千駄木の高台エリアには森鴎外の旧居跡などがあるが、その周辺には「旧安田楠雄邸庭園」や「島薗邸」など大正・昭和初期の邸宅が残っているとのことで、最寄り駅である地下鉄千代田線「千駄木駅」で下車する。
地上に出ると目の前に「団子坂下」とあり、団子坂を上がって行ったところ、前に訪れたことがある山岡鉄舟ゆかりの寺「全生庵」があり再度訪れたが、途中、坂名案内表示に「三崎坂(さんさきざか」とあり、、逆に来てしまったことに気が付き戻る。
なお、「三崎坂」の由来は、諸説あるが、駒込、田端、谷中の三つの高台にちなむとあった。
※前回、訪れた谷根千については、『「谷根千」界隈の散策 2014.11.17』を参考に。
千駄木駅にもどり反対側の坂道を上がる、坂を上がったところに団子坂上の表示があり、右手に行く。
やっとのことで「島薗邸」に到着。「島薗邸」は、現在、定期的な公開はしてないようで公開日についてはインスタグラムを見てほしいとのことでした、外観だけ写真を撮り「旧安田楠雄邸庭園」に行く。
§島薗家住宅§
生化学者の島薗順雄氏が結婚を機にドイツ建築に造詣の深い建築家・矢部又吉に依頼し建築しました。内部を拝見できないのが残念です。設計・矢部又吉 竣工・1932年(昭和7)
§旧安田楠雄邸庭園§
立派な門を通り玄関へ大邸宅なのがわかる。この建物、旧安田邸となっているが、元々は豊島園の創業者である藤川好三郎が木造2階建てを建設、その後旧安田財閥の創始者の女婿安田善四郎が買取り、長男の安田楠雄が1995年に他界するまで大切に継がれてきました。応接間に隣接しているサンルームが特徴で、奥の和室に向かう廊下にも庭を愛でるための大きなガラス戸が続き、2階にも格式ある書院造りの客間があり、四季折々の美しい景色が眼前にせまり、各部屋から楽しめるよう建築されています。設計・清水組(現・清水建設)竣工・1919年(大正8) 大震災・空襲を潜り抜けた貴重な建築である。
①玄関
この家の当主と格の高い客が使用する正玄関。大きな沓脱石に板敷きの式台、格天井など格式のある造りになっている。玄関の右手には、昭和初期に普及したダイヤル式電話が残る。
②-A応接間
造作材や家具にクルミ材を用い邸内唯一の洋間。
壁のクロス・カーテンは創建当初のもの。家具や暖炉まわりの柱には動物のレリーフが彫られている。蓄音機は大正12年(1923)製造のビクトローラ製で、ピアノは昭和5年頃のヤマハ製。
②-Bサンルーム
ガラス戸を巡らせた明るい室内から奥行きのある主庭と中央党を望むことができる。床はパズルのようなはめ込み式のゴムタイル貼り。(復原)
③-A残月の間
一間四方(約1.8mX1.8m)の床の間と書院が備えされた客間。床の間に合わせ誂えられた安田家の節句飾りは日本橋にあった三代目・永徳齊の作品。座敷から見る主庭は、石の滝組と池を枯山水で表している。
③-B広縁
木目の美しい杉の化粧天井で、一部は網代が使われている畳をあげると地下へ続く階段があり地下へ続く階段があり、防空壕へとつながる。防空壕は、天井がコンクリート壁は大谷石積み。
④茶の間
家族のための部屋で床の間の意匠など格式ばらない造り、深い庇と濡れ縁がまわり、猫間障子と呼ぶ戸の小窓からも座敷とはまた違う角度で庭を望める。押し入れの中は水屋が造られ、天袋の桐の引き戸には墨絵が描かれている。
⑤台所
天窓がある明るい台所は、当初土間だったが昭和4年に床を張り、当時、最先端のキッチンに改造された。配電盤下の配膳棚は使用しない時はたたむことができる。レンガ壁で囲まれた一角はガスボイラー置き場で浴室へ給湯していた。
⑥化粧室・浴室
脱衣所を兼ねた化粧室には髪を洗うための流しが設けられている(現在は蛇口無し)浴室壁にはシャワーが取り付けられ、浴槽は小さく作り替えられている。無双窓や天井の換気口から湯気を抜く工夫がされている。
⑦二階予備室
床の間は天井際に板を渡し竹釘を打った略式の「綾部床」。庭側は雪見障子で庭を見下ろすことができる、押入れの襖は松原の模様が雲母の粉で型押しされている。
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⑧二階客間・次の間
書院造の最も格式の高い座敷。一間半の床の間右に違い棚、左に出書院がある。縁側からは庭のしだれ桜を間近に望むことができる。二階の畳の藳床は創建当初のもので、高度の手縫いの技法で作られている。
庭園と建物の好配置や大正浪漫を感じさせる和洋折衷の内部、調度品を含め、保存状態が良く四季折々に風情を感じられます。他の季節にも訪れてみたくなります。
帰りに駅に向かっていると変わった建物で駒込大観音というお寺がありました。
§駒込大観音§
正式名称は、浄土宗・光源寺で元々は神田にあったお寺で1648年(慶安元年)に移転した。1589年(天正17)の開基し、「江戸名所図会」にも描かれているお寺です。変わった建物というのは、十一面観音像が安置している建物でした。現在の観音像は二代目で初代は戦災で焼失し48年後の1993年(平成5)に再建されたものです。
【参考資料】
・ウイキペディア
・旧安田楠雄邸庭園
・公益財団法人日本ナショナルトラッスト(JNT)、たてもの応援団
・「山手線の名建築散歩」和田菜穂子著 発行:エクスナレッジ
・文京区立真砂図書館
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