爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

柴又七福神

2014-01-10 19:43:31 | 日記
1月の「退職者の会」の日帰り旅行は、柴又七福神巡りである。ここ数年、日本橋や谷中の七福神巡りを企画してきたようで今回が最後の七福神巡りとの話で私にとっては最初で最後となってしまった。この七福神、初めから七福神で祀られたのではなく三神(大黒・恵比寿天・毘沙門天)をへて、室町時代末期に七柱の神仏による信仰が近畿地方から始まったと言われている、当初は七神仏が一定していなかった点もあったようであるが、江戸時代に現在の七福神が定まった(一つ加えて八福神もある)。都内だけでも20以上あるようで、現在では七福神巡りではなく、各地の七福神回りがあるようです。
今回の柴又七福神は、
①医王寺ー右手に釣り竿、左手に鯛を持っている恵比寿天、もともとは航海と漁業の守り神。現在は、商売繁盛の神様で、唯一国産の神様である。
②宝生院ー米俵に乗っている大黒天は、インドの神様、大きな袋と打ちでの小槌で、多くの人々を救済する、出世材福の神様で五穀豊穣、子孫愛育で恵比寿天とともになじみ深い。
③万福寺ー短身長頭で白髭は福禄寿。中国の神様で、福は幸福、禄は高禄、寿は長寿をあらわし、三徳を兼ねた神様。
④題経寺(柴又帝釈天)ー 映画「寅さん」で有名な帝釈天は、毘沙門天でインドの神様で別称多聞天といい、四天王の一人である北方守護神。右手には材福を生む宝棒(鉾)、左手には除災招福の宝塔を持っています。勝負事に御利益があるとされる。
⑤真勝院ーヒンズー教の代表的な女神サラスバーティを由来としている弁財天は水の神様、また、音楽・弁舌の能力も与えてくれる神様で、知恵と財宝の神。
⑥良観寺ー袋をだずさえて笑っている宝袋姿は、中国の禅僧で七福神の中では唯一実在の人物。人を見れば物を乞う、浮浪者風の人物であったらしが、袋の中の財宝で貧者救済、福々しい容姿・容貌から福徳円満すべてを包容する和合成功の神様、夫婦円満・財宝賦与に御利益が。(一般てきには布袋尊をいう)
⑦観蔵寺ー杖をつき長い頭の寿老人は、中国の神様で、七福神の第一におかれる長寿延命の神様。

となっている。
京成金町線の柴又駅で下車、TVでよく見る「寅さん」の銅像前で記念写真を撮り、一番目の七福神「良観寺」へ、その前に柴又八幡神社へ立ち寄る、社殿の下の石室に埴輪などが保存されている、良観寺、真勝寺を回り帝釈天へ。道々なぜか「うなぎ」の話題に、柴又は「川千家」「川甚」など川魚料理で有名な老舗がある。「川千家」の看板が見え9人だと予約という事になったが、予約はコース料理で結局11時に入店した。お昼に近くなると満席状態に、食事をしていると獅子舞が店内に、いやが上にもお正月気分にさせ、お客一人一人に獅子舞の新年の挨拶が、これで今年1年良いことがあるかも・・・。「うなぎ」のあと、帝釈天をお参りし、彫刻ギャラリーと庭園を見学、映画ではお寺の中まで分からなかったが一同この彫刻には「スゴイ」の一言。
帝釈天の後、寄り道の「矢切の渡し」に向かう、土手を上がるとTV「金八先生」の光景が目に浮かぶ、河川敷が広い、都内でこんな広々と感じる所も珍しい、

「矢切の渡し」は柴又公園の一角にあった、歌にも歌われた有名な場所なので分かりやすいのかと思ったが記念碑があるものの見落とししそうな所であった。都内唯一の渡し場で江戸時代は関所を設けて通行人を取り締まった。付近の農民だけは渡し船が許可された。寄り道も終わり、七福神回りを万福寺から始め、宝生寺、医王寺とお参り、最後の観蔵寺へは「新柴又駅」より北総線にて京成高砂駅へ。柴又七福神すべてを回り、帰りは駅前の昔懐かしい喫茶店にて休憩し帰路に。寅さんの記念館など見て回りたかったが残念、この時期、我々と同じようなリタイヤ組の多くの方が納経集印帳を持って巡っていた。
コメント
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