爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

日光街道古河宿の寺社を訪ねる散歩

2023-11-21 11:17:34 | 日記

中断していた「退職者の会」の「日帰り散歩」も再開となり、2度目の茨城県古河市の訪問となった。
2度目ということで2年前の訪問と重複するコース・場所もあり、前回のブログにUPした「茨城県古河市を散歩 2021.06.22」も参考にしてほしい。
今回のブログでは前回訪れなかった場所等を中心にしました。
《今回のコースと場所》
雀神社⇒永井寺⇒頼政神社⇒正定寺⇒永井路子文学館⇒古河歴史博物館⇒高見泉石記念館⇒長谷観音⇒高見泉石生誕の地⇒妙光寺(お万の方墓所)⇒お休み所板長

雀神社を出て土手沿いを歩いていると「田中正造翁遺徳之賛碑」というモニュメントがあった。渡良瀬遊水地が近いので少しは関係があると思っていたが、日本の公害の原点である「足尾鉱毒事件」で廃村となった谷中村の450戸の内120戸が古河の地を希望の新天地として選んだとのこと。田中正造は、谷中村の復活を叫び続けたが72歳でその生涯を終えるが、最晩年には古河との関りが深く古河の人たちに影響をあたえた。プレイトには田中正造の闘いが描かれている。

古河歴史博物館に向かう途中に「永井路子旧宅」に立ち寄る、永井路子旧宅は前回も訪れたが、今年(令和5年1月27日)逝去された。東京生まれではあるが母方の実家に転居し古河女子尋常高等小学校(現・古河第一小)、茨城県立古河高等女学校(現・古河第二高)、東京女子大学国語専攻部を卒業され、直木賞受賞、NHK大河ドラマで放映されるなど、数々の歴史小説を残した。

古河市歴史博物館の前に「土塁」があった、古河藩の出城であった場所とのこと。


古河歴史博物館の1階ホールにあるストリートオルガンは見ること聞くことができない大きいオルガンである。オランダから輸入したオルガンで建物の中での実演のため音量が大きいが、オランダの街角で聞く雰囲気を味わうことができる。

※オランダに特注とのこと、上の飾りの雪の結晶は雪の殿様と言われ「雪華図説」をあらわした土井利位の結晶を飾りとした。ストリートオルガンの裏はよくできています。

古河歴史博物館の斜め前に「鷹見泉石記念館」がある。江戸時代の蘭学者で古河藩の家老であった。鷹見泉石は、藩主に近侍して全国各地へ同行し、職務の補佐に能力を発揮し賞賛を受けた。交際範囲も広く、地理学者・箕作省吾*1、画家の司馬江漢、谷文晁、その他、砲術家,海外渡航者、幕府要人、オランダ商館長、外交の中枢にある人々と交流があった。これらの交流については「古河歴史博物館」に資料等が展示・紹介されている。鷹見泉石については、渡辺崋山の描いた「鷹見泉石像」が国宝となっている。鷹見53歳の時の肖像画で西洋の画法も取り入れた傑作として国宝に指定された。
この屋敷(鷹見泉石記念館)は、古河藩が藩士のために用意した武家屋敷で、建物は、古賀城主土井利勝が、古河城の三階櫓を造った残り材で建てたと言われています。明治維新後、鷹見家の所有となり泉石の資料を伝えています。なお、「鷹見泉石生誕之碑」が古河第一小の一角にあります。

*1日本で最初に世界地図を紹介

妙光寺
日蓮宗のお寺で創建は鎌倉時代で慶長年間に現在地に移された。境内には江戸幕府初代将軍徳川家康の側室だった「お万の方」の分骨された遺骨の墓がある。また、享保3年(1718)に造立された馬頭観音塔は、市内で現存する馬頭観音の石仏で市指定文化財となっている。

休憩は、お休み処坂長で。江戸時代から続く商家の建物をお土産・食事・喫茶に利用。
建物は蔵などを利用しており外見は蔵ですが内装はモダンで、たいへん珍しい趣のある休み処です。
建物の前の通りは肴町通りでこの通りが昔の商家が意識的に保存されているようです。肴町の名は、全国的にみられ職業をあらわす町名が多く、この他にも他地域では紺屋町、鍛冶町などがある、古河市でもお城へ。お米やお茶・お酒をはじめ食料品を供給していた地域。

古河市には2度訪問したが、観光パンフレットを見ると、まだまだ訪れなかった所が多くあり、いつも感じることであるが、お城のある街は見どころいっぱいである。


【参考資料】
 ・城下町古河を歩く(発行:古河の都市観光を推進する会)
 ・永井路子旧宅
 ・ウイキペディア
 ・古河市HP
 ・古河市歴史博物館

♦その他のPhoto♦
日帰り散歩の楽しみは、名所旧跡を訪れこともさることながら、街を散歩しながら「まだ残っている」「可愛い」「美しい」「スゴイ」を感じることも楽しみの一つである。

コメント
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