こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

勉強させてもらうということ

2017年10月24日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

以前いた職場以来の付き合いのあるお医者さんで、今は某大学の教授となっている人がいる。大変優秀かつアクティブな人で、この間会った時にも、NEJMにcase reportが載ったと楽しそうに話してくれた。

さて、臨床医とは一線を画す病理医だけど、これまでに私がお世話になった臨床医は少なくない。中には私の血となり骨となるほどの助力を与えてくれたと言える臨床医も数人いて、彼はそのうちの一人。その彼が、月に一度、彼の科で行われるカンファレンスに私をゲストスピーカーといとして呼んでくれている。私はそこで彼の科で診ている患者さんで病理診断が必要になった方の組織所見の解説を、モニタにつないだ顕微鏡を使ってライブで行う。結構遅い時間から始まるし、薬屋さんのバックアップも無い質素な勉強会なのだけど、院外の病院にいる若い先生も集まって来るほどのディープで熱心な会だ。

先日もそのカンファレンスがあったのだが、そこで私は失敗をしてしまった。

勉強会に先立って標本をあらかじめ送ってもらい、予習をするのだけどその時に別の方向に診断が向かってしまっていた。その場で、もう一度顕微鏡を通して診ていたら、診断がずれていることに気がついた。

読み込みが足りなく、大事な所見を読み落としていた。担当医のプレゼンを聞いているところでおかしいと思って、その観点から所見を改めて(みんなの前で、何食わぬ顔をして!)診たら間違っていたことに気がついた。私の最終的な意見を述べる前だったので、コメントする時にこれといった問題はなく、鑑別診断を列挙する形で自分の診断も入れておいて、その場は取り繕うことができた(ように思う)。赤っ恥はかかなかったけど、最後まで気がつかないでいたら、患者さんの治療方針に関わる問題だった。

このカンファレンス、形としては私がプレゼンテーションをして臨床医が勉強するという形だけど、決してそんなおこがましいものではなく私自身、とてもよく勉強させてもらっている。だからいつも謙虚な気持ちで臨んでいるし、その気持ちを片時も忘れてはいけないのだけど、こういうこともある。

患者さんから学び、臨床医から学ぶ

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