Cafe de Kerm ~毒味ブログ~

物言いにも、珈琲にも、もれなく毒が混入している可能性が無いこともないです。

中国人の反日感情について

2004-08-09 22:17:33 | Thinkings
 昨日、書かないとか言ってましたが、本日はこれよりも書きたいネタがないのであえて書くことにします・・・

 いろいろ言われてますが、中国人の皆さんはまあしゃあないねー。
 中国と言うよりも、中国とその近隣国ですかな。
 結局のところ、現在の反日感情における最大の原因は、未だにねちねちと続く反日教育のなせるワザでしょうね。
 未だに戦争保証が叫ばれている周辺諸国ですが、実際には補償は完了しています。

終わっている戦争補償

完了している個人補償

 こうなってくると、彼らのやっているのは単なる・・・
 悪意あるパフォーマンス
となるわけですが。

 で、根本にはいったい何があるのかと申しますと、
同じ有色人種のくせしやがって
と言うのと、
弟が、父や兄を追い越しやがって
と言うのがあるのだと考えます。むしろ、後者が大きいのでしょう。儒教の国ですから。

「おまえのひいじいさんの時代の連中が俺の親戚とかを殺した。謝罪しろ!」
 ・・・いや、そんな時代の、しかもすでに罪を償っている人たちの所行を謝れと言われても。ちょっと冷静に考えりゃわかりそうなもんだけどなあ・・・

 と、言うわけで私は前にテレビで見た「私の先祖がそんなひどいことを・・・」とか言っていた中学生に対して、後ろから蹴りを入れたくなりました。というか、貴様ら卑屈すぎです。何を今更、と言うでかい顔をしていりゃいいのです。

いやね、
  パフォーマーを相手にするだけ無駄というものです。

CB:報告の義務について

2004-08-08 21:50:24 | Life
 中国人の反日感情について書こうと思ったが、他でも鬼のようにかかれているだろうから、やめることにする。

 今回は仕事の話なので、あんまりおもしろくないかも知れない。
 というのは、本日の6時過ぎに、突然電話が鳴った。上司からだ。
「Sが昼間に施設の様子を見に行ってから、役場に戻っていない」
 まあそれだけなら、直帰しただけだろうと思える。
「実は今日はSが宿直で、交代時間から一時間たつが、何の連絡もない。携帯にかけても全く出ない」
 宿直にこないなら忘れているとも思うが、前のとあわせると一気に不安になる。私はS氏の実家に急遽電話をかけたが、こちらも出ない。電話をかけてきた上司に連絡し、私も役場に向かうことにした。
 役場についても連絡はなく、しかも施設からは警報がまだ出されたままだった。その施設は細い山道(一応舗装された車道)を上ったところにある集落の施設で、町の中でも孤立したところだ。山道は所々危ないところもあるし、水道施設で塩素を扱うと言うこともあり、最悪のケースがいくつも頭に浮かんだ。
 私は上司に課長への連絡を頼み、合流したもう一人の上司とその施設に向かった。20分ほどで施設に着いたが、車は無く、中にいることも確認できない。そして、次の施設に向かったところで上司から連絡が着た。
「連絡が着いた。忘れていたそうだ・・・。」
 課長以下、自分の以外の課員が全員来ている中、宿直室に入ってきた彼はいかにもばつが悪そうだった。

 今回の話の教訓は、昼間に施設に行ったときに、日直に完了報告を行ってさえいれば、なにも課員が心配して捜索するという事態にはならなかったと言うことだ。

 こんな事は当然だと思うかも知れないが、今回のようなケースを起こさないためにも、責任を分散させる事で自分自身を守るためにも、上司への報告というのは習慣づけるべきだ。

 仕事は報告するまでが仕事。今一度肝に命じておく。

CB:雷

2004-08-07 20:04:56 | PC
 つい先ほどまで、私の住んでいる土地は、大雨と雷に見舞われていた。近年まれに見るくらい激しい雷と雨で、庭は瞬く間に池になり、電気も点滅を繰り返すようになった。
 私はPCに向かっていたのだが、いい加減諦めて読書を決め込むことにした。簡単な話で、瞬間停電の度にPCが再起動してくれては作業も何もあったものじゃないからだ。
 いざ電気が使えなくなってみると、生活の大部分がたち行かなくなってしまうものだと言うことが、今回の一見でよくわかった。
 PCはもちろん、照明、エアコン、テレビに音響機器、携帯の充電まで。オール電化の家なら、それこそ調理もできやしない。
 年に何度もあることではないが、備えあれば憂いなし。UPSでも導入しようか、ちらっと頭をよぎった次第である。

UPS基礎講座

市町村合併について

2004-08-07 01:17:52 | Life
 唐突だが、私の住んでいる市は、来年2月で私の働いている町を含む周辺5町村と合併する。
 ここまで来るのには様々な紆余曲折があった。
 町長の問題発言、議員の暴走、飛び交う怪文書・・・あげればきりがないほどだ。
 合併する前でこれなのだから、合併した後にも問題が出ないはずがない。

