こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

筋トレしていても湧いてくる雑念

2018年06月15日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

週に2度、スポーツジムに寄ってから帰っている。ジム通いは昨年の4月からで、結構続いているものだと思う。やっと、最近ベンチプレスを開始して、やっと3大トレーニングをルーチンでやるようになった。まだまだぎっくり腰の心配がないわけではないが、やらないという自信はだいぶついてきた。

ダンベルだのバーベルを上げ下げしたり、担いで立ったり座ったりしていると、結構それらに集中して雑念が消える。以前ジムに通っていたのは20年近く前で、やり方ももうすっかり忘れていたので、勉強し直そうと思ってネットであれこれ調べていたら、ツイッターで、筋トレを礼賛している人がいるのを半年ほど前に知った。その人によると筋トレに集中していると、雑念が消えるというようなことを言っていたので、なるほどそんなものかと思っていたら、そうだった。大抵、というか普段は筋トレをしている間、あれこれ嫌なことを忘れることができる。トレーニングに集中していないと、うっかりしていたら50キロの鉄の棒を胸で受けることになる。だから、とにかく集中集中で、雑念なんて入ってくる余地はないはず。

そうなんだけど、やっぱり病理学会総会が近づいてくると、あれこれ雑念が湧いてくる。

自分自身の発表のことが第一だけど、私の発表のセッションの座長のこととか、あまり会いたくない人が聞きにきたらどうしようとか、そもそも会いたくない人と会ったらどうしようとか。どれもバカバカしいこととはわかっているのだけど、なんだかどこかに後ろめたさがあるのだろうか。

話したいことがなんなのか、わからない。

勉強不足で理論武装が追いつかない。

症例の写真が足りない。

などなど。

というようなことを考えていたせいか、今朝の血圧はいつもより10高かった。仕事とは身体を壊す毒だということがよくわかる。

いずれにしても、今日からの3日間が勝負。今日の記事は早めにアップして、あとは準備に”集中”しよう。

今日は私は診断当番日。顕微鏡の前には標本がうず高く積まれていたが・・・。

来週は準備のための時間は無い

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不平・不満を口にしない

2018年06月14日 | 日々思うこと、考えること

昨日は、日本の政治・外交への疑問を書いてしまった。ポジティブシンキングを心がけているのに、こういう話題になるとどうしても「こうして欲しかった」というような半ば不平が多くなってしまう。”お上”へはいくら不平を言ってもいいだろう、どうせ取り上げられることはないだろうという、安心感というか甘えというかそういうことがあるからなのだろうか。どこまで言っていいものかもわからないので、時として激しく糾弾してしまう。

では、自分がその立場にいたらどうなっただろうかということにまでは心は至らない。”お上”は完全な人であり、ミスをしないという前提がある。自分だって、その立場になったら似たようなことをしないとも限らない。嘘を着くかどうかはわからないが、そこに至る道は誰しもが通り得る。これが選挙で選んだ人たちがやっていることだと思えば失敗も何も受け入れるしかない。諦めかも知れないけど、世の中とはそんなものだと。

不平・不満を口に出して言うのは簡単だ。

税金が高い、土地の値段が高い、給料はもっと欲しい、物価はもっと低くなって欲しい。人間関係でも、あいつは私のいいなりにならない、こんなにしてやったのに恩を仇で返された、私よりも優れている。

人の欲なんて際限がなく、勝手で、中には下らないものも少なくない。それらを実現するためにあれやこれやと文句ばかり言っているだけだとしたら考え方を改める必要がある。

不平・不満を言わないというのは難しいことだけど、少なくとも口に出さないということはできるかも知れない。

挑戦してみようと思う。

飲み込むというわけではないけれど

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こんなことに税金が使われているなんて

2018年06月13日 | 日本のこと、世界のこと

森友学園、加計学園、それぞれの問題では、忖度だのナンダのという、それぞれの固有の問題以外に、役人の不正が問題となっている。

公文書の改竄というは、今あるこの国の歴史を捻じ曲げていることで、未来永劫この事がこの国の歴史として残ることになる。そんな過去を真実として受け入れなくてはいけない未来の人達は気の毒だ。でもそれは未来の人達の話で、今生きている私たちにとってはそれ以上に、そんなことをする役人とか不明瞭な土地代に税金が支払われているということが問題だ。あんな人たちのするあんなことに毎日必死になって仕事をした報酬の一部が支払われているかと思うと悲しくなる。

