爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

江戸時代の生活を残す「深川江戸資料館~一之江名主屋敷」を歩く

2017-08-07 07:58:17 | 日記

メトロ半蔵門線で「清澄白河」で下車。清澄庭園の近くにあるためセットで見学される方も多いのが「深川江戸資料館」である。資料館となっているが江東区白河出張所も入っており、外見からは大きいとは思わなかったが中に入ると劇場やホールもある文化施設である。受付を済ませて江東区観光展示を見て階段を下りていくと下に江戸時代の町並み深川佐賀町の再現である。これが良くできていて八百屋あり米屋がありで、長屋の再現では三味線の師匠、棒手振、船頭など家族構成まで考慮されていて井戸・便所・ゴミ溜め・稲荷があって当時の長屋の様子がわかります。ライトアップ・音響により変化を加えて見ていて飽きない。説明する方もおり、江戸時代の庶民の暮らしぶりが分かる。

清澄白河駅に戻り半蔵門線住吉駅乗り換えで都営新宿線の東大島駅で下車する。中川船番所資料館に向かう、5分ほど歩いた所に資料館があった。3階と2階が展示室になっており、3階に中川船番所の再現、中川番所の成立・機能・役割や江戸和竿制作工程、水運等に関する資料の展示がされている。2階は、江東区の歴史、昔の生活他が展示されている。「江戸名所図絵」に描かれた中川船番所の時代とは大きく変貌した江東区である、埋め立てられ防災公園やマンションが建っている。資料館前の渡った公園に「旧小松川閘門」(昭和5年完成)があります。小名木川と旧中川合流付近と荒川を結んでいたもので、埋め立てにより役割を終え埋もれたまま保存されています。ヨーロッパのお城のような建造物で、現在でも他に水位調節する荒川ロックゲートがあるが昔の方が見た目いいネ。

「入り鉄砲に出女」の取り締まりは、関所と同じです。

再び都営新宿線に乗車し江戸川区の瑞江駅に到着。「大雲寺」と「一之江名主屋敷」を目指す。住宅街を歩き10分程で「大雲寺」が見える。歌舞伎役者のお墓が多いことから別名「役者寺」とも言われている。このお寺は、1619年に蔵前の地で創建され、その後、本所(墨田区押上)に移り、関東大震災で現地に移り再建(昭和5年)された。そのためなのか歌舞伎役者の墓石は一カ所にまとめられていた。

大雲寺の前の椿通りを北に向かって歩きスーパーマーケットの裏に「一之江名主屋敷」がある。かつてこの辺は、通りの名のとおり椿の里と言われていた。江戸時代の初めに一之江新田を開発した田島家の住居で、田島家は元禄時代以降、一之江新田の名主をつとめていました。
立派な長屋門(江戸後期頃)を通ると母屋があるが寄棟(住居部分)入母屋(土間)造りの曲り家である。曲り家の特徴である厩部分は土間とし「マス」と呼ばれる板囲いは、穀物の収納庫として利用していたようです。土間と台所の間に太い大黒柱がありました。屋根は、二重梁構造で堅牢に出来ています。母屋は、名主の格式を表した式台(玄関)があり、座敷は変形四間取りとなっています。屋敷周りは、池滝のある庭園、竹林、屋敷林、屋敷畑跡、屋敷神、展示棟等があり、名主の権勢が分かる施設でした。

訪れた時に近隣の小学校の先生が下検分で打ち合わせをしていました。地方より東京の方が昔の生活を知る施設が整っているようです。江戸時代にタイムスリップした散歩でした。     


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