元町村長、合併で“本音”/岐阜市で報告会

以下イタリックはこの記事より抜粋。
合併が成功しても不成功しても新たな確執が起きている
とあるが、私に言わせれば当たり前のことだ。
 国の出した期限に間に合わせるように、大急ぎで合併する市町村の言い分をまとめ、各自治体ごとバラバラだった細かい制度を無理矢理まとめ上げて、それまでのサービス拠点であった市役所や役場を、一部を除き大幅に人員縮小する。
 これだけのことを短時間で、大急ぎでやったのだから、当然いろんなところに無理も出てくる。吸収された方の住民にとっては、それまで近くにあったサービス拠点が遠のいたり、制度の変更によって負担増になる部分等に対して不満を抱くだろうし、働いている職員にとっても、業務の増や、制度変更への負担、異動に対する不満、何より先行きの不透明感が不安を煽るだろう。

 もちろん合併に失敗したところも同様だ。
 国が合併を推し進めていると言うことは、小さいところに補助金を出したくないと言う意図がある。逆に言えば、エサに飛びつかなかった奴らには、今後エサを与えたくない=補助金の減額という図式も成り立つ。
 小さい自治体は得てして不効率が多い。
 人口一万人の自治体と、人口2千人の自治体の職員数が一緒だったなんて笑えない話がざらにあるのだ。そんなところで税収と歳出のバランスをとるためには、各種補助金に頼るしかない。補助金をたたれるのは死活問題なのだ。
 そしてもう一つ。
 街の規模によって、自治に対する権限が違ってくるのだ。
 簡単に言えば、市では独自でできることが、村だと県や国の指示を仰がないとやらせてもらいことが色々あるのだ。今後、その格差がいっそう広がる可能性も十分ある。
 それらから、将来的に小さい町村は運営が成り立たなくなる事だって考えられる。実際にそれを危惧した声はいくらでも聞いた。

 つまりどう転んでも、不満を持つ人間はいるのだ。確執なんて起こって当然だ。
 では、そこまでしてやるメリットは何か?と言うと、やはりコストの削減につきる。
 サービス拠点をまとめることによって、設備投資を抑え、各自治体の作業をまとめることで、人員の削減につながる。業務を一本化することによって、優先順位の低い事業を無理にやる必要が無くなる。自治体の規模が大きくなり、かつ議員が減ることによって、”地元要望”という大義名分で行われていた無駄な公共事業が通りにくくなる。補助金を出す金額が減ると言うことだ。
 そして、ある程度の規模の事業ならば、市町村単独でできるようになるので、国や県の負担が結果的に減る。何故って、今まで全額持っていた事業が5割の負担ででき、さらに人的な負担も軽減されると来れば、願ってもないことだ。
 住民サービスは、その分だけ犠牲にされるわけだが。

 個人的な感想を言わせてもらえば、市町村合併はやるべきだ。これ以上、行政に無駄な投資を行うべきではない。
 市民サービスが悪くなると言う意見もあるだろうが、小さいところに関してはこれまでが恵まれすぎていたのだ。人口割りにすれば多すぎる議員と、大きすぎる行政組織。不満や要望が耳に入りやすいのは当然だ。それを逆手にとって、いかにも無駄な道路の改修や、要望を隠れ蓑にした偏った公共工事を幾度と無く見てきた。それが少なくなるだけでも十分に価値があると思う。

 結局、議員や町長と言った声の大きい者の意向や思惑で、合併に関してはずいぶん振り回されてきた。個人的な利益を求めるのはある意味、自然な形だと思うが、それを前面に出して他の市民、町民を巻き添えにするのはあまりにも身勝手すぎる。
 そういう勘違いした連中の何割かがいなくなる事が、最大の効果ではないかとも思っている。

CB:依存とか

2004-08-05 23:00:09 | Life
 恥ずかしい話だけれど、本日仕事に遅刻しそうになった。
 全く恥ずかしい話なんだけれど、原因が2度寝だと言うんだから、さらに恥ずかしい。まあ、あわてず、急がず、何とかなったわけではあるけれど。

 で、遅刻のことはまず置いておいて。
 遅刻の副産物として、携帯と手帳を忘れてしまった。これが痛い。
 正直な話、私の仕事はデスクワークが中心なので、別に携帯が無くても仕事はできる。とはいえ、どうしても急な連絡とかはあるものだし、何より電話帳を忘れてきていると言うことと同意。なので、出先に出ているときとか、必要以上にびくびくしていた。

 そしてもう一つ。手帳だ。
 私は紙の手帳が嫌いなので、いつもクリエを持ち歩いている。持ち歩き始めたのは意外と、自分でも意外なのだが、去年の暮れから。実質半年と言ったところだ。
 これが、予想以上に困る。
 手帳を持つ前は、ある程度記憶で何とかなっていたし、何より職場のPCや黒板にできるだけ書くようにしていた。もちろん今もしているけれど、それを”見る”という習慣が、すっぽり抜けてしまっていたのだ。”予定は手帳で確認”と言うライフスタイルがすっかり定着してしまっているから、予定の確認の仕方がわからない。
 もう、不安でたまらない。この日予定を入れてしまって大丈夫だったか、今日は本当に予定は無かったのか。

 完全に”依存”をしている。

 特に後者は深刻だ。つまり、予定に関しての”記憶”を肩代わりしている形になっているため、最近”予定を記憶する”と言うことがどうにも苦手になってしまったのだ。
 依存てのは、自分のできる何かを、何かにさせることで、自分自身がそれをできなくなってしまうことだ。
 自分はより正確な記憶手段を手に入れることで、自分自身でそれを完結させることが難しくなった。一概に悪いとは言えないが、喜んで受け入れるにも抵抗がある。
 難儀なものである。