爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

草加市立歴史民俗資料館の企画展(日光道中と参勤交代)

2016-12-25 15:11:21 | 日記
久保田藩の参勤交代の企画展示があるというを知り、歴史教育者協議会研究集会プレ企画のあと草加駅まで足を延ばした。草加市立歴史民俗資料館は、草加小学校敷地内に位置する、草加小学校の校舎として利用していた建物を昭和58年に開館した。
この建造物は、1926年(大正15年)に竣工した、設計者は草加小学校の卒業生でもある大川勇氏で、関東大震災の教訓から耐震・耐火を採用し木造校舎の倍以上の建築費をかけた近代的な建物で「国の登録有形文化財」となっている。
元々が2階建ての校舎であるため展示には適していないが、草加市内の古代から昭和時代にかけて貴重な収蔵品が教室・廊下・階段に展示されている、何よりも入館無料なのがありがたい。


企画展は、2階に展示されていた。日光街道の宿場は千住、草加、越谷、春日部と続くが関東における宿場が史跡として残っている所は少ない、碑が建っているだけである。宿場としての掘り起こしは大変な事でもある。
参勤交代は、武家諸法度の中でも財政的にも厳しい制度で、中央集権の根幹をなす制度である。その点は、映画「超高速!参勤交代」で面白おかしく描かれてる。
久保田藩(秋田)と草加宿の関係であるが、久保田藩の家老であった梅津政景の日記の中に約400前に「さうか(そうか)」と記述されている。企画展は「梅津政景日記」の一部が展示されているが、梅津政景は、藩主佐竹義宣に抜擢されたが、藩政における家老梅津の役割は大きかったようで、梅津政景日記は貴重な文献でもある。
久保田藩の大名行列は、資料では8日~22日かかったようだが、8日や22日かかたのはどういう参勤交代なのか不明であるが、秋田市での展示でも約11~14日が平均で、参勤交代の人員は500人~200人で、江戸時代の後期には財政も厳しく人員が少なかったようであり、草加宿を利用しなかった年もあった。


久保田藩の佐竹氏は、茨城県常陸太田から久保田藩への転封であるが、親戚が常陸太田から秋田まで歴史をたどって歩いたと言っていたが今も昔も歩くことは大変な事である。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 歴教協関ブロ プレ企画 「等... | トップ | サントリー美術館と乃木神社... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事