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小学生の頃の遊び・・・裏技三題 独楽回し、長馬、缶蹴り  その3 缶蹴り

2012年01月25日 | あの頃のこと…思い出話

記憶にとどめておきたい、小学生の頃の遊びの裏技、最後は缶蹴り。

これは、衝撃的だった。

小学5年か6年だったと思う。誰かの家の近くのちょっと広めの公園で7、8人で缶蹴りをしていた時、それは実行された。


オニが誰だったか覚えていないが、いじめられっこではなく、結構しっかりしたやつだったはずだ。
缶の場所は公園の広場の真ん中辺りで、オニに有利な状況。
オニは缶からあまり離れないで、焦らずに逃げ手を探している。
私はというと、序盤でオニにつかまって、虜囚の身。
捕まっていないのはあと二人か三人という状況で、拮抗状態に入っていた。

そこで、私は信じられないこと(技)をみた。

すでに捕まったうちの一人が、暇をもてあまして自転車に乗って、広場内をうろうろしているようだったのだが、やおら、急速に缶に近づいてきたのだ。

オニは、すでに捕まっていて缶を蹴る権利の無いにもかかわらず、そいつが缶に近づいてきたものだから、念のため缶の近くに戻ろうとしたが、ときすでに遅く、次の瞬間、思いっきり缶が蹴られた。

驚いた。

自転車は二人乗りだったのだ。
まだ捕まっていなかったやつが、後ろに隠れるように乗っていて、缶を蹴ったのだった。
オニからそいつは見えなかったし、自転車を使ってはいけないというルールはなかった。

すごい技だ。当時の小学生の考えるレベルを遥かに超えていたといえよう。

究極の裏技、である。
あの時の光景、衝撃は今でも、ありありと思い出される。

だが、実際のところ裏技というか、これはひどい。
この時は、オニが気の毒になって、シラケてやめてしまったはずだ。



最近の子供は缶蹴りをするのだろうか。
捕まりさえしなければオニにならずに済むので、必ずしもいじめられっこがオニになったわけではないように記憶しているが、いったんオニになると結構続いたような気がする。
オニがかわいそうですぐに捕まってあげて、いざ自分がオニになったらいつまでたっても終わらなかった、なんてこともしばしばあった。
そもそも、一人がオニになる遊びというのは、いじめにつながりかねないので、もう流行らかもしれない。

スチール缶に代わり、アルミ缶が出てきて、ジュースの缶は一発で潰れてしまうようになった。何度か、アルミ缶を蹴ってみたが本当にあっけなく潰れ、二度と立ってはくれなかった。
スチール缶はコーヒー用だけになってしまい、コーヒーを飲まない子供には入手しにくくなってしまった。昔は、公園のくず入れには缶蹴り用の缶がたくさんあったが、今では缶の入手も難しかろう。そもそも、公園のくず入れが、家庭ゴミ持ち込み対策で、どんどん減っている。
心ない人たちのために、世の中はどんどん味気なくなっていく。だが、何が、正しくて、何が、誤りなのかわからず、いつ自分がそのことをしてしまう側に立ってしまうか恐ろしい。

曲がったスチール缶を片足でよく立てていたものだ。なぜ、缶を手で立ててはならなかったのか、ゲームの本筋(逃げ手を見つけて、名前を言って、缶の頭を抑える)からいけば、それでもよかったような気もする。スチール缶も妙に曲がっていると、折角逃げ手を見つけて、缶の頭を抑えようとしたら倒れてしまったなどということもあった。自爆。

そういえば、逃げ手5、6人が多方向からいっせいに缶に殺到する、というのもあった。オニが、名前を呼んでいるうちに、呼ばれていないやつが缶を蹴る。
あれも考えてみればひどい戦術だ。





これで、小学生の頃の遊びの裏技三題を閉じるが、まあ、どれも他愛も無いと言うかろくでもないと言うか。
実際にやったら嫌われてしまうだろうし、今の時代、親まで出てきてしきり始めかねない。子供の遊びに明文化されたルールなどは無く、そんな経験を通じて精神的に成長していく。

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4 コメント

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私の場合。 (荻野誠人)
2012-01-29 09:38:13
 お邪魔します。缶蹴り、なつかしいですね。私が小学生の頃は、しょっちゅうやっていました。人の敷地にまで平気で入り込んで、今じゃ考えられません。

 二人乗りみたいな技は私もやられました。私がよく覚えてるのが次のようなやりとり。

 オニ「二度蹴りは、だめなんだよ」
 私「じゃあ、三度蹴りは、いいんだな」
 缶ははるか遠くに・・・・・・

 当時の私は乱暴者の上に嫌われ者でしたが、この事だけとっても、嫌われて当然でした。

 今は缶蹴りなんかやってる子供は見かけなくなりましたね。そもそも放課後の小学生の自然発生的な集団が都会ではもうないでしょう。子供の数が少ないですし、塾や習い事をやっている子供が非常に多いですから。

 それでは。

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どちらがどんな人生に (colocolokenta)
2012-01-29 20:16:19
荻野さん
コメント、ありがとうございます。

その時、傷つけられた友人(オニ)と、大人になって心を痛めているいじめっ子。どちらも傷ついたのか、どちらかだけが傷ついたのか。
どちらの人生が良かったのでしょう。

というのもナンセンスですね。
人生ごときに良し悪しなど・・・

子どもたちの遊びが変わってきているのは、こんなことも原因にあるのではないかと、考えています。
このことは、また。
返信する
「傷」についてですが・・・。 (荻野誠人)
2012-02-01 17:43:14

>その時、傷つけられた友人(オニ)と、大人になって心を痛めているいじめっ子。どちらも傷ついたのか、どちらかだけが傷ついたのか。

 難しい問いかけですね。colocolokentaさんの文意を誤解していましたら、すみません。
 私が缶を三回蹴ったときは、オニが傷ついて、私は平気だったと思います。
 その後ですが、私が当時のことを覚えていて、悪かったなあという意識をもっているとはいえ、オニの「傷」とは、ちょっと性質が違うような気が・・・。
 ただ、この「傷」を広く解釈して、「自責」「後悔」「心のしこり」みたいな否定的感情ととらえるなら、「どちらも傷ついた」と言えるかもしれません。もちろん、それで免責されるわけはありませんけど。

 ところで、最近の読売新聞の人生相談に、70歳くらいの人が、学生時代に教師から受けた仕打ちが忘れられない。今でも健在のその教師に文句を言うべきかどうか、という相談を寄せているのを見て、びっくりしました。でも、その仕打ちがよほどひどかったのか、その相談者にとっては自然な気持ちなんだろうな、と思いました。
 逆に、子供の頃の仕打ちを謝ったら、相手がすっかり忘れていて、思い出せなかったという話も読んだことがあります。

 あらゆるケースがあり得るようです。それではまた。

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おっしゃるとおり (colocolokenta)
2012-02-04 14:54:04
荻野誠人さん
おっしゃるとおりです。ありがとうございます。

あの頃、絶対的な嫌なやつはいなくて、誰もがいじめられることがありました。
でも、いじめられっこが逆転することは無かったです。
70歳の方の相談、私も似たようなものをしそうですし、されてしまいそうです。
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