そして、今度は北朝鮮問題。昨日、”歴史的な”米朝首脳会談が行われたが、非核化に向けては韓国と日本でその費用を負担するべきだと、合衆国大統領は言った。そして、拉致問題は日朝間で解決すべきことでもあると。

核兵器を開発して振り回した結果、ついに国際社会から注目を浴びるに至った北朝鮮はいいことづくめだろう。でも、非核化は仲介、拉致問題は米国に丸投げだったことが判明してしまったのではないだろうか?さすがは元ビジネスマン、話題だけさらって、自分では何も責任を取っていない。

それにしても、北朝鮮の非核化になんで税金を使わなくてはいけないのか、全くわけがわからない。韓国の人達も同じ気持ちの人は多いのではないだろうか。そもそも、そんなことになるような話をしてもらうために、何度も渡米した費用、ゴルフの費用、そういったものも税金で支払われているのだ。

政治は成功ばかりではないだろうけど、必死になって日々働いているこっちの身のことも少しは考えて欲しいものだ。

それでも働かないと食っていけない

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真実の愛なんてないけれど、結婚には愛情が必要

2018年06月12日 | 愛と女性とジェンダーと

 その人が書かれた本を読んでいないし、あまり(目の前に置いてあれば読むかもしれないが、無ければ)読む気もしないので、知ったようなことは言えないけど、”紀州のドンファン”と呼ばれていた資産家の男性は、四千人もの女性と交際したという。交際といっても、大人なので、それなりの関係のことを指すのだろう。目についた女性を次々と陥落させていったというのは凄い。四千人なんて、私なんぞは男女合わせてもそんなに多くの人ときちんと話したことなどはない。このブログだって、そんなに多くの人の目に触れてなんていないだろう。

 男性の多くは大なり小なりハーレム願望はあるが、件のドンファン氏は日々せっせと猟色し、その人数をカウントしていたようだ。でもこうしてそのことを文字にしてみると、なんだか少し滑稽で物悲しくもなる。私の旧い知り合いで、百人を目標に頑張っている男がいた。今ではそれなりの家庭を持っているようだが、顔を見るとその昔 、せっせと頑張っていた頃のことを思い出してしまい、なんだか付き合うのが面倒になり、だんだん連絡を取らなくなった。あちらもこっちがその頃のことを知っているのが嫌だったのかもしれない。

 ”真実の愛”なんていうものがあるとは思っていないが、四千人の異性と出会っても添い遂げられるような人とはなかなか出会えなかったというのは、一般の夫婦関係を維持することがいかに難しいことかということを示しているようだ。恋愛と結婚は別というが、それには無理がある。どのような形にしても、結婚生活には愛情が不可欠だ。結婚制度というものの是非を論じるのは難しい。一個の社会単位を作らせることで、生産性を上げさせようという、統治者の思惑もあるかもしれないが、基本的には人間関係の整理のためのシステムだろう。

 お前とお前は二人仲良く暮らし、その他にはちょっかいを出すな。としておけば、丸く収まる。

 そんな、社会的合意、というかルールが結婚だが、それには愛情が必要だ。愛情には多くの形態があるからこうあるべきというものが何とは言えないが、少なくとも結婚している二人を結びつける力となるものは愛情だ。逆に愛情を育むために結びつくのが結婚なのかもしれない。百人だろうが四千人だろうが、多くの異性と関係を持っても、そういうことのできる人と出会うのは難しいようだ。

 ミスマッチで愛情が湧いてこない、これ以上育たない、消えてしまったというのであれば、離婚というシステムもある。無理をして結婚を維持する必要はない。

モテない男のひがみか

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休みをとって教えを請いに

2018年06月11日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

有給休暇を取る理由というのは様々ある。私の考えとしてはもしもの怪我や事故に備えてとっておくものなので、元気でいるかぎりはそうそう取ることもできず結局余らせてしまう。”休むために休む”というのを上手にするのは難しい。2年目に入って、前年の繰越分を消化しないと丸々消えてしまうからとなると、さすがに少しは消化しようという気になる。

