昨今、著作権についていろいろな議論が交わされていますけれど、日本の場合で強硬に権利を主張しているのは、「権利団体」とか「メディア」、「過去の栄光がある作家」がほとんどのようです。
そんな彼らがご執心なのが、「著作権を死後70年に」という法律改正。しかしながら、このことについては「二次創作が阻害」「作品の頒布に支障が出る」等と言った慎重、と言うか反対意見もたくさん出ています。結局のところ、70年に延長したとしても、大部分の一般市民とかクリエイターにとっても、正直メリットなんて全くないわけですから。
70年にして「本当に創作意欲がわくのか」と言うよりも、「今更創作意欲とか言われても」というのが私にとっても本当のところですが、権利者側の意志はずいぶんと固いようで、議論はずっと平行線をたどっています。
このままディベートを続けていても、感情論とか水掛け論で終わってしまい、結局は「政治の力」でごにょごにょされるのでは?などと考えていたところ、もっと公正な形で著作権法延長を考えるという新しい試みが報告されました。
つまり、儲かるか儲からないかという単純な話です。
著作権保護期間の延長、経済学的には「損」 「毒入りのケーキ」が再創造を阻む ITmedia
たとえ20年延長されても収入への影響は、例えば印税に適用するなら、10%が10.1~10.2%に増える程度に過ぎない。それでやる気になり、「もっと本を書こう」と思う著者はいるだろうか。「保護期間延長による創作への誘引効果は、低いと言わざるを得ない」(
他の報告でも、すべからく結果は辛辣。
詰まるところ、経済効果はデメリットだらけで、創作意欲は大して高められることもなく、二次創作を阻害することで露出も減り、コンテンツ立国を促進するなんてお題目も意味をなさない・・・なんて全く笑えないものです。
個人的に印象的だったのは、
死後に1冊でも書籍が出版される著作者は全体の50.1%とほぼ半数。「残りの半数にとっては、没後70年どころか、死後の保護期間そのものが意味をなさない」(丹治さん)。しかも没後の出版点数は極端な寡占状態。上位5%までの著作者が、没後出版数全体の75.1%を占めた。
同サイトのまとめ記事でも、
数%の著作者(の遺族)のために、大多数の作品を共有するチャンスが20年も先延ばしにされる(その分忘れ去られる可能性も高まる)のだとすれば、やっぱり切ない議論だと思う。
要は、「太宰は読むけど二葉亭四迷は知らない」ということですよ。有名作家は日の目を見るけど、そのほかの作家にとっては、儲からないから出版社は本を出してくれないし、保護期間のおかげで青空文庫でも作品を見てもらえないという事です。これは、埋もれた良作品に光を当てられない、何とも悲しい事です。
しかも、それで得をするのはその作品を生み出したわけでもない「遺族」ですから、余計タチが悪いと思いますが・・・
最後に引用するのは元記事の最後の部分。著作権が無かったら、そして本当にクリエイターのためになっているのか、と前置きをした上で、こう意見されています。
「最後にお金を取るのは社会的に強い人で、著作権が法的に誰にあるかは、実は大して重要ではない。通常は、情報の伝送路を持っている人が強いが、それは伝送路にコストがかかっていた時代の発想だ。著作権が無意味化することで、かえってクリエイターが本来の報酬を得るという社会が、部分的にでも来る可能性があるのでは」(安念教授)
「著作権自体が今の時代に即していない」という考え方です。
私の書いているこんな駄文でも、見ようと思えば地球の裏側からでもコストレスで見ることが出来る。こんな時代に、伝送路なんて無意味だと言うのです。
今なら、消費者が見たいもの、欲しているものを提供することで対価を得ることが出来る自然な仕組みが出来るのではないか・・・しかももっと純粋な形で。
たぶん、それらは流通コストなんて考えなくてもいいDRMフリーのダウンロード販売とかストリーミングとかが実現していくのでしょう。そして、それらは、今既得権を話したくない人にしてみたら、何とも「不都合な真実」となるのでしょうね。
