ツイッターを読んでいると未だに政治談義でかしましい。そこには右から左までいろんなことがいろんな調子で書かれている。立場によってそれらは猛烈な攻撃と読めるだろうし、嘘まで書かれていると思うかもしれない。それぞれの人が問題にするのはそれぞれの人の問題であって、人それぞれが本質的に問題視することは違う。そんなわけだから、人の口の端に上がる言葉なんて取りようによってはフェイクニュースだし、ただの噂でもある。この世界を貫く真実は一つしかないけれど、人の目の届く範囲、噂の広がる範囲なんてそのごく一部に過ぎなくて、王様になったところで誰かが心の中で考えていることまでは永遠にわからない。
その点、自然科学の世界はわからないことだらけだけど、嘘はないのがいい。病理医をやっていると、目の前にいろんな方の病気の標本が出てくるけど、そこに嘘はない。わからないことをわかろうとすることで、色々と悩み苦しむわけだが、わかろうとしたらとことん突き詰めることのできる可能性がそこにはある。だから、気楽というわけではないが、”お上の意向”とは別のところで仕事ができるというのはある意味幸せなのかもしれない。
アインシュタインの走り書きは1億円