病理学会の講演の準備は遅々として進まず、というか行き詰まってきていたので、その有給をとって、その分野の先輩のところに相談しに行くことにした。

(中略)

そんなわけで、今日は疲れた。

持つべきものは良き先輩。おかげでこの間からひどく続いてきたプレッシャーから、少し抜けることができそうだ。

有給休暇をとって、わざわざ勉強しにいったなどとうそぶいてみても、結局は自分への投資だった。それもとてもいい投資で、リターンは十分ありそうだ。

普段の仕事より疲れた

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鎌倉アジサイ巡り

2018年06月10日 | 鎌倉暮らし

先日、テレビ番組で取り上げられて話題になっているのが、二階堂地区。ハイキングコースの手前の閑静な住宅街だったのだけど、観光名所が少しずつ増えてきている。この時期の鎌倉というとアジサイだが、お花で有名な瑞泉寺に向かう道まで、ナイトの散歩で足を延ばしたら、満開だった。台風が近づいてきているせいか今日は涼しくて散歩しやすかった。

朝のうちならすいているだろうと、アジサイ寺として有名な北鎌倉の明月院に妻と歩いていった。混んでいるときは、北鎌倉駅近くまで入場待ちの列になるということだけど、今日は参道が混んでいる程度だった。でも、境内に入ったらもの凄い人だった。アジサイよりも人の方が多いのではないかと思えるほど。

それぞれの花はとても美しく、”明月院ブルー”と言われるだけあって青い花が美しかった。

小一時間お花を見て歩いて帰った。アジサイは根が深くのびるので、地盤がゆるいところに植えると崖崩れの防止にいいらしい。谷戸が多い鎌倉にはうってつけだ。我が家の裏山にも植わっている。

帰りがけに通った、亀ケ谷の切り通しのアジサイ。数年前に植えたのだけど、今年はずいぶん大きくなっていて、美しい花をつけていた。

街を歩くだけでも

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大発見はまたもお預け

2018年06月08日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

54にもなって、いまさら大発見も何もないが、「あれ?こういう所見って、今まで報告されていなかったのではないかな。」なんていうことに遭遇すると、年甲斐もなく色めき立つ。

病理診断の場合、文献を調べたら大抵の場合すでに誰かが症例報告していて自分の勉強不足を知ることとなるが、オリジナルの研究だとその確率は低くなる。

さて、先日目前に迫ってきた病理学会の準備をしていたら、その「あれ?」という所見があった。「もしかしたら、これって新しい知見なのでは?」と内心大喜び。細胞の再生過程での形質変換の可能性があると考えた。

でも、やっぱり、というか昨日もう一度別の症例について検討したら、それほどでもなかった。というか、ある程度は予想していた新しい知見ではあったのだけど、それを越えるほどのものではなかった。もちろん、”もの凄い”大発見ではなかったけど、それなりに良い研究成果で、新しい施設に移ってから1年で出したデータとしては十分満足のいくものだ。PubMedで文献を検索したら、似たような報告もあったけど、着眼点は異なるので論文にはできそうだ。

そんなに簡単に、次の次の結果は出てこない。

ポスター発表の準備は今日けっこうできた。あとは、講演の準備。

図表は揃った

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人生とはこういうものなんだ

2018年06月08日 | 生き方について考える

Eテレの「世界の哲学者に人生相談」という番組を観ていたら”良心を取るか、自分の夢を取るか”という”思考実験”が行われていて、その中でのゲストの哀川翔さんの「そいういうものだと考えますから」という言葉が印象に残った。観ている途中で夕食となり最後まで観なかったのでどんな風に終わったかはわからなかったけど、感心した。彼の言いたいことそのままではないだろうけど、『人生というものは、そういう状況になったとしても、自分の選択が正しいか間違っているか、というものではなく、ある意味運命論的にそのようになるものなのだと受け入れる』ということなのだと解釈した。

