少し嫌なことがあった。
これまでの私(コロ健)であったら、例によってしばらくの間、クヨクヨして思い悩んでいただろう。
ところが、今回は違った。嫌なことがあったらどうすればいいのか、気がついた。
鏡に自分を映してみた。
鏡でなくても、体が映し出されるものであれば電車の窓、ショウウィンドウ、何でもいい。
ただ、全身が映し出されるものでないといけない。
そこには自分が映っている。そこに映し出されている自分と、嫌なことの起こる前の自分の間にどれほどの違いがあるだろうか。
そう、嫌なことがあったからといって、個体としての人間に、それほどの違いは生じないのだ。
そのことに、気がついたら、「嫌なこと」を考える自分がばかばかしくなった。
おそらく、これというのは自分を「客観視」する、という作業なのだろう。
これが、上手にできるようになれば、何も実際に映し出されるものがなくてもよく、頭の中で自分を遠くから眺めてみればいい。何があっても、少々のことで“自分”は変わったりしないのだ。
映画やドラマで、主人公が洗面所で顔を洗ったあと、「私(俺)、なにやってんだろう」みたいなシーンがあるが、顔のアップを自分でみるのはあまり効果がないように思う。顔だけだと結局のところ自分の目と目が合ってしまうので、客観視が上手にできない。上手くやるには、ほかの人も映り込んでいるくらいの方がいい。映画で言えば、主人公がBGMだけで街なかのいろいろなところを歩いているシーン、みたいな感じである。
そして、もちろん、主人公とは、私たち一人一人である。
ところで、こんなことを思い至るきっかけとなった「嫌なこと」とは何であったか。
私(コロ健)を鏡に映してみたら、すっかり忘れてしまった。
これまでの私(コロ健)であったら、例によってしばらくの間、クヨクヨして思い悩んでいただろう。
ところが、今回は違った。嫌なことがあったらどうすればいいのか、気がついた。
鏡に自分を映してみた。
鏡でなくても、体が映し出されるものであれば電車の窓、ショウウィンドウ、何でもいい。
ただ、全身が映し出されるものでないといけない。
そこには自分が映っている。そこに映し出されている自分と、嫌なことの起こる前の自分の間にどれほどの違いがあるだろうか。
そう、嫌なことがあったからといって、個体としての人間に、それほどの違いは生じないのだ。
そのことに、気がついたら、「嫌なこと」を考える自分がばかばかしくなった。
おそらく、これというのは自分を「客観視」する、という作業なのだろう。
これが、上手にできるようになれば、何も実際に映し出されるものがなくてもよく、頭の中で自分を遠くから眺めてみればいい。何があっても、少々のことで“自分”は変わったりしないのだ。
映画やドラマで、主人公が洗面所で顔を洗ったあと、「私(俺)、なにやってんだろう」みたいなシーンがあるが、顔のアップを自分でみるのはあまり効果がないように思う。顔だけだと結局のところ自分の目と目が合ってしまうので、客観視が上手にできない。上手くやるには、ほかの人も映り込んでいるくらいの方がいい。映画で言えば、主人公がBGMだけで街なかのいろいろなところを歩いているシーン、みたいな感じである。
そして、もちろん、主人公とは、私たち一人一人である。
ところで、こんなことを思い至るきっかけとなった「嫌なこと」とは何であったか。
私(コロ健)を鏡に映してみたら、すっかり忘れてしまった。
先日はブログへのコメントをありがとうございました。
私も貴ブログをリンクさせて戴き、毎日拝見しておりましたが、なかなかコメントのきっかけがつかめず、すっかり遅くなってしまいました。
嫌なことがあった時、自分を客観視することは大切ですね。
私は鏡に向かってニッコリ笑うことがあります。
嫌なことがあると顔も暗くなるので、無理やりでも笑顔を作るのです。
但し、勿論誰もいないところで・・・^^;
ありがとうございます。
自分を客観視するには、人それぞれ、いろいろな方法があるでしょうね。
まあ、少々のことがあっても、暗くなったり悲しくなったりする必要はあまりなさそうです。