そういう未来が来ることを祈りつつ。
そんな彼らがご執心なのが、「著作権を死後70年に」という法律改正。しかしながら、このことについては「二次創作が阻害」「作品の頒布に支障が出る」等と言った慎重、と言うか反対意見もたくさん出ています。結局のところ、70年に延長したとしても、大部分の一般市民とかクリエイターにとっても、正直メリットなんて全くないわけですから。
70年にして「本当に創作意欲がわくのか」と言うよりも、「今更創作意欲とか言われても」というのが私にとっても本当のところですが、権利者側の意志はずいぶんと固いようで、議論はずっと平行線をたどっています。
このままディベートを続けていても、感情論とか水掛け論で終わってしまい、結局は「政治の力」でごにょごにょされるのでは?などと考えていたところ、もっと公正な形で著作権法延長を考えるという新しい試みが報告されました。
つまり、儲かるか儲からないかという単純な話です。
著作権保護期間の延長、経済学的には「損」 「毒入りのケーキ」が再創造を阻む ITmedia
たとえ20年延長されても収入への影響は、例えば印税に適用するなら、10%が10.1~10.2%に増える程度に過ぎない。それでやる気になり、「もっと本を書こう」と思う著者はいるだろうか。「保護期間延長による創作への誘引効果は、低いと言わざるを得ない」(
他の報告でも、すべからく結果は辛辣。
詰まるところ、経済効果はデメリットだらけで、創作意欲は大して高められることもなく、二次創作を阻害することで露出も減り、コンテンツ立国を促進するなんてお題目も意味をなさない・・・なんて全く笑えないものです。
個人的に印象的だったのは、
死後に1冊でも書籍が出版される著作者は全体の50.1%とほぼ半数。「残りの半数にとっては、没後70年どころか、死後の保護期間そのものが意味をなさない」(丹治さん)。しかも没後の出版点数は極端な寡占状態。上位5%までの著作者が、没後出版数全体の75.1%を占めた。
同サイトのまとめ記事でも、
数%の著作者(の遺族)のために、大多数の作品を共有するチャンスが20年も先延ばしにされる(その分忘れ去られる可能性も高まる)のだとすれば、やっぱり切ない議論だと思う。
要は、「太宰は読むけど二葉亭四迷は知らない」ということですよ。有名作家は日の目を見るけど、そのほかの作家にとっては、儲からないから出版社は本を出してくれないし、保護期間のおかげで青空文庫でも作品を見てもらえないという事です。これは、埋もれた良作品に光を当てられない、何とも悲しい事です。
しかも、それで得をするのはその作品を生み出したわけでもない「遺族」ですから、余計タチが悪いと思いますが・・・
最後に引用するのは元記事の最後の部分。著作権が無かったら、そして本当にクリエイターのためになっているのか、と前置きをした上で、こう意見されています。
「最後にお金を取るのは社会的に強い人で、著作権が法的に誰にあるかは、実は大して重要ではない。通常は、情報の伝送路を持っている人が強いが、それは伝送路にコストがかかっていた時代の発想だ。著作権が無意味化することで、かえってクリエイターが本来の報酬を得るという社会が、部分的にでも来る可能性があるのでは」(安念教授)
「著作権自体が今の時代に即していない」という考え方です。
私の書いているこんな駄文でも、見ようと思えば地球の裏側からでもコストレスで見ることが出来る。こんな時代に、伝送路なんて無意味だと言うのです。
今なら、消費者が見たいもの、欲しているものを提供することで対価を得ることが出来る自然な仕組みが出来るのではないか・・・しかももっと純粋な形で。
たぶん、それらは流通コストなんて考えなくてもいいDRMフリーのダウンロード販売とかストリーミングとかが実現していくのでしょう。そして、それらは、今既得権を話したくない人にしてみたら、何とも「不都合な真実」となるのでしょうね。
そういう未来が来ることを祈りつつ。