運命は決まっているものではないし、自分でその都度選択していくことはできる。それは今日読み終えたクリスマスキャロルのスクルージにしてもそう。

私にしてみても、ブログを始めて10年目にして初めて、昨日の記事の中で自分の専門領域を明らかにした。これはこれで結構な決断だったけど、後悔はしていない。潮時、というかそんなものなのだったのだろう。

以前、同僚と話していたら「こんなものですよ」と言われたことがあった。その時はなんだか投げやりな人だと思ったけど、本当はそう考えて、起こったことを受け入れいていたのだとあとでわかった。

他者への期待とか、そういうものではなくって、全ては自分で全てを受け入れる。その都度の決断が正しいとか間違っているとかではない。

人生なるようにしかならない、とも似ているけど、ちょっと違うような気がする。”なるようにしかならない”より”こういうものなんだ”の方がちょっとだけ、人生をより主体的に捉えているような気がする。”なるようにしかならない”は「放っておいてもなんとかなる」だけど、”こういうものなんだ”は「努力をしても、時に報われないこともあるが受け入れる」という感じだ。

努力をしても、良心にしたがって生きても、その思いが報われないことはしばしばある。それよりも、努力するべき目標があること、良心を発揮すべき局面がある人生であることを受け入れ感謝して生きることが大切だということだろうか。

すべてを受け入れる

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APGARスコアと小児・周産期病理

2018年06月07日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

今日、6月7日のグーグルのトップロゴはヴァージニア・アプガーさん。カタカナで書くとなんだけど、アルファベットで書くとVirginia Apgar

APGARさんだ。

彼女が出産直後の新生児の健康状態を表す指数として考案したのがAPGARスコア。

  • Appearance - 皮膚の色
  • Pulse - 心拍数
  • Grimace - 刺激による反射
  • Activity - 筋緊張
  • Respiration - 呼吸数

となっていて、アプガーさんの名前にちなんでいる。小児科の実習の時に、これがなかなか覚えられなくて苦労したのを思い出す。特に”Grimace”という単語は馴染みがなくて、最後まで覚えられなかった。

今では、臨床医(主に新生児科医、産科医または小児科医)が適切に判定して、病理医に知らせてくれるので心配はないが、せっかくなので、今回のトップロゴのgifを繰り返し見て覚えることにしようと思う。素晴らしいロゴだから、医学生も是非やってみるといい。


APGARスコアに限らず、子供を産み育てることのために、人類はこれまでに多くの努力を重ねてきた。それが、周産期医療とか小児医療というものだ。この領域に関わる病理学をとくに”小児病理”とか”周産期病理”とか、合わせて”小児・周産期病理”などという。

私、コロ健はこの小児周産期病理の専門家として長らくやってきた。まあ、”自称”だけど、他の一般病理医よりは多少は多くの症例にあたってきたという自負はある。今は大学病院にいるから、検体のほとんどは一般成人のもので、日々癌の病理診断を行っている。大学病院には産科や小児外科もあるので、この領域に関わる検体(胎盤とか小児疾患)も出てくるが数は少なく、そのせいでちょっと肩身が狭い。

私自身、胃がん、大腸がん、乳がん、前立腺がんの診断を日々こなしている方が、いろんな意味(相談できる相手がたくさんいる、どの病理医とも共通の話題として話すことができる、件数が多いのである程度はパターン化した診断ができる、需要が多い、などなど)で楽しいが、私がいなくてもこの病院は回っていくのだろうと思うことはある。

小児・周産期病理に関わる病理医は全国的に少なく、後継者不足は重要な問題となっている。病気の子供、不妊、出産に関わる疾患はこの先も一定数生じるので、産科や小児科、小児外科の医者と同様、それらの領域に対応する病理医の需要がなくなることはない。後継者問題というのは、どこでもあることで、たぶんよそでも難しい問題なのだろう。

