勉強ができればこれほど苦労はしなかったといつも思う。
仕事のこと、研究のことで話してみて、つくづくできるな、と感じる人に会うたびに、私には、この仕事は向いてなかった、少なくとも、病理医としてやっていくのにははじめから無理があったのではないか、と思うことが多々ある。
私は、勉強ができない。できる人との差はおそらく生まれた時からあるのだろうし、その人達のレベルで頑張ろうと思って、背伸びをしてもつらいことが多い。
たとえば、論文を読んでも最後まで読み切るのには相当な苦労がいるし、いくら読んでもなかなかわからない。わからないから、最後まで読む気力が途中で失せてしまう。
そもそも最初から分からない論文というのも多い。
でも、その分考える。
だいたいの場合、社会生活においては知識が多い方(物知り)が勝ちなのだが、どこまでもそういうわけではない。
だから、その、残り少ない隙間を狙って、考える。
毎日、少しずつ、考える。
考えても、やっぱりわからないことだらけなんだが、1センチくらい進む(ことがある)。
一週間、考えれば5センチくらいは進む(かも知れない)。
少し、勉強して付け足す。
最近、わかった。
私は馬鹿だから、考えるんだ。幸いなにをどう考えようとそのことだけは、私の自由だ。
つらつら、頭の中で熟成しながら、いろいろ考える。
私だけの考えは、私からしか生まれない。
それにどれだけの価値がつくか?
それも、私が決めればいいことだ。
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