昨日はサッカーのことを書いたので、1日分の記事を稼ぐことができた。そこで、昨日の記事(つかみ損ねた女神の前髪 2018年07月03日)を書いた直後に、以下のような書き出しで、「私のプレゼンテーション考」というタイトルのシリーズを書こうと思いたった。
”突然、こんなテーマ(「私のプレゼンテーション考」のこと)を思いついた。サッカー日本代表がベルギーに惜敗し、そのことをその日の記事にしてしたので、考える時間が少しできたということがある。だから、この記事は少なくとも7月4日以降にアップされる。でも、それよりいま抱えている発表の準備がごちゃごちゃしていてよくわからなくなっており、そこから逃避というか、モチベーションを高めるためにこんなことを書いてみようというだけで思いついたのかもしれない。そんな前振りは不要だから、早速本題に入る。”
でも本題に入ったら内容があっちに飛び、こっちに飛んで全くおかしな文章になってしまった。結局昨日のうちに記事は完成しなかった。今後どうなるかは不明。
なかなか思い通りには行かないものだ。
スポーツのように相手があることだったらわかるし、論文なども査読があって何でもかんでも記事にすることはできない。それでも、こういうブログのような査読も何もないような文章ですら自分なりの基準があって自分自身による査読でストップ、すなわちボツ記事となる。
”思い通りにならない”からといって、周りに人がいてくれなければ困る。人間、自分一人では何もできない。いたらいたで邪魔になるといってもそんな勝手は許されないのだ。では、だれかにかしずいてもらってあれこれやってもらったところで、そのことへの対価がなくては他人は動いてくれない。なんでもしてくれるからといって、あれこれ期待してもその通りになるわけではなくて、結局どこまでいっても思った通りに行くなんてことはない。
そのあたりのことを考えて、あれこれ欲張らないで、人間社会こんなものだ、思い通りに行くなんてことはない、ということを受け入れて生きることが心身ともに健全に保つために必要なことなのだろう。
さて、いつ書こう