需要と供給、将来性

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のらりくらりでうんざりするまで待つ

2018年06月06日 | 日本のこと、世界のこと

官邸主導の政治、というのがこうも役人を豹変させるようなものとは、それを導入した本人も思っていなかったのではないか。その結果がいまの政治・行政の大混乱だ。これだけの不祥事を起こしておいても、責任を取らされるのは役人だけで、それもトカゲの尻尾切りのようなもの。政治家はのらりくらりとやり過ごして、国民がこの状況にうんざりして飽きるのを待っている。あんまりこんな状況が続くようだと、”そんなものか”というわけのわからない錯覚に陥ってしまいそうだ。与党もそれに乗って、この状況はいつまでたっても変わらないだろう。

この国の将来はとても世界に誇れるようなものではないけれど、お隣の国では前任の大統領が順繰りに犯罪に問われているし、その向こうの大国では人権抑圧が度を増していると聞く。同盟国にしてもいまの大統領が選ばれたときの嘆きの声はすごかった。この国にしても、与党が頼りにならないからといって、野党を頼ることもできない。代議士になった途端、不祥事を起こした人は今でも記憶に新しい。

政治家になるような人というのが、その程度のものなのか、そもそも人間なんて、なまじ権力など持ってしまうとダメになってしまうのかはわからない。何れにしても人間がやっていることに完璧はないので、何がどうなろうと覚悟はしていなくてはいけないだろう。良心というものがあればそれに従って行動してほしいものだが、自分のやっていることが正しいと思っているようでは、どうしようもない。

宇宙人総理

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検診はしっかり受けよう

2018年06月05日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

ここのところ急に血圧が上がったのはどうもストレスのせいのようだとわかって、そんなものかと納得した。さすがに頭が痛くなるのには参ったけど、まだ可逆的な段階ということで生活を改善したらまだまだ大丈夫そうだ。今回は自覚症状があったから医者に行って診てもらったけど、これがあまりはっきりしないような症状だったら困ったことになっていたかもしれない。医者の不養生なんて言い方もあるけど、なまじ医学知識があるとその症状を過小評価してしまうことが往々にしてある。何と言っても、自分の症状は少しでも軽く見積もりたいというのが人情で、医者だって人間だ。いくら悲観的な人でも自分の症状は軽く見積もるに違いない。

ところで、今は春の検診シーズン。職場では一斉に行われるし、地域でも検診のサービスを受けることができる。血液、尿、便などの所見はこういう機会でしか調べることができない。年をとれば、癌、糖尿病、高血圧、認知症にかかるのは仕方がないけれど、どれも今では治る病気だ。ある意味、外傷などがなければ認知症が直接死因となる事はない。最期は老衰だ。私はお酒を飲むので、それほど長生きはできないだろうけど、あんまり重症にはならないように検診の結果は真面目に受け止めようと思う。未病が何よりだ。

 聴力検査は大丈夫でした

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プレッシャーでプレッシャー(血圧)が上がってる!

2018年06月04日 | 日々思うこと、考えること

今朝、頭が痛くて目が覚めた。血圧を測ったらずいぶん高かった。

血圧(Blood pressure)上昇の原因は、病理学会での講演のプレッシャー。ここひと月ほど毎晩毎朝講演内容に頭を悩ませているのだけど、いっこうにまとまらないでいる。

それでも講演はやってくるし、逃げ隠れできない。腹をくくって、泰然自若として臨みたいところなんだけど、元来緊張しいの小心者で、そもそも分不相応。となると、心を落ち着かせるのはなかなか難しい。

とはいってもそれまでに頭の血管が切れても困る。仕事帰りに循環器内科を開業している友人のところに行った。結局、見立ては緊張性、というかストレス性。高血圧の薬の投与の必要性はないということで経過観察。こういう人はよくいるようで、われながら情けないというか、なんというか。

