴墳墓ありと趣のあるお寺です。
次の散策先は建長寺であるが、雨と寒さのため建長寺をカットし円応寺を参拝。受付の方がこんな天気だから来ないと思ったと言われながら本堂に入る、中には「閻魔大王座像」(国重要文化財)が鎮座している。そればかりでなく「十王」と言われる座像も祀っている、一つのお寺でこんなに祀られているのは珍しい。「十王」は、死後の世界で出会う十人の王様で、初七日、一周忌など十回の取り調べがあると言われている。何とも日々の生き方を考えさせるお寺である。
最後は鶴岡八幡宮へ、この寒さと雨の中でもここだけは混雑している、さすが源頼朝が鎌倉の町づくりの中心として創建した古社である。参拝後は「鎌倉国宝館」へ彫刻や仏像、工芸を展示、企画展として「肉筆浮世絵の美」が開催され展示されていた。
雨と寒さで予定通り散策出来なかったが、鎌倉は、まだまだ散策する所が多い、次回のお楽しみに・・・
【その他の写真】
駅を降りて左に進み「東慶寺」を訪問、入って直ぐ右手に夏目漱石の碑が立っていた。
「夏目漱石参禅百年祈念」と刻印されている、東慶寺の釈宋演に参禅した時の様子が刻印されており、漱石の再訪に同道した満鉄総裁中村是公と「連れションを」したと思われる場所に平成6年に建立された、受付を済ませると「はなごよみ」のパンフレットが置いてあったが春夏秋冬に楽しみがあり、お花の好きな方には散策にはピッタリかもしれない、訪問した時は植木職人が木々の苔を取っていた。コケが多いのは、北鎌倉一帯が凝灰岩質砂岩層の上に関東ローム層で水はけがあまり良くなく日陰が多く冬も気温があまり下がらない事で、シダ類、コケ類が多く、イワタバコやアオキが多く見られる。お寺の方に案内をしてもらい、本堂の奥くの水月堂にある「水月観音菩薩半跏像(県文化財)」を見学、また隣の「松岡宝蔵」にて蒔絵展も見学することができたが、お寺の中に有料の展示館があるのは珍しい。このお寺の大きい役割の一つは、「松岡宝蔵」にも展示されているが、駆け込み寺(縁切寺とも呼ぶ)であった事である。江戸時代には群馬県の満徳寺と、この東慶寺が幕府公認であった、明治4年に廃止されるまでの600年の間、駆け込めば離縁できる女人救済の寺であった。現代も離婚は大変であるが、昔は寺に駆け込まなければ離縁できず、よほどの事で駆け込んだ事が離縁状等を見るとわかる。
ここの墓苑には、旧安宅産業・出光興産・岩崎書店の創業者、和辻哲郎・西田幾多郎(哲学者)など多くの有名人多く眠っています。
東慶寺を出ると、もう昼である。幹事のMさんが案内葉書に「参加人数によっては豪華昼食になるかもしれない」と書いてあったが、参加者が13名ということで「鎌倉 鉢の木」に予約をしてくれた。精進料理のお店で動物性食材を一切使用しないというこだわりと、四季折々の旬の野菜の素材をいかした調理法で提供するお店である。肉食の好きな小生にとって、どうなのかなと思ったが、精進料理のイメージが変わる品のある美味しい昼食であった、ミシュランガイドに連続掲載されたお店はさすが違うと思った。
昼食を済ませて外に出ると雨がパラパラときたが、近くの浄智寺を参拝する。このお寺のパンフレットに鎌倉五山 第四位と明記してある、「鎌倉五山」とは、臨済宗のお寺を格付けする制度で、幕府が順次格付けの高い寺に僧侶を任命し昇進させようとする、今で言う人事管理制度で幕府の管理を強化するものである。(ちなみに五山は、建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺である。)この浄智寺は、北条時宗の三男、宗政の菩提を弔うために創建された。本尊は、室町時代の阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒如来の木造三世仏座像で、それぞれ過去・現在・未来を表しており、県重要文化財に指定されている。山門が竜宮城を思わせる中国式の山門である。境内は、全域が国の史跡の指定を受けているため、茅葺きの書院があったり、横穴墳墓ありと趣のあるお寺です。
次の散策先は建長寺であるが、雨と寒さのため建長寺をカットし円応寺を参拝。受付の方がこんな天気だから来ないと思ったと言われながら本堂に入る、中には「閻魔大王座像」(国重要文化財)が鎮座している。そればかりでなく「十王」と言われる座像も祀っている、一つのお寺でこんなに祀られているのは珍しい。「十王」は、死後の世界で出会う十人の王様で、初七日、一周忌など十回の取り調べがあると言われている。何とも日々の生き方を考えさせるお寺である。
最後は鶴岡八幡宮へ、この寒さと雨の中でもここだけは混雑している、さすが源頼朝が鎌倉の町づくりの中心として創建した古社である。参拝後は「鎌倉国宝館」へ彫刻や仏像、工芸を展示、企画展として「肉筆浮世絵の美」が開催され展示されていた。
雨と寒さで予定通り散策出来なかったが、鎌倉は、まだまだ散策する所が多い、次回のお楽しみに・・・
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