今日はさっさと寝るか

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お別れ

2018年06月03日 | 家族のこと

冠婚葬祭以外で親戚と会うことはなかなかない。今日もそんな日だった。先日亡くなった叔父の葬儀。晴天に恵まれてよかった。

遠くの親戚がわざわざ来てくれ、近況を話したりできたのは故人のおかげともいえる。

従兄弟もずいぶん落ち着いていて安心した。

さよなら、おじさん

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飲み屋もずいぶん様変わり

2018年06月02日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル

昨晩、以前私がいた病理学教室の先輩と後輩と三人で、新橋にある美味しい日本酒を揃えているお店で飲んだ。それぞれ別のところで働いていて互いの利害関係はそれほどあるとはいえない仲だけど、私が辛い時期などは力づけてくれた頼りになる仲間だ。


私たちが案内されたのは四人がけのテーブルが十個ぐらいある部屋で、4、50人程度が飲んでいたが、驚いたのは男女比で、女性6割、男性4割という具合だった。女性だけのグループもいたりして、サラリーマンの聖地新橋の飲み屋も随分変わったものだと驚いた。そういえば、先日、近所(鎌倉)であったワインの試飲会に顔を出したときも、女性が7割ぐらいいた。女性でもお酒が好きな人はたくさんいるし、楽しく飲める場があったらそういうところで心置き無く飲みたいものなのだと思った。これまで、男ばかりがそういう楽しみを独占してきたとはひどい話だ。

様変わりしたといえば、タバコの煙もほとんどない。たまたまかもしれないが、その4、50人いた中で、タバコを吸っていたのは女性一人。その彼女が吸い出すまでは、当たり前のように誰もタバコを吸っていなくて、美味しいお酒と酒肴を堪能することができた。残念だったのは、その女性一人のタバコ一本の煙が部屋中に充満して、途端におかしな匂いになってしまったこと。随分タバコを吸う人が減ったものだと実感したと同時に、お店も美味しいお酒や料理を出しておけば、客足が遠のくなんて心配をしなくても良くなるのではないかと思った。ニコチンはアルコールによって吸収効率が上がって、酒量が増えるという点で、お店にとってはいいのかもしれないが。そのテーブルでも、みんな同じペースで飲んでいるのに、タバコを吸っている彼女だけ一頭抜きん出て騒いでいたのは興味深かった。

私は土曜日も仕事があるからだけど、先輩も学会があるので朝が早いということで、9時すぎにお開き。お店を出たら、新橋駅の近くの狭い道路はサラリーマンでごった返していた。飲み屋、風俗店、その他諸々の店に出入りする客や呼び込みが入り乱れていて、カオスのような状態だった。私たちおじさん三人は無事駅までたどり着いて、機嫌よく別れた。

タバコを吸わなくてもお酒はうまい

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子供=若者にはいつでもご機嫌でいてもらおう

2018年06月01日 | 日々思うこと、考えること

自分の子供というのはいつまでたっても子供だ。赤ちゃんをあやすのは、泣き止んで欲しいからではなくて笑顔を見たいからだ。そして、その思いは子供が大人になっても続く。私にしても息子や娘が不機嫌であったり、悲しそうだったりすると気になって、あまりに酷ければ何かあったかと尋ねてしまう。少々のことがあっても、放っておいて悪くない年廻りなのにどうしてだろうと思ったら、いつまでたっても子供は子供だからだということに気がついた。だから、子供たちには大人になってもいつもご機嫌で、ニコニコしていてほしい。

子供ができる前に、私の先輩から3歳までの子供の笑顔で親は一生やっていけると教えられたことがある。たしかに、あの頃のことを(写真を見たりして)思い出すと、幸せだったし、随分いろいろなことを忘れてしまったのが残念に思えるほどだ。でも、せっかく神様から預からせてもらったのだから、それぐらい(?)の余録は許されるだろう。預かりものは、やがて社会に還元しなくてはいけない。この間、”子供を持たないでいたら、老後は他人の子供に育ててもらうことになる”みたいなことを言っていた代議士がいたけれど、それは子供は社会で育てるもの、という意識の欠如だし、子供を含めて人を所有物として捉えているから出てくる考えのような気がする。

子供とは、社会全体の後継者であり、子供には元気で希望を持っていて欲しい。そして、子供とは、すなわちこれからの社会を背負っていく若者のことと言えるだろう。そういう、若者たちにはいつもご機嫌でいて欲しいと思う。

若者から搾取することをしてはいけない

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